第7話

 いや、無理っ!ここでイタして店に戻って今日の数字と報告書って、ムリ!!

「倉橋担当、貸しはある、それは分かってるし...その...会えてなくて出来ないのも...そりゃ分かる、分かるけど...」  

 しどろもどろの言い訳は完全にスルーされ、上着を剥ぎ取られ、ワイシャツからタイを引き抜かれ、ワイシャツのボタンはラスイチ、見惚れるような笑みを浮かべて迫ってくる。

 眼が笑ってない!!肉食獸の捕食の瞬間、鬼気迫る視線にガッチリ拘束され、俺の十八番キューピースマイルは既に硬直状態、上がった口角が引きつって僅かに痙攣してしまった。

 駄目だ、もうどうにでもなれ...確認山積みの連絡先電話番号や日計表や催事場の昼の売上など訳の分からない順に数字がメビウスの輪になって高速で頭の中を巡る。キャパオーバーになった俺は、半ば自棄で沈んでいたベッドから上半身を起こして担当の仕立ての良いワイシャツに顔を埋めた。上品な香の匂いと恋人である悠介の体臭を深く吸い込む。久しぶりの恋人のぬくもりにガッチリと抱きつく。

 「可愛いな、さっきから試練ばかりで流石に降参だ」 

 「?」上から落ちてきた台詞が理解出来ず俺は何の事かとそのまま見上げて視線を合わせる。

 「潤は寂しかったんだな?悪かった、ちゃんと埋めるから...」頭のてっぺんから少しずつ位置を下げてキスが降ってくる。絡まった視線の先にはもう獰猛な獣はいない。代わりに優しい穏やかな目の恋人、悠介がいる。あぁ、コレ、俺の一番好きな悠介。 

 「...だから、そんな顔俺以外に見せるなよ」意図せず口角が上がったらしい。

 「だって悠介が優しい顔してるから...好き、一番好き。全部好きだけどそれが好き」...言っちゃった。 

 仕事中の緊張感のある表情も好き、たまに子供っぽいわがままな顔も好き、さっきみたいな獣もたまには悪くない、でもやっぱ他には見せないリラックスした時の優しい顔は俺の一番なのだ。

 言い切ってから俺は我に返って悠介を見た。

 「潤はいつも俺を越えてく」ポツリと呟いた悠介は一瞬視線を合わせて口角を斜めに上げた。あ、それも好き...、照れで少し熱の上がった頭で考えてるとキスが降ってくる。

 恋人の体重を全身で受け止めながら大好きなキスを受け止める。

 「んっ、ん」熱い他人の舌で口の中をまさぐられる。刺激的で圧倒的な支配に酔いしれる。閉じれない唇の端から飲みきれない唾液が零れる。


 夕日に染まる室内、突然、カノンの柔らかな旋律が流れ出す。

「あ!」俺の頭の中にゴツい骨格の男が浮かぶ、ズームすると視線が床に固定されたかのような項垂れた頭頂部が目の前に見えた。

「「伊藤!」!!」何でかハモった。

さっきまでの柔らかな表情はどこに行ったのか!?悠介が今は頭を抱え膝を曲げ横倒しになり、苦悶するかのような表情で脇に転がってる。

 対する俺は悶絶する悠介を横目にベッド脇のチェアに無造作に投げられた上着のポケットから優雅にカノンを奏でながらブーブー震えているスマホを取り出した。

 「どした?」まるで感情のない機械音声のようにいつもの台詞を吐き出す。

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