最終話 幸せ色のバレンタイン


「チョコは細かく刻めば良いんだよね」

「はい……って、それじゃあ指を切っちゃいますよ。包丁を使う時は猫の手です!」

「バターと溶かしたチョコをよく混ぜて……あっ……」

「力を入れすぎです。生地が宙を舞うところなんて、初めて見ました」


 キッチンに立つ大路さんの行動は常に予想外で、とても心臓に悪い。いつどんな惨事が起きるかと、僕はハラハラしながら見守っている。


 どうしてこんな事になっているのか?

 今日はシンデレラの公演が無事に終わって、それから二日が経った日曜日。

 二月十四日。バレンタインと呼ばれるこの日、朝早くに大路さんから電話がかかってきたのだ。


『ショタくん、お願いがあるんだ。実は、チョコレートを作ろうと思っているんだけど、全然上手くいかなくて。頼む、作り方を教えてくれないか。こんなことを頼めるのは、君しかいないんだ。美味しいチョコレートを作って、君にあげたい』


 最初これを聞いた時は、頭にハテナが浮かんだ。

 今日はバレンタインだから、僕のためにチョコレートを作ろうとしたけど、上手くできないから手伝ってほしいと。けど、普通チョコをあげる本人に助っ人を頼むかなあ?


 なんだか変な感じがしたけど、まあいいや、大路さんに頼られて、悪い気はしないもの。僕は電話の向こうの大路さんに、快く了承の返事をした。


『わかりました、大路さんの家に行けばいいんですよね』


 だけど答えた後でふと思う。お家にお邪魔するなら、何か手土産でも用意した方がいいかな? 大路さんのご両親に挨拶することになるかもしれないけど、服装はどうしよう、なんて。

 だけどそんな僕の気持ちを先読みしたらしく、大路さんがこんなことを付け加えてくる。


『そうそう、別に気を回してくれなくても大丈夫だから。今日も家族は留守だから、気遣い無用だよ』


 大路さん、それはそれでどうかと思うんですけど……。

 相変わらず、誰もいない家に僕を招く事になんの躊躇もないみたいだ。まあこれも、信頼されてるってことなのかな?


 そんなわけで、大路さんの家にやって来たわけだけど。

 薄々分かっていた通り、甘い展開になるなんて事はなくて。僕達はひたすらキッチンに立ってチョコレートと格闘するだけだった。

 けど、これはこれで楽しい。だって好きな人と一緒にお菓子を作れるんだもの。楽しくないはずがないよね。


 大路さんが作ろうとしているのはフォンダンショコラ。前にプリンを作った時と同じで、材料を多めに用意してあったから、失敗してもまた作り直して、それをひたすら繰り返していく。


「ほら、こんな感じて混ぜていくんです。やってみてください」

「こ、こうかな?」

「はい、そうです。上手ですよ」


 僕がやってみせた手本通りに、生地を混ぜていく大路さん。無器用ではあるけれど、大路さんは頑張り屋だから。多少時間はかかっても、確実に上達していくのが良い所だ。


 現に最初は混ぜる力が強すぎて、ボウルから生地が飛び出しちゃっていたけど、今はちゃんと力加減を覚えてくれている。


「ありがとう……しかしこうやって教えてもらっていると、改めて君との差を痛感させられるよ」

「差なんてとんでもない。大路さんだって、慣れればすぐに追い付きますよ。それに、少しくらいは僕の方が得意なこともないと。僕はもっと大路さんに頼られたいんですから」

「……お菓子作り以外にも、心をくすぐる術は君の方が長けていると思うけど」


 いや、それこそ大路さんの方が上でしょう。さっきから何度失敗しても、僕が手伝おうとしてもその度に、「君の喜ぶ顔が見たいから、頑張らせてくれ」「私が作らないと意味が無い」なんて言って。間近でそれを受け止める僕は、平静を装うのに一苦労なんですから。

 たぶん今作ろうとしているフォンダンショコラよりも、大路さんの一言一言の方が、よほど甘いに違いない。


 そんな事を言い合いながら、フォンダンショコラ作りは進んでいく。

 やっぱり何度も失敗を重ねていったけれど、それでもどうにか生地が完成した。


「できたよショタくん」

「おめでとうございます。後はこれをオーブンで焼くだけですね」

「ちゃんと焼けるだろうか?」

「ここまで来たら時間さえ間違えなければ、もう失敗しようがありませんよ。安心してください」


 生地をオーブンに入れて、タイマーをセットして、後は待つだけ。その間僕と大路さんはソファーに腰を下ろしながら、何でもないような話をする。

 そんな中大路さんが、少し照れたような顔をして、こんな事を聞いてきた。


「そう言えばショタくん、私達のこと、聖子には話したのかい?」


 私達のことって言うのは、やっぱり付き合い始めた事ですよね?

 僕も少し照れながら、そっと首を横に振る。


「いいえ、聖子ちゃんに限らず、まだ誰にも話してませんけど」

「そうか。実は聖子から、『おめでとう』とだけ書かれたメールが送られてきてね。話したのかなって思ったんだけど……」


 ああ、そういうことですか。

 さっきも言ったように、僕は喋ってはいないのだけど、どうやら聖子ちゃん、返事がもらえたことに気づいているのだろう。

 いったいどこで感づいたのか。姉の勘とは、恐ろしいものだ。


「まあ僕としては、別にバレてもいいんですけどね。と言うか本当は皆に、堂々と言いたいです。僕の彼女は、とても素敵な人なんだって」

「そう言われると照れるけど……でもごめんね。念のため今はまだ、伏せておいた方がいいと思うんだ」

「親衛隊の皆さんが、黙ってないでしょうからね」


 二人揃って、苦笑いを浮かべながらため息をつく。

 この前の劇では、大路さんの相手役をすると言うだけで因縁をつけられてしまった。それが今度は正式に付き合うことになったなんて言ったら、いったい皆どんな反応をするだろう? 


 あの時騒動を起こした秋乃さん達はしばらく大人しくしているかもしれないけど、親衛隊は他にもいるのだ。怒り狂った誰かが「お命頂戴いたす!」なんて言ってやってこないとも限らない。念のためしばらくは、黙っておいた方が身のためだろう。

 と言うわけで話し合った結果、内緒にすると言うことで合意している。残念だけどね。


「せっかく付き合えたのに、どこにも出掛けられないのは残念です」

「そうだね。けど、ものは考えようだよ。皆には内緒って言うのも、それはそれで悪くないと思うよ。秘密のお付き合いって感じがしてね」


 口に指を立てながら、悪戯っぽく笑う姿に、思わずドキッとさせられる。

 こういう仕草の一つ一つが僕の心をくすぐっていることを、大路さんはちゃんと分かっているのだろうか? いや、わかっていないだろう、絶対。

 狙ったわけでもないのに、素でこう言うことをしてくるのが、大路さんなんだ。


 いけない、このままじゃ幸せすぎておかしくなりそう。そうだ、そうなる前にあれを渡しておかなくちゃ。

 僕はソファーから立ち上がると、持ってきていた鞄から、ラッピングされた包みを取り出した。


「大路さん、これを受け取ってください」

「これは?」

「チョコレートです、バレンタインの。実は僕も大路さんに食べてもらいたくて、昨日作ったんです」


 中に入っているのはイチゴ味やキャラメル味など、様々な色と味をしたトリュフチョコ達。大路さんは甘いものが好きだから、喜んでくれるかなと思って一生懸命作ったんだ。

 だけど大路さんは何故か、何とも複雑そうな表情をしている。


「ええと……ショタくん、気持ちはとても嬉しいのだけど……今日は彼女である私が君にチョコを渡す日なんじゃ?」

「彼氏が渡しちゃいけないなんてルールはありませんよ。それとも、受け取ってもらえませんか?」


 だとしたら、とても残念。だけど大路さんは慌てたように、勢い良く首を横に振った。


「いや、君からの贈り物を、受け取らないはずないじゃないか。けどちょっと思うことはあるかな。きっとこのチョコに比べたら、今焼いているフォンダンショコラなんて美味しくないだろうし。そもそも君に手伝ってもらって作ってる物だし……」

「そんなことありませんよ。大路さんが、作ってくれた物なんですから。すごく嬉しいです」


 そう答えると大路さんは照れたように笑ってくれて、僕の作ったチョコを受け取ってくれた。そして……。


「ありがとうね、ショタくん」

「わっ!?」


 なんだ⁉

 後ろに回り込んできたかと思うと、首の両側から手を回された。所謂バックハグと呼ばれる状態になって、慌ててしまう。


「大路さん、これは?」

「つい嬉しくなってしまってね。もしかして、嫌だったかい?」

「いいえ、嫌じゃないです。ちょっと、幸せすぎるだけですよ」


 僕達は笑いながらじゃれあって。そうしているうちにオーブンからは、ほんのりとチョコの香りが漂ってくる。焼き上がるまでもうすぐだろう。

 それまでの間もう少しだけ、こうしていよう。


「好きだよ、ショタくん」

「僕も大好きです、大路さん。王子様みたいに凛々しくて、どんなお姫様よりも可愛い、アナタのことが」


 オーブンから漂ってくるチョコの香りを感じながら、幸せな一時を過ごしていく。


 僕らは後に、演劇部の名物カップルと呼ばれるようになるのだけど、それはもう少し先のお話だ。



                了

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お姫様な少年と女子校の王子様 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

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