アドリブと秘密の激励


 舞台上ではどうやら幕が上がったらしく、客席の方から歓声が聞こえてくる。


 僕が今いる位置からは見ることはできないけど、場面はお城の舞踏会。まずはシンデレラの、義姉達の台詞から始まる。


「王子様、どうかわたくしと踊っては貰えないでしょうか?」

「抜け駆けなんてズルいわ姉様。王子様、ダンスの相手ならぜひ、私をお選びください」


 まずは台本通りの台詞を喋る義姉達。そして続けざまに、王子様の声が聞こえてくる。


「ありがとう、君達の気持ちは、とても嬉しいよ。だけどゴメン、実はダンスの相手は、もう決まって……」

「そう仰らずに、僅かな時間だけでも良いのです!」

「そうです! ちょっと踊って、躍り疲れたわたくしを医務室に連れて行って二人きりになって、介抱しながら『もう貴女のこと以外考えられない』『わたくしもですわ、王子様』なんて言い合って、そのままベッドインしてくれるだけで結構です!」


 義姉のとんでもない要求で、館内が笑いに包まれる。先輩、さっそくアドリブを挟んできたなあ。

 これは笑いがおさまるまで、次の台詞には進まない方がいい。そこまで考えてのアドリブだとしたら、大したものだ。


 そんな先輩の手腕に感心しながらも、僕は針を持つ手を動かすのを止めない。


 今の僕はスカートをめくり上げていて、足を露にしながら破れた箇所を縫うと言う、事情を知らない人が見たら驚くこと間違い無しの格好で裁縫を行っている。

 ドレスの下に、体育で使うズボンを履いておいて本当によかった。でないとさすがに、こんな風に作業をするのは憚られるもの。


「翔太、手冷えてない? 誰か、ハロゲンヒーター持ってきて」


 聖子ちゃんが指示を出して、先輩の一人がすかさず部屋を出て行く。

 この部屋は決して暖かいわけではなく、手が冷えてしまっては作業がやり難くなるから、とてもありがたい。


 今回は何も、時間をかけて完璧に仕上げる必要なんてないんだ。

 近くで見たら応急措置をしているって気付かれるかもしれないけど、客席から見てわからないくらいのクオリティでいい。そのかわり、少しでも早く仕上げる。

 それが今回求められる『完璧』なんだ。


 僕がドレスを縫っている間にも、ステージ上では劇が進んで行って。台本以上にしつこかった義姉達を、甘い甘ーい言葉を並べてあしらった王子様は、今度はは側近から苦言を漏らされる。

 

「王子、断るならもっとキッパリと、『アンタらに興味は無い!』、くらい言った方がよかったのでは? 二人とも退散してはくれましたけど、すっかり骨抜きされちゃっていましたよ」

「うむ、そうだねえ。だったら次に似たようなことがあれば、『あんまりしつこいとお仕置きするよ』とでも言おうかな?」

「お止めください。会場中の女性がMに目覚めてしまいます!」


 妙に色気のある、ゾクゾクする王子様の声に、側近が悲痛な叫びを上げる。たぶんだけどそれは、演じている渡辺くんの本心なんじゃないかって思う。

 きっとこの劇を見ている女子生徒の何割かが、今ので既に目覚めたのではないだろうか? もし本気で演じたら、グリ女と乙木の女の子皆がMに……。

 そんな光景を想像してしまい、思わず吹き出してしまった。

 するとその直後。


「へえー、笑うだなんて余裕あるじゃないの」


 様子を見守っていた聖子ちゃんが、そんなことを言ってきた。いけない、今は縫うことに集中しなくちゃいけないのに。

 だけど聖子ちゃんは怒ったわけじゃないみたい。


「良いのよそれで。切羽詰まった顔して縫われてたんじゃ、見てるこっちがハラハラするもの。ここで精神すり減らしたらドレスは直っても、舞台に立った時どうなるかわからないものね」


 そう言えば。ついドレスを直すことばかりに集中していたけど、それで終わりじゃないんだった。

 僕はこの後も、シンデレラを演じなくちゃならないのだから。


「笑っていられるのは、大丈夫な証拠なんだから、焦らずにやってちょうだい」


 聖子ちゃん……。

 思えば今まで生きたきた中で、聖子ちゃんからこんな暖かい言葉を掛けられたことがあっただろうか?

 信じられない優しい対応に、小さな感動を覚える。


 そんな中、王子様と側近の会話はさらに続いて、今は王子様の好みのタイプについて話をしている。


「王子、本当に好きなタイプの女の子はいないんですか? このままでは男色の気があるなんて噂が立って、BL展開を期待されちゃいますよ」

「そうだねえ。それはそれで面白そうだけど、好きなタイプか……。気になる子なら、いないわけじゃないんだけどね」


 舞台の上でにんまりと笑っている大路さんの姿が、容易に想像できる。そして……。


「前に冬の寒い日に、手編みのマフラーをプレゼントする、年下の子がいてね。強いて言うなら、その子がタイプかな」

「ーーッ!?」


 思わず、針で指を刺してしまいそうになった。

 聞こえてくる大路さんの声に、動揺せずにはいられない。マフラーをプレゼントした年下の子、それって……。


「へえ、何だか意外ですね。プレゼントなんて、王子なら捨てるほど貰っているでしょうに」

「せっかくのプレゼントを、捨てたりはしないけどね。それにマフラーは、あくまできっかけだよ。だけどそれから、その子の健気に頑張る姿を自然と目で追うようになって、意識するようになっていったかな」


 大路さんの台詞を聞きながら、針を動かす手を止めはしなかったけど、同時に心臓のドキドキが止まらなかった。

 今言っているのって、もしかして僕のこと? 


 意外すぎるアドリブに動揺していると、聖子ちゃんが口に手を当てながら、ニヤニヤと僕を見つめている。


「……なに?」

「別にー。何でもなーい」


 絶対に何でもなくなさそうな笑みを浮かべているけど、面倒だから放っておこう。

 するとステージの方から、締めの言葉が聞こえてくる。


「その子は今もどこかで、きっと頑張っているに違いない。私はそんなあの子に、エールを送りたいよ」


 しみじみとした、大路さんの声。

 もしかして、僕のことを応援するために、こんな話をし出したのかも。


 たぶん、そうなのだろう。お互いに顔を見ることもできないけれど、針と糸を手に、ドレスと格闘している僕に宛てた、秘密のメッセージ。

 だけどそうとは知らない側近、渡辺くんが、感動した風に漏らした声が聞こえたくる。


「まさか、王子がそのように思っている方がいただなんて。それはいったい、どこぞの姫君ですか?」

「うーん、どこのって言ってもねえ……」


 大路さん、応援してくれたは良いけど、いったいこの後どうするつもりなのだろう?

 するとすぐに、笑ったような声で、返事が返ってくる。


「本の中だよ。今の話、実は小説の中の出来事なんだ。マフラーをプレゼントするような健気なヒロインに、私は夢中だよ」

「は? ……王子、アナタという人は! わたしの感動を返してください!」


 客席から笑いが起きる。悪ふざけのすぎる王子様に、側近が激怒する。

 たぶん今渡辺くんは、顔を真っ赤にしながら怒っているに違いない。


 それにしても、すごいのは大路さんだ。

 何せ今朝復帰が決まったばかりなのに、与えられた王子様の役をこなすだけじゃなくて、こんな風にアドリブも完璧にこなしてくるだなんて。


 やっぱりあの人は、僕の憧れだ。これは、負けちゃいられない。

 完了まであと数針。僕は素早く生地に糸を通していって、縫い終えたところで、しっかりと玉結びを作って……できた!


 僕は立ち上がると、縫い終わったばかりのスカート部分をはためかせて、見守ってくれていた皆に見せる。


「終わりましたよ。どうです、おかしな所はありませんか?」


 僕はスカートの裾をつまみ上げたり、クルっとターンして見せて。すると皆は、安心したように顔を綻ばせてくる。


「大丈夫、完璧に仕上がってるよ」

「よし、舞台の上にいる満達にも、急いで知らせなくちゃ。さすがにそろそろ、アドリブも限界っぽいし」


 一人がそう言うと、西本さんがステージとの出入口からそっと顔を覗かせて、大路さんや渡辺くんに向かって、頭の上で大きく丸を作った。

 これでちゃんと、伝わったはず。


「さあ、出番よ翔太。台詞はちゃんと覚えているでしょうね?」

「任せてよ。伊達に今まで聖子ちゃんにしごかれてきた訳じゃないんだから」


 ハプニングはあったけど、これくらいで調子を崩したりはしない。

 自分の両頬をパンと叩くという、おおよそシンデレラらしくない気合いの入れ方をして、僕はステージの入り口へと立った。

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