演劇部への入部

 皆と一旦別れて、大路さんと二人きりで、長い廊下を歩いて行く。


 時折すれ違う生徒は揃いも揃って、大路さんに目を向けている。無理もないだろう、大路さんは今、きらびやかな王子様の格好をしているのだから。

 だけど気にはなっても、話しかけるのが恐れ多いのか、声をかけてくる生徒はいなくて。僕達は無言のまま、ただ歩いて行く。

 そう、皆と別れてから、ずっと無言のままなのだ。


 大路さん、普段ならこう言う時、何か話しかけてくるけれど、今日に限って一言も喋ってこない。

 そしてそれは、僕も同じ。話したいことがない訳じゃなくて、むしろ聞きたいことがたくさんあるはずなのに、つい躊躇してしまう。

 何せ文化祭では、泣いている所を見てしまったから、どうにも気まずいのだ。


 結局何も喋らないまま、自販機の前までやって来た僕ら。

 そこは校舎の端っこにあるスペースで、ちょうど今は誰もいなくて。僕は静かに、自販機に千円札を入れる。


「買っていくのは、ジュースとコーヒー、後は紅茶でいいでしょうか?」

「そうだね。その三つを同じくらいずつ買えばいいと思うよ。あ、でもコーヒーよりも、カフェオレの方がいいかな。苦いよりも、甘い方が好きと言う子が多いんだ。私もそうなんだけどね」

「へえー、ちょっと意外です」


 何となくだけど、コーヒーはブラックで飲むイメージがあった。あ、でもプリンのような甘い物は好きみたいだから、甘いカフェオレの方が好みと言うのも案外納得できるかも。


 そしてカフェオレよりもっと好きなのは、たぶん紅茶だと思う。大路さん、前にうちに来た時も、お宅にお邪魔させてもらった時も、飲んでいたのは紅茶だったのだ。


 僕はジュース、カフェオレ、紅茶を、順番に買っていく。

 そうして半分くらい買った頃だろうか。ふとトーンを下げたハスキーな声で、大路さんが尋ねてくる。


「ねえショタくん。さっき体育館に行くのを躊躇していたのは、やっぱり私のせい?」

「ーーッ!」


 ガコンと言う音と共に、取り出し口に紅茶の入った缶が落ちてきたけど。僕はそれを手にすること無く、大路さんに振り返る。


 返事はしなかった。と言うか、できなかった。

 デリケートな話だから、このまま触れずに終わるつもりだったけど、大路さんの方から話してくるだなんて。

 するとそんな僕の様子を見て心の内を察したのか、大路さんはふうっと息を吐いた。


「やっぱり、そうなんだね。ごめん、君とはちゃんと、話をしておくべきだった。前にあんな……あんな風に甘えてしまったのに、ほったらかしだなんて、良くなかったね」


 保健室での事を思い出して照れているのか、少しだけ目線を反らされたけど、すぐにまた向き直ってくる。


「川津くんの事はもう、気にしなくてもいいから。だいぶ落ち着いてきたから」

「だいぶって事は……完全に落ち着いた訳じゃないんですね」

「えっ? いや違う、今のは言葉のアヤで……いや、今更君に取り繕っても仕方がないか」


 大路さんはもう俯いて一度息を吐いた後、改めて僕を見る。


「すまない、正直まだ川津くん事を考えると、胸の辺りが少しモヤモヤする。だけど、水森さんとの事を祝福しているのは本当だから」


 真っ直ぐに、目を見てきて。

 たぶん、嘘は言ってないって思う。だけどそんな風に思っているのなら、僕のした事は、かえって変に気にさせてしまったのかもしれない。


「すみません、何だか余計なことをしてしまったみたいで」

「いや、ショタくんが気にすることじゃないよ。本当なら君とは、もっと早くに話さなきゃいけなかったんだ。たくさん手伝ってもらったからね。私はもう大丈夫だって、ちゃんと伝えたかったのに、連絡するのを躊躇ってしまってた」


 それはきっと、弱い所を見せてしまった恥ずかしさのせいかな。けど、そんな事気にしなくて良いのに。

 あの時も言ったけど、少しくらい弱い所を見せても、甘えてくれてもいいって思うのに、そうしてくれない。僕じゃあそんなに頼りないのかなって、少しへこんでしまう。


「とにかく、今日の宣伝で入部希望者が現れてくれれば、後輩も増えるわけだし、いつまでもウジウジしてはいられないからね。君ももう、気にしなくていいよ」

「……分かりました。大路さんがそう言うなら」


 本人がこう言っている以上、もう余計な気を回すのは野暮だろう。後は大路さん自身が、完全に気持ちに整理をつけるのを見守るしかないのだ。


 ……本当は見守るだけじゃなくて、僕がその気持ちを上書きできたらって思うけれど。



 残りの飲み物を買ってた僕らは、二人でそれらを分けて運んで行く。

 本当は僕の方が多く持とうとしたんだけど、大路さんは半分持つって言って、頑なになって譲ってくれなくて、結局僕が折れてしまった。

 僕は男なんだから、こういう時くらい頼ってくれてもいいのに。


 そんな事を思いながら廊下を歩いていたけど、ついつい思い出してしまうさっきの会話。

 大路さんがもう気にするなって言ってるんだから、わざわざ話をぶり返したりはしないけど、考えてしまうのは止められない。

 僕だったら、大路さんを悲しませたりしないのに。


 そんなことを思いながら、大路さんに目を向ける。


「ん? 私の顔に何かついてるかい?」

「いえ、何でもありません。入部希望者、集まればいいなって思って」

「ああ、そうだね。たくさん入ってきてくれたら、嬉しいなあ」


 まだ見ぬ新入部員の事を思い浮かべながら、遠くを見る大路さん。そして僕は、ギュッと拳を握りしめる。


「入りますよ。少なくとも僕は」

「えっ……ショタ君、演劇部に入ってくれるのかい?」


 目を見開く大路さん。

 驚くのも当然だ。この事はまだ、聖子ちゃんにも言っていなもの。

 本当は少し前から、腹は決まっていたのだけれど、最初に大路さんに伝えたかったのだ。


「衣装を作ったり、こうして手伝ったりしているうちに、興味が湧いてきたんです。役者でなくて、裏方でもいいから本格的にやってみたいなって思ったんですけど……ダメでしょうか?」

「いや、そんなこと無いよ。ただ、少し驚いてしまって。たくさん手伝ってもらったけど、まだ迷ってるみたいだったし。決めるにしてももうちょっと後かなと思っていたのだけど、嬉しいよ。君なら大歓迎だ」


 ぱあっと明るい笑みを浮かべる大路さん。ジュースを抱えていなかったら、僕の頭をわしゃわしゃと撫でていた事が容易に想像つくくらい、喜びを露わにしている。


「だけど、どうして急に? 何か決め手になることでもあったの?」

「ええ、まあ。ちょっと頑張ってみようって思う事がありまして」


 演劇部に入ろうと思ったきっかけ。それは好きな人に少しでも近づきたいと言う、きわめて不純な動機だった。


 大路さんの近くにいたいから入部するだなんて、一歩間違えたらまるでストーカーだよ。けどそう思ってはいても、側にいたいと言う気持ちは止められなくて。

 だけどこんなにも喜んでくれたんじゃ、罪悪感を覚えてしまうな。


 もちろん詳しい理由を言うわけにはいかないから、入部動機についてはボカしておくことにする。


「皆に話したら、きっと喜んでくれるよ。そう言えばこのことは、聖子はもう知っているの?」

「いえ、聖子ちゃんにもまだ、話していません。知っているのは、大路さんだけです」

「そうか。ふふ、聖子よりも先に教えてもらえるだなんて、何だか得した気分だ。聖子の奴、君が入るって知ったら、きっととても喜ぶだろうなあ」

「うーん、聖子ちゃんの場合、使いやすいパシリが手元に置けるって理由で、喜ぶような気がするんですけど」

「そんなこと無いさ。きっと君と一緒に部活が出来る事を、誰よりも喜んでくれるはずだよ……たぶん」


 最後の一言が、やけに弱々しかったのが気になる。

 けど僕は聖子ちゃんよりも、大路さんに喜んでもらえたことが嬉しかった。聖子ちゃんにも内緒にして、真っ先に伝えた甲斐があると言うものだ。

 嬉しくて、思わずしまりがなくなってしまいそうな顔をどうにか正しながら、雑念を払うように歩を進める。


「さあ、グズグズしていたら聖子ちゃんに、遅いって怒られちゃいます」

「そうだね、少し急ごうか」


 二人して、長い廊下を足早に歩いて行って、それから数分後、買ってきたジュースや紅茶を受け取った演劇部の皆さんに僕は入部する旨を伝えた。


 聖子ちゃんはちょっと驚いたみたいだったけど、皆喜んでくれて。入部を祝う乾杯をしてくれるのだった。


 衣装を作ったし、今日もこうして宣伝も手伝っていて。もうすでに半分くらい演劇部員みたいなものだったけど、これからもっと頑張らなくちゃ。

 憧れの人に、少しでも近づくために……。

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