思いがけないハプニング

 場面は変わって、舞台は再びシンデレラ達の家。

 継母と義姉達はきれいなドレスに身を包んで舞踏会に行くけど、シンデレラは一人寂しくお留守番で。そこに魔女がやってきて綺麗なドレスとガラスの靴が与えられたけど……。

 もしかしたらここが、この劇で一番大変なシーンかもしれない。


 舞台上では雪子さんが演じる魔女がニコリと笑って、僕に向かって杖を掲げる。


「私の魔法で、その服を綺麗なドレスに変えてあげましょう……えいっ!」


 その瞬間効果音が流れて、ステージは暗転。同時に、僕は急いで舞台の袖に向かって走った。


「ショタくん急いで」

「ドレスの準備はできてるよ」


 舞台袖に入った瞬間、ドレスを用意して待ち構えていた先輩達が迎えてくる。

 このシーンが大変な理由。それは、暗転している短い間に、素早くドレスに着替えなきゃいけないのだ。

 ここで時間がかかりすぎたら、話のテンポが悪くなる。いかに早く着替えられるかが、大きな鍵なのだ。


「ショタくん、早く早く」


 先輩に急かされながら、僕はそれまで着ていた地味な衣装を脱ぎ払った。

 内側に、上下共に着ていた体育服が露になって、次は急いでドレスを着ないといけない。


 僕が着るのは、純白のふんわりとしたドレス。

 ヒラヒラとした面積の多いスカート部分を舞い上げて、頭からすっぽりと被ると言う粗っぽい着替え方。そう広くはない室内で、僕はダイナミックに着替えていく。


 さて、どうにか着替え終わって、おかしな所は無いかと確認しようとすると……。


「ショタくん急いで! もう待たせられないよ!」

「え、もうですか⁉」


 こんな感じで、それはもう大急ぎ。

 だけど何とか照明が付いた時には、舞台の元いた場所に、美しいドレス姿で立っていた。

 

「まあ……こんな素敵なドレス、着たことありません。魔女さん、ありがとうございます!」

「いえいえ、どういたしまして。舞踏会、楽しんでくるんですよ」


 ステージの上で横向きに立ち、ドレスの裾を持ち上げる。

 するとその仕草が可愛く映ったのか、客席は大いに湧いていた。普段は何の役にも立たない女顔が、こういう時は活かされるみたいだ。


 さあ、次は舞踏会に行く件だ。

 魔女にもう一度お礼を言ってペコリと頭を下げた僕は、踵を返して去っていく……はずだったんだけど。


「魔女さん、何から何まで、本当にありがとうございます。私、舞踏会に行ってきますね!」


 そう言って、魔女に背を向けようとした次の瞬間、不意に魔女が……雪子さんが台本に無い動きを見せた。


「待ってシンデレラ!」


 え、こんな台詞、台本にはなかったよね?

 だけど雪子さんは何を思ったのか足早に歩み寄って来ると、混乱する僕の体をいきなり抱き締めてきた。


「えっ、ま、魔女さん?」

「動かないで。このまま黙って、話を聞いて」


 突然の行動に、僕は戸惑うばかり。

 観客席に目を向けると、若干のざわつきがあったけれど、それもすぐにおさまって。きっとこれも、アドリブではなくちゃんとしたストーリーだと思っているのだと思う。それにしたって雪子さん、いったいどうしてこんな事を……。


「……スカート」

「えっ?」

「スカート、裂けてる」


 聞こえるかどうか分からないくらいの小さな呟きに、キョトンとする。

 すると雪子さんの視線が、ゆっくりと僕の足元……いや、スカートの左側へと移っていって……あっ!


 思わず声を上げそうになったのを、何とか飲み込んだ。

 視線の先では、なんとドレスのスカートの左側に大きな裂け目ができていて、そこから足が露になっていたのだ。


 何で!? こんな裂け目、いったいいつできたの!?


 足首まで丈のあるロングスカートだったけど、それが膝くらいまできれいに裂けている。

 思い出されるのは、さっきの早着替えの時のこと。広くない室内で急いで着替えたものだから、もしかしてその時、どこかに引っ掻けて破れてしまったのかもしれない。


 このドレス、舞台映えするようふんわりとした素材を使っているけど、実は引っかかりやすいのだ。けど、よりによって本番中に破けるだなんて。


 マズイ……マズイマズイマズイ!

 頭の中で警鐘が鳴る。幸い、スカートの破れは背景側を向いていて。つまり客席からは死角になっているはずだから、大変なことになっているとはバレていない。けどもし台本通りに踵を返したら、確実にバレてっていただろう。

 危ないところだった。けど、これじゃあ今からどうやって退場すれば良いの?


 困ったけど、とにかくいつまでもこうしているわけにもいかない。僕と雪子さんは目配せをしてから、アドリブで会話を続けていく。


「シンデレラ、アナタは今まで、たくさんの苦しみに耐えてきました。だけど今日は、思う存分楽しんできてください。大丈夫、!」

「魔女さん……ありがとうございます。私、今だけは自分に正直になります。夢だった舞踏会に行くまで、

「ええ、その意気ですシンデレラ」


 その場でとっさに考えた、アドリブの会話。だけど僕達は何も、時間稼ぎのためだけに無意味な話をしているわけじゃないんだ。

 すると、僕達の話に合わせるように、ナレーションが聞こえてくる。


「こうして、魔女の助けを借りたシンデレラは、カボチャの馬車に乗って、お城へと向かうのでした……」


 聞こえてきたそれは、本当なら僕が舞台の袖にはけた後に流れるはずだった台詞。だけど僕はまだステージの上にいるにも関わらず、予定を前倒しして流れている。


 そしてここでまた、当初の予定とは違う事が起きる。

 演劇部の先輩が二人、ステージの両脇にぐるぐるに巻かれていた緞帳を手にして、中央へと向かってきた。


 そしてそのまま真ん中まで来た時には、ステージは緞帳によって客席から遮断されて。僕の姿は、外からは完全に見えなくなった。


「ショタくん、雪子、大丈夫だった?」


 駆けつけてくれた先輩の一人が、焦ったような顔をして尋ねてきたけど、僕と雪子さんは揃ってうなずいた。


「はい、何とか」

「上手くいってよかったぁ。秘密のサインが、初めて役に立ったよ」


 一仕事終えた雪子さんが、安堵の声を漏らす。

 秘密のサイン。そう、さっきの僕達の会話には、ちゃんとした意味があったのだ。


 雪子さんが言った、「何も問題はありません」。実はあれは、部員達だけが知っている秘密のサイン。

 急にアドリブを始めて、「問題無い」と言う台詞がを言ったら、それは問題が発生したと言うメッセージなのだ。

 これで何か不測の事態が起きた、ことを舞台の袖にいる他の皆に伝えることができるようになっている。


 そしてその後、僕が言った「幕を閉じたりしません」。これは、『幕を閉じてほしい』と言いう意図が込められていた。

 正しく伝わるかどうかなんて分からなかったけど、そこはさすがベテランの先輩達。意図を理解して、こうして緞帳を閉じてくれた。

 普段から即興劇をやっていて良かったって、今は心底思う。おかげて、咄嗟のハプニングでも、臨機応変に対応することができた。今のところは、だけど。


「これ、どうしよう? 大きく破けてるけど、この後、舞踏会のシーンだよね……」


 裂けたスカートを見つめながら、表情が固くなる雪子さん。

 そう、どうにかこの場をしのぐことはできたけど、まだ根本的な問題は解決していないのだ。


「とにかく、いったい舞台袖にはけましょう。話はそれからです」


 ステージの上で悩んでいても、何も始まらない。僕達は急いで舞台袖に移動すると、大路さんと聖子ちゃんが、慌てたように声をかけてくる。


「ショ、ショタくん。さっき雪子と抱き合っていたのはいったい……って、そのドレスはどうしたんだい!?」

「あちゃー、大きく破けちゃって。中にズボン履いてなかったら大惨事だったよ」


 大路さんも聖子ちゃんも、それに他の部員達も、瞬時に状況を理解した様子。皆裂けてしまったドレスを見て、唖然としている。

 無理もない。これじゃあ舞踏会でダンスなんて、絶対に踊れないのだから。


「どうする? 替えの衣装は……無いよね?」

「今から直すことはできないの? この際、ガムテープでくっつけるでもいいからさあ」


 朝美さんがそんなことを言ってきたけど、さすがにそれは無理がありますよ。

 何とかするには、やっぱりちゃんと縫い直さないといけない。だけど今から衣装を脱いで、破れた箇所を縫い直して、それでいて着替え直す……ダメだ、時間がかかりすぎる。


 予定ではこの後、舞踏会のシーンに移って、最初は乗り気でない王子様の様子が描かれるけど、それが終わると再び僕の出番になる。その短い間に、何とか対処しなければいけないと言うのに。

 ……いや、まてよ。


「……聖子ちゃん。裁縫道具って、すぐに用意できる?」

「え? そりゃあできるけど……まさか今から縫い直そうって言うの!?」


 驚いたように目を丸くしたけど、だってそれしか方法がないんだもの。

 それに、普通のやり方で縫い直そうなんて思わない。


「縫い直しは僕がやるから。裁縫なら得意だし、それにスカート部分なら、ドレスを着たまま縫うことができる。着替える手間が要らないなら、普通に縫うよりも早く終わるよ!」


 間に合うかどうかなんて分からないけど、きっとこれが最善の策。

 僕は大路さんや渡辺くん、次のシーンで舞台に立つ予定の人達に頭を下げる。


「大路さん、お願いがあります。なるべく早く終わらせられるよう頑張りますけど、それでもやっぱり時間はかかります。だからそれまでの間、アドリブを挟んで場を繋いでもらえませんか?」

「私達が、時間稼ぎをすればいいんだね。けど、それで本当に大丈夫なのかい? 私は裁縫のことはよくわからないけど、間に合わせられる?」

「間に合わせられますよ。絶対に」


 本当は、大丈夫な保証なんて無いのだけれど、分からないなんて不安な事は言えない。

 大路さんはそんな僕をじっと見つめたけど。すぐに覚悟を決めたように、皆に目を向ける。


「皆、聞いての通りだ。縫い直すまでの時間を、私達で稼ぐんだ。大丈夫、ショタくんなら、きっとやってくれる」


 その言葉に、どれ程の根拠と確信があったのかはわからない。

 だけど疑う気持ちなんて微塵も感じさせない目が、下手に理屈を並べるよりもずっと心に響く力強い声が、皆を奮い立たせる。


「……そうだね。ショタくん、任せておいてよ。アタシ達で場は繋ぐからさ」

「アドリブなら任せておいて。伊達に毎日、即興劇やってないって所を見せてあげるから」


 さっきまでは不安そうにしていたのに、自信のある態度でそう言ってくれる皆が頼もしい。

 そして側近役の渡辺くんも、少し遅れて激を飛ばしてくる。


「先輩達みたいに上手くできるかはわかんねーけど、俺も頑張ってみるからさ。灰村はゆっくりドレスを直してくれよ」


 僕と同じで初めての舞台でのトラブル。頭の中が真っ白になってもおかしくないのに、こんな風に言ってくれるだなんて。


 すると丁度そのタイミングで、裁縫箱と糸を用意した先輩がやってくる。


「ショタくん、これ使って。糸はドレスと同じ白い糸を用意したけど、いいよね」

「はい、ありがとうございます」


 裁縫箱と糸を受け取っていると、ステージの準備の様子を確認していた聖子ちゃんが、皆に告げてくる。


「これ以上セット替えに時間を割くわけにもいかないね。と言うわけで皆、頑張って場を繋いで。翔太は翔太でできるだけ急いで、けどちゃんと丁寧に、ドレスを縫い直すこと。大丈夫、アタシ達ならできるから。それじゃあ、行動開始!」


 号令と共に、皆慌ただしく配置に着きはじめる。

 僕も部屋の隅にあった椅子に腰かけて、裁縫箱の中から取り出した縫い針に、糸を通し始める。


「ショタくん、ドレスは頼んだよ。こっちは任せておいて」

「はい、大路さん達も、どうか頑張って」


 そう言えば大路さんと最初にあった日、駅で女の子のワッペンを縫い直したんだっけ。今からやるのも、あの時と同じ。針と糸で、素早く生地を縫い合わせていくだけだ。


「……伊達に乙木の姫君なんて呼ばれていない所を見せてやる」


 僕は勢いよくスカートを捲り上げると、手にしていた針を突き刺した。

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