迫る本番と嫌がらせ

 三学期が始まってしばらく経ったけど、演劇部の活動は今まで以上に活発になっていた。


 毎日くたびれるまで練習を続けて。大変なのは僕達役者だけでなく、音響係や小道具係といった裏方も、日々作業に追われていて。演劇部全体を包み込む空気が、徐々に変わってきているのを、日々感じていた。


 だけどそれは、ピリピリした嫌なものではなくて。高等部の先輩達は、乙木のメンバーが加わった事でモチベーションが上がり、そして僕達乙木学園組は、初めての舞台を成功させたいと言う気持ちから、皆が皆やる気になっていた。


 大路さんとはあの日以来、告白に関しては何も話せていないけど。変にギクシャクする事は無く、僕はよく、面倒を見てもらっている。

 その優しさが後輩に向けられた優しさであることに、少しの寂しさも感じないわけじゃないけど、今はこれでいい。余計なことを考えて、バランスを壊すなんて嫌だから。


 バランスを壊したくない……。だから僕は、告白とは別の、もう一つ気になっているあの事も話せずにいた。

 大路さんにも聖子ちゃんにも、誰にも。よけいな波風を、立てたくなかったから……。


 二月に入って、いよいよ本番まであと二週間を切ったこの日。正人と一緒に登校してきた僕は、正門前で渡辺君と会って、三人で校舎へ向かって歩いていた。


「お前ら、本番までもうすぐだけど、準備はちゃんと進んでいるのか?」

「まあ何とか。衣装も小道具もほとんど出来上がっているし。後は本番で、ちゃんとできるかどうかなんだけどね」

「それだよなあ。途中でセリフが飛んじゃうんじゃないかって思うと、どうしても不安になるよなあ」

「何だよ渡辺、図体の割に心臓が小さいやつだな。いいか、俺が夏に最後の試合に出た時はだなあ……」


 バスケの試合で、自分がいかに落ち着いてプレイしていたかを熱弁する正人。

 正人と渡辺君は僕を通して話すようになったけど、どうやら気が合ったみたいで。渡辺君も元は柔道をやっていたから、体育会系同士波長が合うのかもしれない。


「灰村の方は大丈夫なのか? 部長にしごかれて大変だって言ってたけど、まさか本番前に潰れたりはしないよな?」

「それは平気。スパルタをしすぎて身体を壊したら元も子もないって、聖子ちゃんだって分かってるからね。潰れる一歩……いや、半歩手前くらいに加減してるんだってさ」

「それって、本当に大丈夫なのか? あの人の計算、どうも当てにならない気がするんだよな」

「大丈夫だよ……たぶん。無理をさせないでって、大路さんだって言ってくれてるんだから。それにまだまだ初心者なんだから、やれることは全部やっておかないとね」 

「いきなり主役を任されるのも大変だよな。灰村には悪いけど、俺、先輩の側近役で良かったよ」


 ホッとした表情の渡辺君。そう言えば悪ノリとは言え、一度は渡辺君をシンデレラにしようと言う案も上がってたっけ。

 だけど渡辺君は渡辺君で、しっかり頑張ってると思う。最初の頃は演技が大袈裟だって先輩からダメ出しをくらっていたけど、言われた事をちゃんと守って、だんだんと上達しきてきているって、聖子ちゃんも言っていたしね。これは僕も負けないようにしないと。


「まあ、しっかり頑張ってくれよ。お前らの劇、バスケ部の中でも話題になってて、見に行くって人たくさんいるんだからな」

「見に行くって、例えば水森先輩とか?」

「そうそう。あの人大路さんの大ファンだからな。灰村、大路さんと一緒のシーンでのミスは勘弁してくれよ。そんな事になったら、水森先輩、ショックだろうからな」

「肝に銘じておくよ」


 別に水森先輩の為ってわけじゃないけど、僕のせいで大路さんにまで恥をかかせるわけにはいかないからね。


「そうプレッシャーかけるなって。けど大路先輩のファンはたくさんいるし、その上怖いからなあ。もし何かあったらバッシングされて……って、悪い灰村。失言だった」

「別にいいよ、ちゃんと分ってるから」


 そう、大路さんのファンが怖いって事くらい、よーく分かっている。この二人よりもね。


 やがて校舎に着いた僕らは下駄箱で靴を脱いで、上履きに履き替える。だけどその時、僕は自分の下駄箱に、一枚の折り畳まれた紙が入っていることに気が付いた。これは……。


「ん? 灰村どうした?」

「……何でも無いよ」

「そうか? でも今、後ろに何か隠さなかったか? もしかしてお前、ラブレターでも……」

「今どき下駄箱にそんなもの入れる人なんていないって。ちょっと急ぐから、先行ってるね」


 正人はまだ何か言いたげだったけど、口を開く前に僕はさっさと下駄箱を後にする。

 そしてしばらく歩いて振り返って、後ろに正人も渡辺君もいないことを確認すると、ポケットの中にしまっていた、さっきの紙を取り出した。


 それは白い便箋を八折りにした紙で、封筒にも入っていなくて、正人の言っていたラブレターにしてはいささか以上に味気ないもの。その正体には何となく想像がついていたけど、一応紙を開いてみる。するとそこに書かれていたのは……。


『大路さんに近づくな』


 ――――やっぱりね。

 正人に嘘ついちゃったけど、これを見られないで良かった。僕はため息をつきながら、その紙をくしゃくしゃに丸めて、再びポケットに突っ込んだ。


 まさか下駄箱に脅迫文とは。こんな事は初めてだったけど、別に驚いたりはしなかった。

 何と言うか、ついにここまで来たかって思う。大路さんのファンは怖い、かあ。確かにそう思うよ。


 実は嫌がらせ自体は、年が明けたくらいから少しずつ始まっていたんだよね。

 僕はその時の事を、ゆっくりと思い出していく……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 最初は、いつだったかなあ? 確か劇の練習の為グリ女を訪れた際に、女子生徒がすれ違い様にぶつかってきたんだっけ。

 初めはただの事故だって思ったけど、何だかその子の僕を見る目から、強い殺気のようなものを感じて、それで印象に残っていたんだけど。それから度々似たような事が起きるようになっていった。


 そしてある時。いつかと同じように、窓の外から部室の中の様子を窺っている親衛隊の女の子数人を見つけた時、その中に、以前にぶつかってきた、あの女子生徒がいる事に気が付いた。


「こらー、アンタ達! 練習を覗くなって、いつも言ってるでしょー!」


 まるで野良犬でも追い払うように、親衛隊に声を上げる聖子ちゃん。途端に彼女達は、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったけど。僕は気になった事を、聖子ちゃんに聞いてみた。


「聖子ちゃん、あの人達って確か、大路さんの親衛隊だって言ってたよね?」

「たぶんそうなんじゃないの? ああやって覗きに来るのは、大抵満のファンの子だから。あ、もしかして自分のファンなんじゃないかって、期待しちゃった?」

「そんなこと思ってないけど……そう言えば聖子ちゃん前に言ってたよね。演劇部のファンの中には、男子が加わることをよく思ってない子もいるって。あの人達はどうなんだろう? よく思ってなかったりするのかなあ?」


 すると聖子ちゃんは、ちゃかすでも笑うでもなく、真剣な顔つきになって。それが僕の予想が間違っていないと言う、何よりの証になる。


「まあ、ね。確かにアンチ意見もあるかな。特に満のファンは、男がシンデレラで、満の相手役だなんて考えられないって言ってたりもしたかな」

「やっぱり、そうなんだよね。けど、そんなに嫌がっているなら、僕がシンデレラをやらない方が良かったんじゃ?」


 ポッと出の男子部員が、大路さんの相手役になるのは嫌だ。その気持ちは、何となく分かるから。

 だけど僕の言葉を聞いた聖子ちゃんは、途端に険しい顔つきになる。


「何言ってるの? そんなことをしたら調子にのって、今度は舞台に男子が立つなんて嫌だ、演劇部は女子だけでやるべきだって言われるのが関の山じゃない。別に間違った事なんてしてないんだから、堂々としてればいいのよ」

「それはそうかもしれないけど……」

「情けないねえ。むしろ『男子だって主役はれるんだって所を見せてやる』、くらい言いなさいよ。それとも頑張ってきたのに、ちょっと文句言われたからって引っ込むつもりなの?」

「―———ッ!」


 確かに聖子ちゃんの言う通り。男子がいる事が面白くないと言う気持ちが、分からないわけじゃないけど、皆で頑張ってここまで進めてきたんだ。今更やめるだなんてしたくない。


 そんなことを考えていると、聖子ちゃんはじっと僕を見てくる。


「翔太、まさかとは思うけど、親衛隊から何か言われたりしたの?」

「……ううん、何も言われてないよ。さっきのはちょっと、気になっただけだから」


 嘘は言っていない。前にぶつかってきた事はあったけど、何か言われたわけじゃないんだかから。


「そう、だったらいいけど……万が一何かあったら、アタシにでも満にでもいいから、言いなよね」

「うん、そうするよ。万が一の時には、ね」


 万が一と言うか、もう何かはあっているんだけどね。

 だけど、僕はこの事を言うつもりはなかった。聖子ちゃんにも、それから大路さんにもね。


 だってもし話して大事になってしまったら、部の雰囲気が悪くなるかもしれないから。せっかく頑張ってきたのに、こんな事で水を差すだなんて嫌だものね。


 特に入ったばかりの乙木のメンバーは、これが初の舞台。もしも動揺させて、台無しになってしまったら。せっかくのデビューを、そんな形で迎えたくはなかった。

 この事は誰にも言わずに、僕の胸の中に留めておこうと、一人決意する。


「まあ、親衛隊の子達には、今度の舞台を見てもらって、男子だってできるんだって所を、見せつけてやるしかないね。と言うわけで翔太、今日もビシバシ行くから、覚悟しておいてね」

「お手柔らかに……」


 こうして僕は苦笑いを浮かべながら、その日も練習に励んでいったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――とまあ、そんな事があったわけだけど。予想してた通りそれからも、嫌がらせをされることは度々あった。


 前みたいにわざとぶつかってこられる事はもちろん。演技の練習をしている最中に、コッソリ部室の入口までやって来たのだろう。靴の中にゴミを入れられたこともあった。


 そして今日、下駄箱に脅迫状が入っていたわけだけど、親衛隊にも困ったものだ。

 今さらこんな物を送られたところで、僕はシンデレラ役を降りる気なんて無いのにね。


 幸い聖子ちゃんにも大路さんにも、こんな事ことをされてるなんてバレていない。僕以外の演劇部の誰かが、嫌がらせを受けた様子も無いから。あと一週間と少し、隠し通せば済むだけの話だ。


 無事に本番を迎えれば、劇を成功させることができれば、脅迫状を送ってきた子達も僕の事を……僕達のことを認めてくれるかもしれない。

 もちろん上手くいくとは限らないけど、その時はその時だ。とにかく、今は劇のことだけを考えないと。


「今度の公演は、絶対に邪魔させないよ……」


 僕は考えるのを止めて、足早に廊下を歩いて行く。

 劇は、絶対に成功させるんだ。勝手な人達に引っ掻き回されたりするものかって、強い意志を固めながら。

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