第3話

開店1分前、警備員がスペースを開けてこちらを振り返る。ニッコリと思わず相手を油断させる笑顔で俺は軽く頭を下げて挨拶する。「おはようございます、今日もよろしくお願いします。」サッサとドアに一番近い位置をキープ。俺の向かいに背の高い均整のとれたスーツ姿が当たり前のように立つ。その横に清潔感溢れるスーツに緊張させた表情を浮かべ若手が二人並ぶ。俺の横には馴染みの顔ぶれがなれた様子で営業スマイルを浮かべ頭を下げてくる。

 向かいのビルを本拠地とする本社営業企画の面々だ。つまり足りない人員を借りたのである。俺の向かいに立つ高そうなスーツをモデル並みに着こなした男は、営業企画の倉橋担当である。もうそのままランウェイ歩けるんじゃね?という見とれる様な容姿を持つ。外が騒がしい、滅多に並ばない貴重な面子が食品地下入口に並んだことに気づいた嬌声が響く。ここはアイドルのライブ会場か?と思わずにはいられない。警備員があわてて無線で助っ人を要請している。大丈夫だよ~この面子は人捌きの名人ばっかだから...心の声はしまいこみ、にこやかな笑顔と柔らかな物腰で丁寧に頭を下げる。あ~やっと開店だ。


 開店から18分、やっと興奮した鼻息の粗いおしゃべりを聞き流し客を捌き終えた。「お疲れ様です。ありがとうございました。」深々とヘルプに駆け付けてくれた面子に頭を下げて俺は売り場中央の催事場に向かう。何だか後ろに影が付いてくる。賑わっている売り場を邪魔にならない位置から眺めながら移動して横に並んだ影に向かって俺は声だけ掛ける。「何してるんですか?倉橋担当」邪魔だよ!心の中で毒気づく。お客様だけでなく店員まで呆けたようにコチラをガン見している。「営業妨害しないでください。手元が疎かになります。迷惑です、持ち場に速やかにお帰りください。」担当はわざとらしい仕草で額に手を当て大きくため息をつく。「鬱陶しいです!」長身の担当に向き直り斜めに上がっている口角を思わず上目で睨み付ける。「もう少し可愛い顔を見せてくれてもいいんじゃないか?協力しただろう。」恩着せがましい!だから最終手段なのだ。何かと絡んできたがる倉橋担当はプライベートではパートナーだ。だがそれとこれは別!仕事は仕事である。「何ならこのまま来月の催事の打ち合わせに入ろうか?」等とふざけた事を言ってくる男に余裕のない俺はイラッとして早口で捨て台詞を言ってしまった。「わかりました。欲求は飲みますから、今は勘弁してください。」あ!やってしまった。倉橋担当の表情が一瞬で眩しい笑顔になる。仕事抜きのプライベートな笑顔、思わず釣られて返しそうになる。「後で連絡する。」ふいに耳元で柔らかな声がしてすぐに離れていった。

 賑わう催事場の中央でテナントさん相手にあたふたしている後輩の伊藤を一瞥し、笑顔でテナントさんに声をかける。「どうしました?」「あ~春日さん!良かった!小さいビニールがなくて...」「ウチのレジレシート詰まって...」俺の姿を見ると口々にトラブルを訴える。新しいレシートのロールを手に入れ替えながら、伊藤に次々指示を出し備品取りと両替に行かせる。開店1時間以内で売り場が問題なく動くようにならないとそのあと昼休憩が回らなくなる。休憩をきちんと取れないとマネキンさん達のテンションが下がり売り上げに響く。スタートダッシュが大事なのだ。すべてのトラブルが解決し上手く回り始めた売り場を後にして事務所に向かう。軽く20分は経っているのに伊藤が戻ってない。「何をやってるんだ?」コンクリート剥き出しの事務所に向かう細い通路で思わず口に出していたようだ。入口で総務兼事務を引き受けている女性社員の遠野さんが困った様な微妙な笑顔で俺を見る。事務所内を覗くと真ん中で脇に備品を抱えたまま、上着のポケットは両替金で大きく膨らませた伊藤がデカイ身体を縮めて電話中である。「申し訳ありません。いえっ、その様な事は決して...あ、はい、いえっ...」クレーム電話を急ぎの時に取るな!!そのまま近づき後ろから受話器を取り上げる。「お電話代わりました。おはようございます食品企画の春日です。」そのまま伊藤にサッサと行け、とばかりに手で追い払う。「山中様この度は配送日時のズレ、大変申し訳ございませんでした。ご注文頂きました時鮭ですが、売り場担当者が商品に納得せず、いつもご贔屓にして頂いている山中様に少しでも良いものをお届けしたいとお取り寄せしたのですが、私どもの配慮が足りず山中様へのご連絡が遅れまして、本当に申し訳ございませんでした。」口煩い神経質そうな客の顔が浮かぶ。「時鮭は今季終売ですが、売り場の者が是非山中様にお試し頂きたい商品があると申してますので、お近くにいらっしゃる際はお立ち寄りください。その際は私春日にもお声掛けて頂ければと...」電話の向かうでは特別扱いの好きな山中様が満足そうに口元を緩ませているのが浮かぶ。「はい、ご迷惑をおかけいたしました。また是非ご来店をお待ちしております。はい、失礼いたします。」一呼吸おいてから受話器を置く。通話ランプが消えたことを確認してから視線を上げると、課長以下さっきまで黙りこくっていた面々が苦笑いを浮かべている。「伊藤が15分頭下げ続けてたのに、春日は1分で穏便に切るか、さすが人たらし」ゼッテー褒めてない係長の声はガン無視してパソコンに向かう。来週の催事業者の宿泊手配を確認しながら、商品リストに発注を入力していく。しかしすぐに手が止まる。宿泊予約が入ってない...そのまま立ち上がると静かな怒りを眉間に溜めて足早に事務所を出る。現金管理専門の植野さんがポツリと呟く。「伊藤が役に立つ日は来るのかしら?」誰も答えなかった。

 

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