川津先輩と水森先輩
僕はチラリと横目で、大路さんの様子を伺う。
だけど心配をよそに平然としている風で、近くを歩いていた女子生徒に向かって手を振っては虜にすると言う、まったくもっていつも通りの様子。
だけどもし体育館に行って、バスケ部が高等部の先輩達と合同練習をしていたら。その中には当然、川津先輩もいるわけで……。
「……ねえ、体育館は別に行かなくてもいいんじゃないの? もう部活に入ってる人相手にアピールしても、演劇部に入ってくれるとは思えないし」
大路さんと川津先輩を会わせまいとして、そんなことを提案してみたけど。こっちの事情なんて知らない聖子ちゃんは、首を横にふる。
「何言ってるの、それなら校庭だって同じでしょ。もしかしたら興味を持ってくれる人もいるかもしれないし、行くだけ行ってみようよ。それに入ってはくれなくても、宣伝しておけば覚えてもらえて、次の公演を見に来てくれるかもしれないじゃない」
「それはそうかもしれないけど……」
聖子ちゃんが言いたいことは分かるけど、僕が気になっているのはそこじゃないんだ。
とは言え詳しい事情を話すわけにはいかないから、聖子ちゃんを納得させるのは難しい。けど、どうしたものかと困っていると。
「……聖子の言う通り、宣伝になるなら行っておいた方が良さそうだね」
「大路さん……」
聖子ちゃんの意見に賛成したのは、なんと大路さんだった。
あの、大路さん? 僕はアナタのことが心配で反対したのですけど。
だけど大路さんは、何故だかじっと僕の方を見てくる。
「大路さん? 僕の顔に、何かついていますか?」
「え? いや、そういう訳じゃないよ。それよりも、体育館に案内してくれないかな」
「でも……」
「案内して、くれないかな」
「……はい」
なんだろう? やけに目力を感じる。圧倒されるような空気にのまれた僕は、頷くことしかできなかった。
やっぱり躊躇いはあったけど、これ以上ごねることもできなくて。僕は胃が痛くなるような気持ちになりながら、皆を案内して行く。
そうして訪れた体育館。
一歩一歩近づく度に、足取りが重くなっていったけど、多少ノロノロしたところで結果は変わらなくて。
入り口から静かに中の様子を覗き込むと、いつものようにバスケ部も練習していた。そして。
……高等部の先輩達も、やっぱりいるかあ。当然、川津先輩もいるよね。
川津先輩の姿は、すぐに見つけることができた。
今は丁度、ゲームの最中なのだろう。川津先輩はドリブルをしながら相手選手の脇をすり抜けて、カッコよくシュートを決めていて。
たぶん、大路さんも気づいたに違いない。あんなに目立っているんだし、好きな人のことは自然と、目に入ってくるものだから。
大路さんは今、何を思っているのだろう?
気になるけど、様子を伺うのが怖くて。そうしているうちに、僕よりも先に聖子ちゃんが動いた。
「えー、部活動で汗をお流しの皆様―、グリ女の演劇部で―す! 今日は宣伝にやってきましたー。もし演劇に興味があると言う方が入れば、アタシ達の劇を見に来てくださーい」
大きな声を弾ませる聖子ちゃん。
さすがに今の部活を止めて演劇部に入れなんて無茶は言わなくて、宣伝だけに留めておいてくれた事にはほっとする。
そしてこれにはボールを投げ合っていたバスケ部の面々も、サーブの練習をしていたバレー部の人達も手を止めて、一様に僕達の方を見る。
「へえー、グリ女には演劇部なんてあったのか」
「何だお前、知らなかったのか? 俺この前の文化祭で見てきたけど、すげー面白かったぞ」
そんな事を言いながら、珍しそうに僕達を眺めてくる。だけどそんな中、バスケ部員の中から大きな声が上がった。
「灰村、演劇部と一緒にいるってことは、お前ついに入部したのか?」
声を上げてこっちに来るのは正人。けど、案内しているだけだから。
するとそんな僕らの様子を見て、雪子さんが聖子ちゃんに、何やら尋ねる。
「灰村先輩、あの子ってショタくんの友達なんですか?」
「ノンノン、彼氏彼氏。朝迎えに来てくれる、優しい彼氏君ね」
ちょっと聖子ちゃん!?
涼しい顔をして、後輩相手にとんでもない嘘を言ってくれる。
すると雪子さんは……いや、さらにその隣にいた西本さんも、他の方々も、何故か途端に目を輝かせ始めた。
「へえー、ショタくんに彼氏いたんだ」
「さてさて、彼はうちのショタくんを任せられるような男なのかな?」
「これは……創作意欲が湧いてきたわ。次の脚本の参考になるかも」
皆さん口々に、おかしな事を言ってくれる。
勿論これには正人も驚いて、大慌てこっちに駈けてきては、怨みのこもった目を聖子ちゃんへと向ける。
「聖子さん、俺達をBLの沼に引きずり込む気ですか!?」
「まあまあそう怒らない。軽い冗談じゃないの」
呑気に笑っているけど、まったく迷惑をかけてくれるよ。これでもし、僕達を使った薄い本を描く人でも現れたら、どう責任を取ってくれるんだ?
聖子ちゃんを叱って、正人に謝って。そうしていると、他の人達も練習の手を止めてこっちに寄ってくる。
どうやら皆、もう練習どころじゃなくなってしまったみたいだ。邪魔をしてしまって、ごめんなさい。
すると一際速足で僕らの方に……いや、大路さんめがけてやってくる人影が一つ。
「あ、あの。大路満さんですよね。この前ラプンツェルの劇で、王子様を演じていた!」
頬を染めながら興奮気味に大路さんの前まで来たのは、大路さんのファンだと公言している水森先輩。川津先輩の……彼女さんだ。
いけない。聖子ちゃんの冗談のせいで忘れかけていたけど、大路さんの問題があったんだ。
興奮ぎみな水森先輩を前に、僕は冷や汗が止まらない。好きな人の彼女を前にして、大路さんはいったいどんな反応をするのだろう?
心臓が縮むような思いで大路さんに目を向けたけど。意外にも大路さんに動揺した様子は見られなくて。
そっと水森先輩の頬に手を当てると、穏やかな表情で笑いかける。
「そういう君はこの前の文化祭、最前列で見てくれていた、その前には私のクラスのカフェにも来てくれた、水森さんだね」
「お、覚えていてくれてたんですか⁉ 感激です!」
覚えられていた事がよほど嬉しかったのか、水森先輩は今にも昇天しそうなくらい幸せそうな笑顔を浮かべている。
だけどここでそんな水森先輩に、近づいてくる人物が。
「こら友恵。あんまりはしゃいでたら、大路が驚くだろ」
「あ、ゴメン義則君。大路さん、すみませんでした」
その人は、大路さんの想い人、川津先輩。
注意された水森先輩は、ペコリと頭を下げて、川津先輩はそんな彼女を見て苦笑している。
いつの間にか名前で呼び合うようになっている、川津義則先輩と水森友恵先輩。そんな二人を見ながら、僕は気が気じゃなかった。
川津先輩、今あなたの目の前にいる大路さんは、つい最近までアナタの事が好きだったんですよ。そして水森先輩、アナタが大好きな大路さんは、アナタの彼氏のことが好きだったんですよ。
勿論二人はそんなこと知らないから仕方がないけど、何も目の前でそんな仲良さそうにしなくても。
一歩間違えたら修羅場と化してもおかしくないこの状況に、僕はハラハラしっぱなしだ。二人を目にした大路さんの心中はいかに? すると……。
「私の方こそ、劇を見に来てもらえて嬉しかったよ。よかったら次の公演も、見に来てくれるかな?」
「は、はい。絶対行きます! 応援してますから、どうか頑張ってください!」
「ふふ、ありがとう。そんな風に言われたんじゃ、頑張らないわけにはいかないね」
大路さんは慣れた手つきで頭をポンと撫でて。感激した水森先輩は、恍惚な笑みを浮かべている。
心無しか、水森先輩の頭の上にうっすらと魂らしきものが抜け出ているようにも見えるけど、錯覚かな?
……まさかとは思いますけど、大路さん。水森先輩をオトして、川津先輩をフリーにさせる気じゃないでしょうね?
いや、さすがにそれは考えすぎだとは思うけど。だいたい恋愛偏差値の低い大路さんが、そんな駆け引きをしていると言うのは考えにくいもの。
「友恵、あんまりプレッシャーを与えるんじゃねーぞ。大路は普段から、頑張りすぎてるんだから。少しは肩の力を抜けくらい、言った方がいいって」
川津先輩はそう言ったけど、大路さんは首を横にふる。
「そんなことは無いよ。川津君、あんまり彼女をイジメてやるな。友恵さん、もし川津君が何か意地悪を言って来たら、私が代わりに怒ってあげるからね」
「大路さんが、私の為に……私の名前、呼んでくれた……」
ますます感激してしまう水森さん。このままじゃ大路さんに庇ってもらいたいがために、川津先輩に怒られたいなんて言い出しかねないのが怖い。
それにしても、川津先輩と話をしていると言うのに、大路さんはずいぶんと平気な顔をしている。前はあんなにしどろもどろしていたのに、今はいつも通りの凛とした態度で。
すると大路さんの事を見つめる僕に、聖子ちゃんが不思議そうに尋ねてくる。
「翔太、どうかしたの? さっきから満のことばっかり見てるけど」
「ちょっとね。今日は元気だなあって思って」
「何言ってるの? 満はいつだって元気じゃない」
「それは、そうなんだけどね」
確かに一見元気そうだけど、やっぱりまだちょっと心配。だけど、こんな大勢の人がいる前で、本当に大丈夫かなんて聞けるはずもない。
結局僕は何も動けないままで。
そして演劇部は一通り挨拶と宣伝を終えると、体育館を出て行く。
「翔太―、あんまり姉さんにイジメられるなよー」
「大路さーん、応援してますから―!」
正人と水森先輩の声援を背中に浴びながら、僕らは体育館の外に出る。
大路さんのことは心配だったけど、とりあえず何事も無く終わったことに、ホッと胸を撫で下ろした。
それにしても、長らく緊張していたせいか、ちょっと喉が渇いてきた。
すると聖子ちゃんも同じことを思ったのか、衣装のポケットから財布を取り出して、千円札を二枚、僕に渡してくる。
「翔太、アンタ人数分、適当に飲み物を買ってきてくれない? アタシ達はグランドで待ってるから」
「了解。グランドへの行き方は、分かるよね?」
「大丈夫大丈夫、迷ったりしないから」
聖子ちゃんは方向音痴って訳じゃないし、大丈夫だろう。買ってくるのは一、二……十以上あるか、持ってくるのが大変かも。
そう思っていると、不意にポンと肩を叩かれた。
「一人で全部運ぶのは大変だろう、私も行くよ」
そう言い出したのは大路さん。この申し出に聖子ちゃんも、「じゃあお願いね」と返したけど、僕は内心ドキドキしていた。
大路さん、さっき川津先輩と会って、何か思うことは無かったのかって、妙に焦ってしまう。
だけど当の本人は、そんなそぶりを見せること無く、ケロッとした顔のまま。僕の心中など知らない様子で、隣に立つ。
「それじゃあ、行こうかショタくん。また案内してくれるかな」
「はい、こっちです……」
本当は、言いたいことや聞きたいことがたくさんあったのだけど。
余計なことは言わないまま、僕は飲み物の自販機がある場所へと、大路さんを案内するのだった。
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