王子様の涙と、お姫様の恋
大路さんはしばらく黙ったままだったけど、やがて観念したように息をつく。
「君には、叶わないなあ。ごめんね、騙すつもりはなかったんだ。ただ心配をかけたくなくて……」
「それは分かっています。だけど、そんな気を使わなくても良いですから。早く休んでくださいよ」
僕が心中を指摘してしまったせいもあるのかもしれないけど、話をする度に、大路さんの顔色が悪くなっていっていく。
早くゆっくり休ませてあげたいけど、どこへ行こう? 休める場所といったら、保健室かな?
「保健室って、どこにあります?」
「校舎一階の端にあるけど……いや、大丈夫だよ。何もそこまでするほどじゃあ……」
「いいから来てください。大路さんは、すぐに無茶をするんですから。大丈夫なんて言われても、信じられません
「わ、わかった。君の言う通りにするよ」
ぐうの音も出ないといった様子で、大人しく僕の言うことに従って。二人して保健室へと向かう。
ちょっと強引だったかなとは思うけど、こうでもしないと休んでくれそうにないから。
大路さんは、もう少し自分の事も考えるべきなのに。
そうしてやってきた保健室には、どこかに駆り出されているのか、先生の姿はなくて。けれど、ベッドは空いていた。
「今はゆっくり、休んでください」
「ああ、そうさせてもらうよ……」
ここまで来て強情になっても仕方がないと思ったのか、素直に言うことを聞いてくれた。
羽織っていたブレザーを脱いで、ベッドに潜り込む大路さん。中に着ていた白シャツやスカートがシワになってしまうかもしれないけど、この際仕方がないだろう。
掛け布団から頭だけを出して。そしてふと、僕の方を見てくる。
「ショタ君……」
「あ、ごめんなさい。僕がいたら、ゆっくり休めませんよね」
「いや、そうじゃなくて。少し……ほんの少しの間だけ、話し相手になってくれないかな?」
いつになく弱々しい声と、訴えかけるような目でそんなことを頼んできて。
断る理由もない僕は、近くにあった椅子をベッドのすぐ横に持ってきて、腰を下ろす。
「すまないね、付き合ってもらって。まったく、あれくらいの事で体調を崩してしまうだなんて、我ながら情けないよ」
「そんなこと無いですよ。大路さんは、やらなきゃいけない事を全力でやったんですから」
「君は相変わらず優しいねえ」
そう言って弱々しい笑みを浮かべたけど。ふと何かを思ったように、そっと問いかけてくる。
「ねえ、私が舞台の上に立って言ったあのアドリブ、覚えているかい? あれを見て、君はどう思った?」
さっきまでと違って、表情は固く、じっと目を見てくる大路さん。
対して僕は、不意に話をふられて戸惑ってしまう。
アドリブって、あの王子様の気持ちを吐露したやつの事ですよね?
「ええと……色々考えさせられました。あの時王子様は、ラプンツェルと再会できるか分からなかった訳ですし。ラプンツェルも不幸な目にあってしまって。それでも後悔しないと言うのは、凄いことだと……」
「ラプンツェルが今どうしているかも分からないのに、一歩間違えたらとんでもない独りよがりになってしまっていたけどね」
イタズラっぽく、そんな事を言う大路さん。
だけどたぶん、その王子様と、大路さんの気持ちは同じで……。
「ショタ君……私も王子様と同じだよ。後悔はしていないよ、川津君を好きになった事を」
「―———ッ!」
僕が考えていた事に感づいたように、大路さんが先回りして言ってくる。
デリケートな問題だから触れられなかったけど、大路さんの方から言ってきたのには驚いた。
そんな話を、僕なんかにしてしまっていいの?
すると大路さんは、穏やかな口調で言ってくる。
「君にはたくさん手伝ってもらったから、ちゃんと言っておかなくちゃって思ってね。川津君の事を好きになった事も、劇の公演に誘った事も、頑張ってプリンを作った事も。私は何一つ、後悔なんてしていない。それをちゃんと、君に伝えたかった」
後悔はない。大路さんはそう言っているのに、僕は切ない気持ちになる。
そんなに頑張ったのに、そんなに好きだったのに、報われないだなんて……。
「大路さん……。もう少し、もう少しだけ早く気持ちを伝えていたら、きっと川津先輩だって……」
「過ぎた事を言っても仕方がないよ。だけど川津君を好きになったおかげで、今まで気づかなかった事にも気づけたのは良かったかな。まさか私が、あんなにまで恋に臆病だとは思わなかったよ。川津君の事を考えて慌てる私は、カッコ悪かっただろう?」
「えっ? ええと。それは、まあ……」
失礼なのはわかっているけど、違うとは言えなかった。
だって本当に、いつもの大路さんからは考えられないくらい、緊張してテンパって、見てられないって思うくらい、ダメダメな所を披露してきたのだから。
だけどそれで、大路さんの評価が下がったのかと言うとそうじゃない。むしろ大路さんも、僕と二つしか歳の違わない、普通の女の子なんだって思えて、かえって距離が近くなれた気がしていた。
「いいじゃないですか、カッコ悪くても。川津先輩の事を考えて、真っ赤になっちゃう所なんて。可愛いかったですよ」
「むう、君ならてっきり、そんな事無いって言ってくれるかと思ったけど。意外と手厳しいんだね」
「す、すみません」
「冗談だよ。ふふふ、可愛いなんて言っておきながら、慌てる君の方がよほど可愛いじゃないか」
冗談を言って、笑って。だけどやっぱり、どこか切なさのある大路さん。
軽口を叩いてはいるけど、無理をしている気がする。
「ショタくん……ありがとう」
「え?」
「ラプンツェルが外の世界に憧れていたのに、塔から出られなかったみたいに。私も、川津くんのことが好きだったのに、動こうとしなかった。そんな私を、塔の外に連れ出してくれたのは君だから」
確かに、僕は大路さんを、塔の外へと連れ出した。だけどそれは、本当に正しかったのだろうか?
ラプンツェルのお話とは違って、ハッピーエンドにはなれなくて。こんな事なら、連れ出さない方が良かったんじゃ……。
そこまで考えて、ハッと気づく。
いや、ダメだ。こんな風に考えてしまっては、大路さんに失礼だ。
後悔はしていないと、自分の恋に誇りを持っているのに。僕がそれを否定ようなことを考えちゃいけないんだ。
大路さんはそんな僕の心中を察したように、柔らかな声で語りかけてくる。
「結果は変わらなくても、自分の気持ちに正直になれたんだ。だから……ありがとうショタくん」
切な気な笑みを浮かべる大路さんを、僕はただ、奥歯を噛み締めながら見ているしかできなくて。
だけどここでふと、声のトーンが下がった。
「でもね……一つ弱音を吐いても良いかな?」
「……僕でよければ、何だって話してください」
「さっきの話だけど……あの、後悔はしていないって話。あれは紛れも無い本心、本当の事なんだけどね……」
「はい……」
「後悔はしていない。それでも、辛くないわけじゃないみたい。どうしてだろうね? 劇が成功して、本当なら笑うべきなのに、君とこんな風に話しをしたら、いつもなら元気が出るはずなのに。どうもそうはっ……いかないみたいなんだっ……」
ベッドで仰向けになったまま、そっと左手で目元を覆う大路さん。最後の方は嗚咽交じりで、声を殺して泣いているのが分かる。
僕はベッドからはみ出していた大路さんの右手に、そっと自分の手を重ねた。
それは思っていたよりも小さくて柔らかい、女の子の手。
僕はよくお姫様なんて言われてからかわれて、大路さんは、王子様だのイケメンだの言われているけど、こうして手に触れるとよくわかる。僕は男で、そして大路さんは、女の子なんだって……。
「弱音くらい、好きなだけ吐いてください。大路さんが、川津先輩の事を好きだった事も、今こうして悲しんでいることも、知っているのは僕だけなんですから。少しくらい、頼ってくれてもいいんですよ」
「すまっ、ないっ……少しの間だけ、手を握っていてほしい。すぐにっ、元に戻るからっ、うっ……」
泣き顔を見ないよう、僕はそっと目を逸らす。だけど手は、しっかりと握ったまま。
今は弱音を吐いたって、泣いたっていいんですよ。普段のあなたは、頑張りすぎなんですから。
川津先輩の事だけじゃなくて、部活の事もクラスの事も、一生懸命になりすぎるから。そんな大路さんの弱音のはけ口に、僕はなりたかった。
しっかりしていて、皆から尊敬されていて。だけど恋もするし、傷つきもする。強くて可愛くて、ピュアで綺麗な女の子。
そんな大路さんの事を、僕は……。
「ねえショタ君。君は恋をしたことがあるかい?」
布団で顔を覆ったまま、大路さんがそんな事を聞いてきた。
いきなりの質問だったけど、僕は慌てることなく、静かに返事をする。
「はい、あります。本当につい最近、その人のことを好きだって気づいたんです。ちょっと遅めの初恋ですけど」
「そうか。叶うと良いね、君の恋……」
そうしてまた、黙って僕の手を強く握る。
大路さん、叶えてもいいんですか、この恋を。
その人が笑うと、僕まで嬉しくなって。もっと笑顔を見たいからと、一緒にプリンを作った事もあった。何度も失敗したけれど、成功した時は本当に幸せそうで。
部活では常に皆の中心にいて、微笑みながら周りを引っ張っていく、太陽のような人。そんな無垢な笑顔に、僕は惹かれたんです。
僕の好きなその人は、今目の前にいて、僕の手を握っています。
僕はその人の力になれなかったけど。その人は今、とても傷付いているけど。それでも僕は、好きでいていいんですか?
仰向けで横になる大路さんの……好きな人の事を眺めながら、胸の奥に広がる熱い想いを感じていた。
第一幕 ラプンツェルを連れ出して 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます