トラブルにはアドリブで

 下駄箱に脅迫文が入っていたその日の放課後、僕はいつものように練習のため、グリ女を訪れていた。

 今朝あんな事があったばかりだから、何か起きないかと警戒しながら正門を潜ったけど、幸い何事も無くて。無事に部室につくことができた。

 

 今日もいつものようにロードワークや発声練習を終えた後、大路さんと一緒に練習していたけど、ふと思う。


 大路さん自身は、誰かに何か言われたりしていないのだろうか? 例えば、僕と一緒に練習しないでって言われるとか。

 僕は練習の手を止めて、それとなく尋ねてみることにした。


「大路さん、少しいいですか?」

「ん? どうしたんだい?」

「いつも僕の指導をしてくれていますけど、僕のこと、何か言われたりしてないですか? 演技がダメだとか、僕はシンデレラに向いていないとか」


 本当はもっと直接的に、演劇部から追い出せとか、シンデレラをやらせるなくらい言われていてもおかしくないなとは思ったけど、ここは慎重に言葉を選んでいく。

 すると大路さんはキョトンとした顔をしながら、「まさか」と返してくる。


「何を言っているんだい? もしかして、演技に自信が無くなってしまったの?」

「いえ、そう言うわけではないんですけどね」

「心配しなくても、ショタ君は十分によくやってくれているよ。演技も最初の頃と比べて、格段に上達しているし、シンデレラのイメージにもピッタリだ。誰も君を、悪く言ったりはしていないから、安心して良いよ」

「はい……ありがとうございます」


 とは言ったものの、現に僕の事を邪魔だと思っている人はいるわけで。

 聖子ちゃんから聞いた話を思い出してみても、今の演劇部に不満を持っている子は少なからずいるみたいだし。


 でもこの様子だと、嫌がらせをしてる誰かは、大路さんには何も言っていないみたい。もしかしたら余計な事を言って嫌われたくないって、思っているのかも。


「ショタくん、もし何か困った事があったら、遠慮なく相談してね。私じゃ、頼りないかもしれないけど」

「そんなことないですよ。大路さんには、いつも助けられてばかりなんですから」


 本当にいつも、お世話になってばかり。

 それから少しの間二人で練習をしていたけど、しばらくして聖子ちゃんから号令がかかった。


「皆一旦集まって。それぞれ大分できてきたと思うから、今日は最後に一緒に、ワンシーンをやってみようか。舞踏会で、シンデレラと王子様が出会うシーンね!」


 皆一緒に……か。ちゃんとできるかどうか不安なんだよね。

 個々に分かれて練習していた時はそれなりにできるのに、皆で合わせた途端に上手くできなくなる人は少なくない。特に入って間も無い、乙木組は。


 今からやる舞踏会の場面で出て来る登場人物は、王子様とシンデレラ。それにシンデレラの二人の姉に、渡辺君が演じる、王子様の側近だ。僕達は皆の前に立って、舞踏会のシーンの配置へとつく。


 まずはシンデレラの姉達が、大路さんが演じる王子様に、声をかけるところから始まった。


「王子様、どうかわたくしと、一曲踊っては貰えないでしょうか?」

「抜け駆けなんてズルいわ姉様。王子様、ダンスの相手ならぜひ、私をお選びください」


 積極的にアプローチしていく姉達。だけど王子様は、静かに首を横に振る。


「ありがとう、君達の気持ちはとても嬉しいよ。だけどゴメン、実はダンスの相手は、もう決まっているんだ」


 その一言で、姉達は途端に表情を崩したけれど、王子様はそんな二人の頭を優しく撫でる。


「ごめんね。だけど君達には私よりも、もっとふさわしい相手がいるはずだから。探してみてごらん、きっと素敵なパートナーが、見つかるはずだよ」

「そ、そうですね。分かりました。アナタ様がそうおっしゃるなら、言われた通りにしますわ」

「わ、わたくしも。アナタの言う事なら何でも聞きます!」


 そうして去って行くも、あの様子だと例え一緒にダンスを踊ってくれるパートナーを見つけられたとしても、頭の中は王子様で一杯だろう。

 すると一部始終を見ていた護衛――渡辺君が、深くため息をつく。


「王子、気軽にあのような真似をされては困ります。二人とも、すっかり骨抜きされちゃっていましたよ。ああ、またお城へ来るファンレターの数が増えてしまう」

「何を言っているんだい、そんな風に決めつけてしまっては、あの子達に失礼じゃないか」

「そう言われても、いつものパターンじゃないですか。だいたいあんなこと言って、本当は踊る相手なんて、決まっていないんでしょう」

「嘘をついてしまった事は、悪いと思っているよ。だけどこの舞踏会は、ただ踊ればいいというものではないからね。妃を決めるための舞踏会、かあ。父上も面倒な物を催してくれたものだ」


 今度は王子様がため息をつく。このシーンだけだと分からないけど、この前に妃を選ぶことに対して難色を示していた王子様の描写があって、彼にとってこの舞踏会が気の進まないものであるという事が描かれていた。


「文句言ったってしょうがないでしょう。適当に好きなタイプの子でも探して、誘ってみたらどうですか?」

「好きなタイプ、ねえ。それじゃあ……」


 すると王子様は何を思ったのか、艶やかな目をしながら、側近の顎にそっと手を添えてきた。そして……。


「君こそが私のタイプ……って言ったらどうする?」


 瞬間、見ていた皆から思わず笑いが漏れる。

 顎クイからの意味深な言葉。台本通りだからこうなるって分かっていたはずなのに、それでも笑うのをこらえきれない一同。

 今更だけど、どうしてこんな脚本にしたのだろう? まあ、ウケるからいいけど。 


「王子、お戯れが過ぎますぞ!」


 慌てたように離れた側近……もとい渡辺君の顔は、ほんのり赤い。それが演技なのか、それとも本当に照れているのかは分からないけど、その後も噛むことなくちゃんとセリフを言い続けられている。


 渡辺君は最初の頃、声は大きいけどテンパったら噛んでしまう癖があったのだけど、どうやらこの数カ月の間に克服したみたいだ。渡辺君、頑張ったもんねえ。

 って、感心している場合じゃないか。次は僕の出番なんだから。


 台本では、舞踏会に来たはいいけど、シンデレラは誰と踊ればいいか分からなくて困っているとなっている。するとそのオドオドした様子のシンデレラを見かけて、王子様が声をかけることになっているのだけれど……。


 王子様の悪ふざけも終わって、いよいよ僕が前へと出る。

 何度も練習した台詞や動きを思い出しながら、周りの煌びやかな様子に目を奪われているシンデレラを、演じ始める。


 ここはいつもの演劇部の部室じゃない。舞踏会が開かれている、お城の広間なんだ。

 まずはキョロキョロと珍しそうに部屋のあちこちに目をやって。それから、大きく息を吸い込んだ。


「これが……舞踏会。夢にまで見た舞踏会に、来てるんだわ」


 よし、ちゃんと台詞を言えた。

 噛まなかったことにホッとしていると、今度はシンデレラの様子を見ていた、王子様の台詞に移る。


「あの子はいったい、どこの家の子だい?」

「見慣れない顔ですね。生憎私にはわかりかねますが、気になるのなら、声をかけてみてはいかがかと」

「うむ、見たところ場馴れしてい無さそうだし……そうだね。少し行ってくるよ」

「えっ、本当に行かれるのですか? てっきり、どうせ行かないだろうと思いつつも、ダメ元で言ったのですけど……。あの王子が、自ら進んで女性に声をかけようとするだなんて……ううっ、今夜はシェフに頼んで、レッドライスを用意してもらいましょう。レッドライスとは、お赤飯的なものです」

「……君はいったい、私を何だと思っているんだい? そしていったい、誰に説明しているのかな?」


 そんなギャグ調のやり取りがありつつも、僕の元へと向かって来る王子様。僕もさり気なく、王子様の方へ向かう。向かおうとした。が……。


 あっ――!


 緊張していたせいだろうか。歩き出した途端に足がもつれて、そのまま前のめりに倒れてしまう。

 まずい。こんな時に、僕は何ドジやってるんだ? だけど次の瞬間……。


「——ッ! 危ない!」


 叫ぶ声が聞こえたかと思うと、僕は大路さんに抱き止められていた。倒れるよりも早く駆け付けて、僕の体を支えてくれたのだ。


 頭を上げると、そこには大路さんの顔があって。

 すっ転ぶという失態は間逃れることができたけど、こんなミスをしてしまうだなんて情けない。もしこれが本番だったらって思うと、ゾッとしてしまう。


 だけど大路さんはそんな僕の耳元で、そっと囁いてくる。


「……このまま行くよ」


 え、行くって? だけど考える間もなく、大路さんは僕の腰に手を回してきて、グイと顔を近づけてくる。


「お怪我はありませんか、お嬢さん。あんまり慌てると危ないですよ」

「あっ、えええと……ごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にしながら、慌てて体勢を整える。そんなぎこちない僕に比べて、大路さんの動きはとても自然で。

 まるでこのアクシデントも、始めから想定していたみたいに話を進めていく。


 とっさのアドリブで、トラブルをトラブルと思わせないようにしたんだ。

 もちろん僕達は皆台本を読んでいたから、書かれていた展開と違うって分かってはいるのだけど、たぶん事情を知らない人が見たら、アクシデントとは思わないだろう。


「あわてんぼうの、可愛らしいお嬢さん。どうか私と、踊っていただけないでしょうか」

「わ、私で良いのですか?」


 僕もいつまでも緊張してはいられない。すぐに調子を取り戻して、何度も練習した通りに、劇を進めていく。

 そしてその後はと言うと、特に大きな問題が起きる事も無くて。最初に、文字通り躓きはしたけれど、無事にシーンを終えることができた。


「はいカーット! そこまで!」


 聖子ちゃんの号令と共に、フッと息を吐く。何とかやりとげられたけど、やっぱり悔やまれるのが最初のミス。

 演技を終えた僕は、真っ先に大路さんに向かって頭を下げた。


「大路さん、さっきはすみませんでした。あんな失敗をしてしまって」

「ああ、さっきのアレね。だけど何とか切り抜けられたんだから、あんまり気にすること無いよ」

「だけど、失敗したことに変わりはありませんし。もし本番でもっと大きなミスをしたら……」

「その時はまた、アドリブで対処すればいいだけじゃないか。いいかいショタくん、どんなに練習したって、失敗をしない人なんていないんだ。むしろ大事な場面であればあるほど、緊張してミスは多くなってしまうと言っていい。だけどね……」


 大路さんは慰めるように、頭を撫でてくる。


「大事なのは失敗をしない事以上に、何かあった時に対処できるかどうかなんだよ。何かあったとしても、皆でフォローし合えばいいんだから。もしかしたらアクシデントによっては、ショタくんの力を借りるとこもあるかもしれないけど、その時はよろしくね」


 僕の力を借りる、ですか。

 さっきあんなミスをしちゃった僕に、いったい何ができるのか。そうも思ったけど、そんな後ろ向きな考えはすぐに止めて。僕は力強く頷いてみせた。


「……分かりました。どれだけできるか分からないけど、頑張ってみます。そんな時があればですけど」

「うん、その意気だ。頼りにしているよ」


 大路さんは信頼に満ちた目を向けてきて。僕はもう一度、頭を撫でられた。


 まだまだ未熟で、失敗だらけの僕だけど、こうして信頼してくれるから、また頑張ろうって思えるのかもしれないなあ。

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