終幕
「ごめんなさい。もう、行かないと」
「行くって……君、待ってくれ!」
王子様の制止を振り切って、シンデレラは走り去っていく。最後に、ガラスの靴を落としながら……。
「これは……あの子の忘れ物?」
……舞踏会のラストシーンが終わって、舞台が暗転。僕も大路さんも舞台袖へと戻って来る。
「ショタくんお疲れ。ドレス、バッチリ直ってたね」
「はい。大路さん達が場を繋いでくれたおかげです」
ステージを降りた僕と大路さんは、顔を見合わせながら笑い合う。
破れたスカートを縫い直したり、アドリブで場を繋げたりと、とにかく大変な舞踏会になってしまったけど、皆で協力して、何とか乗り切ることができた。
すると聖子ちゃんがこっちに近づいて来て、大路さんの肩をポンと叩く。
「良かったよ満。復帰したばかりってのが嘘みたい。怪我した所は痛んでいないよね?」
「平気だよ。もう完治したって、聖子だって聞いただろう」
さっきまでステージの上で王子様を演じていた大路さんだけど、今は素の状態に戻っている。こんな風に気持ちを切り替えられるのも、必要なスキルなのかもしれない。
するとここで聖子ちゃんが、僕を横目で見て。それから大路さんに問いかける。
「そう言えば満から見て、翔太の様子はどうだった? ここからじゃ顔はよく見えなかったんだけど、緊張で真っ白になっていなかった?」
突然名前を出されて、思わずドキッとする。
大きな失敗はなかったと思うけど、緊張していた時の自己評価なんて当てにならないからねえ。だけどそんな不安を払うように、大路さんが笑いかけてくる。
「大丈夫だったから、安心していいよ。聖子も意地悪だぞ、ちゃんとできてたかどうかくらい、本当はわかっていたんだろう?」
「バレたか。ごめんごめん、戻って来たときの翔太が、あまりに余裕無さそうだったから、つい」
それは自分でも何となく分かってる。演技をしていた時はそうでもなかったのに、舞台から下りた途端に緊張の糸が切れたみたいで、一気に疲れと不安が押し寄せてきてたのだ。きっと凄く、疲れきった顔をしてたんだと思う。
だけどそんな僕を労るように、大路さんが笑いかけてくる。
「今日が初舞台なんだから、無理もないよ。緊張しつづけるのは、疲れるからね。短い時間でも出番が無い時は、深呼吸して気持ちを落ち着かせたほうがいいよ。ステージの上で緊張の糸が切れてしまったら大事だもの」
「そうします。でも大路さん達は、全然余裕って感じですね。僕も、それから渡辺くんも、ワンシーンをこなしただけでこんななのに」
僕と同じく初舞台の渡辺くんも、いっぱいいっぱいといった様子で。さっきから深呼吸を繰り返していた。
「灰村の言う通りですね。俺、柔道やってた時は試合で緊張したことなんてなかったのに、今日は全然違うんだもの。先輩達マジスゲーわ」
渡辺くんも、他の乙木組も、うんうんと頷いてくる。自分達と先輩達との差を、改めて見せつけられた気がする。だけど……。
「あはは、それは当たり前よ。アタシ達の方が多く場数を踏んでるんだから」
「だけど裏を返せば、積み重ねていったら自然と慣れるって事だから。むしろ皆は、まだ中学生なのに、もう私達に交ざってやってるでしょ。来年の今頃には、きっともう板についてるよ」
口々にそんなことを言ってくる先輩達。
まだ今一つ想像できないけど、話しているうちにだんだんと、高鳴っていた心臓が落ち着いてきた。
本番中は劇のことだけを考えなきゃって気持ちでいたけど、こんな風に雑談をすることで、気を張りすぎなくなるのもしれない。また一つ、大事なことを学んだ。
するとここで、セットの交換をしていた先輩達が、準備が終わったことを告げてきて。聖子ちゃんが皆に号令をかける。
「さあ、後はもうラストまで突っ走るだけなんだから。最後まできっちりやりとげるよ」
「「了解!」」
そして、劇は再開される。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ようやく見つけたよ、私だけのお姫様」
優雅な雰囲気を醸し出しながら、ハスキーな声を響かせる王子様。
僕達が演じているのは、最後のシーン。ガラスの靴を持った王子様とシンデレラが、再会した場面。
今二人はシンデレラの家で、人払いをして二人きりで話をしている。
だけど再会を喜ぶ王子様に対して、シンデレラはどこか委縮した様子。
「そんな、お姫様なんて言わないでください、あの夜の私は幻です。本当の私は見ての通り、召使同然の娘にございます。アナタと一緒にいるわけには、いかないのです」
「シンデレラ……それが君の本心だと言うなら、潔く身を引きましょう。だけど私は、本気であなたを愛しています。周りが何と言おうと、この気持ちに嘘はありません。アナタは、同じ気持ちでは無いのですか?」
王子様は一歩近づいてきて。僕は思わず身を縮めたけれど、恥ずかしそうに上目遣いをしながら、王子様を見る。
「ズルいです……。そんな風に言われたら、違うだなんて言えないじゃないですか」
「そう、それでいい。嘘をつく必要なんて無いよ。アナタを探している間、ずっと不安でした。もたもたしている間に、アナタが手の届かない所へ行ってしまうのではないか。誰かに、奪われてしまわないか。そんな事ばかり考えて。だけどやっと……」
台詞に僅かな間があった。
真っ直ぐに僕を見る大路さんの表情が、幸せそうなものへと変わる。
そこにあるのはいつもの凛々しさじゃなくてとても……とても幸せそうな。王子様と言うよりも、まるで恋する女の子のような……。
だけどそれは本の一瞬の出来事。すぐにまたキリッとした顔へと戻った大路さんは大きく息を吸い込むと、真っ直ぐに僕を見る。
「やっとアナタに触れられる」
そして王子様は一気に距離をつめてきて、僕を力強く抱き締める。
「ーーっ!」
歓喜に包まれる体育館。
同時に僕は今までで一番、心臓が跳ね上がっていた。このシーンは、大路さんと練習していた時から、ある意味最も苦手としていた場面。
だって演技とはいえ、好きな女の子に抱き締められるんだもの。柔らかな感触とか、シャンプーの匂いが感じられて、どうしても意識してしまう。
けど、ドキドキしてばかりはいられない。
大路さんの腕の中に包まれたまま、僕は少しずつ、落ち着きを取り戻していく。
今は劇に集中するんだ。台詞をちゃんと思い出せ。
だけどそんな中、僕は違和感を覚えていた。
それはさっきの大路さんの台詞、「アナタに触れられる」の前にあった、小さな間。
ほんの僅かなものだったけど、何故だかその一瞬だけ、今まで演じてきた王子様とは違う、別の何かを感じたのだ。
あんな間、練習の時には無かったのに。たまたまなのかな?
それは別に、気にする必要なんて無いくらいの小さな違い。
思い過ごしと言われれば、そうかもしれないけれど、あの一瞬は演じていた王子様と言うよりも、そう……素の大路さんの表情が見えたように思えた。
ただの勘違いなのかもしれないけど、それでも気になってしまって。
大路さんの腕に抱かれたドキドキを落ち着かせようとしていたはずなのに、余計なことばかり考えてしまう。すると……。
「……ショタくん、台詞」
耳元で囁かれて、ハッと我に帰る。いけない、ラストシーンだって言うのに、何をやっているんだ。
余計な雑念を捨てて、演技に集中する。
「王子様……もう、自分に嘘はつきません。この先どんな困難が待っていても、私は決して、アナタの傍を離れません。アナタが私に、前に進む勇気をくれたんです!」
慌てて言った台詞だったけど、噛む事なく言い終わることができた。
そして僕達は少しだけ離れて、互いに見つめ合って。王子様は凛々しい目をしながら、そっと僕の肩に手を置いてくる。
「シンデレラ……アナタの事を、愛しています」
「私もです、王子様!」
再び熱い抱擁を交わす二人。感動のラストシーンだ。
館内は歓声に包まれて。そして物語の終わりを告げるナレーションが、ゆっくりと流れる。
「無事に再会を果たしたシンデレラと王子様。こうして二人は、永久に結ばれるのでした……」
ナレーションが終わった後、館内は拍手に包まれふる。
大路さんを強く抱きしめながら、そっと横目で客席を見ると、最前列には川津先輩がいて、そのすぐ横には水森先輩が目を輝かせながら、こっちを見ている。他の観客と一緒に、歓喜の声を上げている正人もいた。
皆、見に来てくれて本当にありがとう。
そう思っていると緞帳が閉じられてきて、ステージを隠していく。
予定ではこの後、演劇部員全員が並んで最後の挨拶をする事になっているけど……。
そんな中ふと、耳に柔らかい声が届いた。
「好きだよ、ショタくん。シンデレラじゃなくて、君のことが」
「えっ……」
思わず顔を上る。
緞帳が閉じていて良かった。本当は余韻を残すために、抱き合った姿勢を維持していなきゃいけなかったけど、僕はこんなことを言われてじっとしていられるような超人じゃない。
目の前にはさっきまでのクールで凛々しい表情から一転。笑っている大路さんがそこにはいた。
「大路さん、それって……」
「君が好きだよ、ショタくん……大好きだ。ふふ、やっと言うことができた」
屈託無く笑う大路さんは、とても幸せそうで。それは今まで見てきたどれとも違う、最高の笑顔だった。
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