シンデレラ開幕

 朝に一騒動あったけど、それからミーティングは順調に進んで。それからグリ女と乙木、それぞれで授業を受けた後、迎えた放課後。僕達演劇部は全員、グリ女の体育館の舞台裏へと集まってきた。


「いよいよ本番だな。ああ、何だか緊張してきた」

「渡辺くん、もし本番で緊張したら、観客は皆、カボチャだって思うといいらしいよ」

「よし、カボチャだな……って、ダメだ。カボチャだと馬車にされちまう!」


 渡辺くん相手に、そんなおかしな会話をしているけど、緊張しているのは僕も同じ。何せ体育館の中は文化祭の時と同じで超が付くくらいの満員なのだから。

 乙木の生徒もかなりの数が来ているから、敷き詰められた椅子なんてとっくに埋まっていて、立ち見客まで出ていた。


 主演の大路さんが怪我をして出られないと言うことで、不安視する声もあった今日の公演。

 だけど皆、いったいどこで話を聞いたのだろう。休み時間や昼休み、大路さん復帰の真偽を聞いてくる人が後を絶たなかったのだ。

 皆が大路さんの復帰を喜んでくれている。だからそんな期待を裏切らないよう、今までやって来たことの全部をぶつけるんだ。



 そう広い訳じゃない舞台裏で息を潜めながら、始まりを待つ僕ら。役者組は、皆もうとっく衣装に着替えていて、いつもと違う雰囲気を出している。


 もちろん僕も、中世ヨーロッパの町娘といった感じの地味な紫色をした衣装を着ていて、長めのスカートを履いている。家で聖子ちゃんや桃ちゃんのお下がりを着ることはあっても、こんな感じの服は着なれていないから、変な感じがするなあ。


 もちろんメイクまでバッチリされて、鏡で見た自分の顔は、女の子そのもの。ビックリしたけど、シンデレラを演じなきゃいけないんだから、これくらいはやらなくちゃね。


 そんなことを思っていると、聖子ちゃんが皆の前に出てきて、最後の挨拶をしてくる。


「さてさて、いよいよ本番だけど、準備は良いね。乙木の子達はこれが初めての舞台だけど、いつも通りやれば良いんだから。あまり気負いすぎないで、楽しんでくること。以上!」


 最後の挨拶だと言うのに、何だか軽い言葉。だけどそれがかえって皆の緊張をほぐしたのか、それまでガチガチだった乙木のメンバーの表情が、柔らかいものになってくる。

 

 そんな聖子ちゃんの話は終わった後、僕は部屋の隅にいた大路さんへと目を向けた。

 ラプンツェルの公演の時と同じ、僕が作った衣装を着ている大路さん。そんな彼女に近づいて、そっと声をかける。


「大路さん」

「ああ、ショタくん。どうしたんだい? 本番前で、やっぱり緊張してしまうかい?」


 背の低い僕を覗き込むようにして、いつも通りの柔らかな面持ちでそう言ってくる大路さん。けど、そういう訳じゃないんです。

 僕は周りの様子に気を配りながらこっそり小声で尋ねてみる。


「大路さん、今日の舞台に拘っているのは、どうしてなんですか?」


 聖子ちゃんに懇願していた大路さんは、強い決意があったように思えて。一生懸命練習してきたのだから、舞台に立ちたいと思うのは、そりゃあ当然だろうけど……。


 文化祭でラプンツェルの公演を行った時は、劇を見てもらって川津先輩に告白しようと思っていたのだから、必要以上に意気込む気持ちはわかる。

 だけど、今日はどうして? 文化祭の時と同じ……いや、もしかしたらそれ以上の強い意思を感じて、その事が気になっていたのだけど……。


 するとなぜだろう?

 大路さんは何故かジトっとした目で見つめてきて、呆れたようにため息をつかれた。


「ショタくんがそれを聞くのかい? 他ならぬ君が」

「え、ええと……ごめんなさい。僕何か、間違えてしまいたか?」

「いや、いい。責任は私にあるんだから」


 大路さんが言っていることの意味はよくわからなかったけど、何となく僕が無関係じゃないというニュアンスは伝わってきた。

 だけど僕が何か言うよりも先に、大路さんは話を切り上げる


「まあその話は置いといて。それよりも今は、劇に集中しよう。緊張はしていないかい?」

「大丈夫です。シンデレラをバッチリ演じきってみせますから」


 本当は少し緊張していたけど、強気な態度で笑ってみせる。

 聞きたかったことはぐらかされてしまった気がしたけど、言いたくないのなら無理に聞かなくてもいい。大路さんの言った通り、今集中すべきは劇なのだから。


 そして迎えた開幕の時間。まずは舞台の上に聖子ちゃんが立って、来てくれた人達に挨拶を始める。


「今日は我がグリ女演劇部のために集まってくださってありがとうございます。私達は来年合併する乙木の生徒も加えて、この日の為に日々練習に励んできました。新生演劇部の初公演、どうか最後まで御堪能ください」


 文化祭の時と同じ、しっかりとした挨拶。それが終わったら、いよいよ劇の始まりだ。

 最初は、意地悪な継母や義姉達にシンデレラが虐められているシーン。緞帳が上がり、中世ヨーロッパの民家を彷彿させる背景と、家具が置かれたステージが露になって。ナレーションが体育館に響く。


「それはまだ、人の願いが叶っていた頃のお話。ある国の城下町にあるお屋敷に、灰かぶり……シンデレラと呼ばれている女の子が住んでいました……」


 まずは継母や義姉達を演じる先輩達が、ステージに姿を表した。

 そして義姉役の一人が、置かれている彫刻をそっと指で撫でながら、これ見よがしに言ってくる。


「あらお母様、お部屋が汚れていますわね」

「まあ、本当ね。掃除はしっかりしろといつも言っているのに、あの子は本当にグズなんだから。シンデレラ、シンデレラー!」


 鼻につく意地悪そうな声でシンデレラを……僕を呼ぶ先輩達。さあ、出番だ。


 落ち着け、何度も練習したじゃないか。台詞は完璧に覚えているし、いつも通りやれば問題ないはず。

 そう言い聞かせながら、舞台の袖からステージへと、歩を進めて行った。


「はい、何でございましょうお義母様?」


 よし、ちゃんと言えた。

 客席に目を向けると、当然だけど皆僕に注目している。文化祭の時は、僕もあそこで見る側だったなあ、なんて。そんなことを思ってしまう。

 衣装を作りはしたけど、あれはあくまで協力しているだけ。でも今は違う。演劇部の正式なメンバーとして、舞台の上にいるんだ。


 そんな僕に……シンデレラに、継母や義姉の、容赦無い叱責が飛んでくる。


「まったく掃除の一つもできないだなんて、何の役にも立たないのね」

「すみません。でも、忘れていた訳じゃないんです。頼まれた買い物に行ってて、後回しになってしまっていました」

「言い訳だけは一人前ね。いいからさっさとやっちゃいなさい」


 家族から虐められて、だけどそれでもひた向きに頑張る、健気なシンデレラ。


「大丈夫、真面目に生きていればきっと良い事があるって、亡くなったお父様も言ってたもの」


 そこでステージを照らしていた明かりが消えて、舞台が暗転する。


 さあ、急がなくちゃ。

 素早くステージの袖に引っ込むと、入れ替わりに先輩達がステージに上がって、セットの交換を始める。その様子を眺めながら、僕はそっと息を吐く。


「はぁー、何とか乗りきれたぁ」


 とても……とても緊張していた。

 あんなに練習したのに、ステージの上でやるそれは、今までとは全然違っていて。だけど自然と台詞を言うことができたのは、やっぱり毎日練習していたおかげだろう。家に帰っても練習に付き合ってくれた聖子ちゃんに、心から感謝する。

 未だに暴れそうな心臓を落ち着かせていると、雪子先輩がこっちにやって来て、ポンと肩を叩いてきた。


「初めてで緊張したでしょう。でも良かったよ、演技もちゃんとできてたし」

「ありがとうございます。本当にいっぱいいっぱいで、自分じゃよく分からなかったんですけど、声、聞き取りにくくなかったですか?」

「全然。バッチリだったよ。初めてだから色々心配だろうけど、大丈夫。皆必ず通る道だから」


 胸を撫で下ろしながら、再び舞台に目をやると、次のシーンが始まる所だった。

 舞台はお城の一室。舞踏会の日が間近に迫っているのに、今一つ乗り気になれない王子様の様子が描かれるこの場面。

 原作には無かったシーンだけれど、この劇においては王子様の内面を表すための重要なシーン。


 そしてその王子様が舞台に足を踏み入れるや否や、客席から歓声が上がった。


「大路さんだ!」

「満センパーイ!」


 まだ台詞すら言っていないのに、ステージに立っただけでこの盛り上がり。大路さん、やっぱり凄いなあ。改めて存在の大きさを感じさせられる。


「大路さん、やっぱり大人気ですね」

「まあね。けど、ショタ君の時も凄かったじゃない。『灰村くーん』とか、『乙木のお姫様だ』とか言う声が聞こえてたよ」

「そうだったんですか? 全然気付きませんでした」


 そんな風に言われていたなんてちょっと恥ずかしいけど、嫌な気持ちにはならない。


 ステージ上では大路さん演じる王子様と、渡辺君演じる側近が話している。

 渡辺君も僕と同じでこれが初舞台だけれど、はたして大丈夫だろうか? それに大路さんも、復帰したばかりでちゃんとできるのか?


 だけどそんな僕の心配をよそに、大路さんのハスキーボイスが、館内に響く。


「まったく、舞踏会で花嫁を決めろだなんて、父上も無茶を言ってくれる。そう簡単に見つけられたら、苦労しないと言うのに」


 面倒くさそうに愚痴を溢す王子様。だけどそれでも、優雅さは微塵もなくなっていないと言うのがすごい。

 そして続けて、乗り気じゃない王子様を、側近の渡辺君が宥める。


「そうおっしゃらずに。国王様は、早くアナタに身を固めてもらいたくて必死なのです。何せこの国の未来がかかっているのですから」


 渡辺君の台詞もハッキリと聞こえていて、さっきまで緊張していたのが嘘のよう。

 出だしは好調。そして二人の会話が進んでいく。


「けどねえ、生涯を共にする相手なんだ。本当はもっと自由に気長に探したいよ」

「そんな事を言われても。だいたいアナタ、この子は違うあの子も違うって言って、目ぼしい相手との縁談は軒並み断ったでは無いですか」

「それは仕方ないだろう。皆、下心が見え見えなのだから。王妃と言う立場に惹かれて寄ってくる人を、本気で好きになれると思う? 選ぶならもっとちゃんと、信頼できる人でないと。そんな邪な考えで寄ってくる人達よりは……」


 大路さんは……いや、王子様はそっと側近の顎に手を持っていって、怪し気な笑みを浮かべる。


「ちゃんと私の事を真に思ってくれている人を選ぶさ。例えば君のような、ね」

「王子、ご冗談を! いくらなんでも、お戯れが過ぎますぞ!」

「ふふ、冗談だよ。ああ、でももし君が女性だったら、もしかしたら……」


 思わせぶりな台詞と、妖艶な笑み。 側近は慌てているけど、会場は大爆笑だ。


「お、ウケてるウケてる」

「渡辺君もいい演技してるじゃない。慌てた様子が様になってるよ」


 隣いにる先輩達がそんなことを言っているけど、渡辺君のあれは本当に演技なのかなあ? 


 それにしても大路さん、昨日まで怪我でまともに練習もできなかったと言うのに、それをまるで感じさせない堂々とした立ち振る舞い。

 何かあったらフォローするなんて言ったけど、必要ないんじゃないかって思うくらい、完璧な演技を見せている。


「大路さん、やっぱり凄いや……」


 優雅に振る舞う大路さんを見て、思わず呟きが漏れる。

 だけど注目すべきは大路さんだけじゃない。一緒に演技をしている渡辺君だってセリフを噛む事も無く、しっかりした演技ができている。


「王子、お願いですから舞踏会では、真剣にお妃様となる人を探してくださいよ」

「分かってるよ。しかし妃か……。やはり気が進まないな」


 乗り気じゃない王子の言葉でそのシーンは終わって、再び暗転。そうして物語は、どんどん進んでいく。

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