第二幕 恋せよシンデレラ

新しい朝

 五月病、夏休みロス、正月ボケ……。


 人間ってどうしてこう、大きなことが終わった後に、無気力になってしまうのだろう?

 一山超えたとはいえ、やるべき事が全部なくなったわけじゃないのに。


 とは言え気持ちの問題は、そう簡単には解決してくれない。

 グリ女の文化祭が終わってから早二週間。僕は未だに、文化祭という一大イベントが終わってしまった喪失感から抜け出せないでいた。


「ああ、もう! 翔太ってばどうして起こしてくれなかったの⁉」

「ごめん、お弁当作ってたらついボーっとしちゃってて」


 慌てた様子で髪に櫛を通しているのは聖子ちゃん。キッチンに立つ僕からは見えないけど、たぶん桃ちゃんも同じように、今頃鏡の前で悪戦苦闘している最中なのだと思う。


 二人ともゴメン。

 普段は七時になっても起きてこなかったら、僕が起こすんだけど、今日はすっかり忘れてしまっていて。慌ただしい朝になってしまっていた。


「翔太ってば、文化祭が終わってから気が抜けてない? 自分の学校の文化祭でもないって言うのに」

「ごめんね……って、よく考えたら聖子ちゃんだって寝坊してるじゃない。気が抜けてるのは、そっちだって同じだよね?」

「ありゃ、バレたか」


 悪びれる様子もなく、舌を出す聖子ちゃん。まったく、自分の事を棚に上げて、よく言ってくれるよ。

 ちなみにもう一人の姉である桃ちゃんは、家族の中で一番朝が弱くて、寝坊なんてしょっちゅうだから、もう誰もツッコまない。


 かくして、急いで朝の準備を終えた灰村家一同は、何とか全員そろって食卓を囲むことができた。

 少しだけ時間は押してるけど、朝ご飯はしっかり食べないとね。


 テレビで流れるニュースを見ながら、パンにジャムを塗っていると、ふと聖子ちゃんが思い出したように言ってくる。


「そうだ翔太。例の件、今日の放課後だから、手伝いお願いね」

「例の件って?」

「ほら、前に言ってた、演劇部の宣伝よ」

「何の話? 初耳なんだけど」


 記憶を遡ってみたけれど、思い当たる節が無い。

 そもそも僕が聖子ちゃん達の演劇部と関わったのは、あの文化祭の日が最後。もう半月も前の話だ。

 あれ以来、僕は聖子ちゃん以外の演劇部の人とは顔を会わせてもいない。もちろん、大路さんとも……。


 僕の返事に聖子ちゃんは頭を捻りながら、「言うの忘れてたっけ?」と呟いている。

 たぶんそうなのだろう。僕は確かに文化祭が終わってから気が抜けちゃってるけど、聖子ちゃんだって相当だからね。

 ボーっとしてて忘れちゃってたに違いない。


「きっと聖子が忘れてたのね。翔太も最近気が抜けてることが多いけど、聖子ほどじゃないわ」

「あんた昨日もお湯沸かしてって頼んだら、水入れないままヤカンを火にかけちゃうんだもの。危うく家事になるところだったわ」


 桃ちゃんと母さんが揃って頷いて、途端にバツの悪そうな顔になる聖子ちゃん。


「うるさいわねえ。ヤカンの事は今は関係ないでしょ。まあいいや。ねえ翔太、あんた今日の放課後は暇?」

「特に予定はないけど……。あ、でも4時からスーパーのタイムセールがあるんだった」

「あ、それキャンセルね。そんなことよりもっと、大事なことがあるの。放課後あんたの学校に行って、演劇部の宣伝をするから、それの手伝いをしてくれない?」

「学校に来る? ちょっと待って。まずは詳しく説明してよ」


 こうも省略されたんじゃ、まるで理解できない。するとさすがにこれじゃあらちが明かないと思ったのか、聖子ちゃんは詳しい経緯を説明してくれる。


「ほら、この前の文化祭で、乙木の生徒もたくさん、うちの劇を見に来てくれたでしょ」

「うん。あの後僕が衣装を作ったことが皆にバレて、たくさんの人に色んな質問をされて大変だったよ。特に大路さんの事はよく聞かれたなあ。グリ女の王子様なんて言われるだけあって、ファンになった子はかなり多いよ」


 そのファンの大半が女子だと言うことに、僕としてはホッとしている。

 別に男子のファンがついたからどうだって訳じゃないけど……ちょっとね。


「うんうん、さすが満。あれ以来うちにも、演劇部の活動について詳しく教えてくれって問い合わせが多くて。でね、その劇の余韻がまだ残っているうちに、部員を勧誘しようって話になったの。来年合併する、乙木学園の生徒をね」

「勧誘って、まだ秋なのに!?」


 通常、部活動の勧誘は、主に新入生の入ってくる春に行われるはず。それなのにこの時期に勧誘しようだなんて、異例もいいところだ。

 だいたい来年合併すると言っても、一応まだ他校なんだけどなあ。


「あ、大丈夫なのって顔してるね。でも平気だから。ちゃんとあの手この手を使って、学校の許可はとってあるもん」

「そうだったんだ。どんな手を使ったか、詳しくは聞かない方がよさそうだね」 

「とにかくアタシ達としては、乙木の生徒が欲しいわけよ。既に部活に入っている現高等部の生徒は難しいけど、中等部の3年生をターゲットに宣伝して、部員獲得を狙うって訳。で、入ってくれた人は、来年2月にある公演にも参加させようって考えてるの」


 二月だって? 

 待って。僕ら現中等部生は、二月になってもまだ、中等部生のままだよね。なのに参加なんてできるの?

 無理なんじゃないか。そう思ったけど、聖子ちゃんはあっけらかんとした様子で答えてくれる。


「平気平気、許可はとったもの。特別に希望者は仮入部って形で、二学期途中からグリ女の演劇部の練習に参加出来ることになったから。あ、活動場所は前と同じグリ女の校舎や部室だけど、今回は学校公認だから、前にあんたにしたみたいにグリ女の制服を着せてこっそり侵入なんてさせないから、男子も安心ね」


 途端に横で話を聞いていた桃ちゃんが、ぷっと吹き出し、コーヒーを飲んでいた母さんもむせかえった。

 そう言えば二人は、僕があんな辱しめを受けたことを知らなかったっけ。


「アンタ達そんな面白い……おかしな事やってたの?」

「やるのは良いけど、ちゃんとバレなかったでしょうね? 学校に謝りに行くなんて嫌よ」


 母さんは眉間にシワを寄せたけど、聖子ちゃんは「平気平気」と返事をする。


「何言ってるの。アタシがそんなヘマをすると思う?」

「そうね。バレてないなら、まあいいわ」


 あ、いいんだ。

 呑気にパンをかじり始めたけど、問題さえ起こさなければ……いや、バレさえしなければ何やっても構わないって言ううちの教育方針は、時々どうかと思うよ。


「乙木はエスカレーター式に高等部に上がれるから受験も無いし、今の時期も十分活動できるでしょ。むしろ部活の大会なんかもなくて暇をもて余している三年生もいるだろうから、これはチャンスなの」

「それでうちに宣伝に来るから、僕に手伝って欲しいってわけね。いいよ、手伝っても」

「やった。翔太大好き!」


 バーゲンセールみたいな安売りの『大好き』を言われた後、僕はふと考える。宣伝には、大路さんも来るのかなって。


「放課後は聖子ちゃん以外には誰が来るの?」

「ええと、満に雪子に朝美に……全員じゃないけど、とにかくたくさん」

「良かった。聖子ちゃんだけだったら、もし暴走したときに止める人がいないものね……アイタっ!」

「翔太~、誰が暴走するって~?」


 笑顔のまま拳を握っている聖子ちゃん。こんな風にすぐにポカポカ殴るから、心配なんだって。

 けど、心配なのは確かだけど、実はもう一つ気になる事があったんだ。


 それは、大路さんも来るかってこと。あの文化祭の日を最後に、大路さんとは会っていないけど、今どうしているだろう? 


 失恋の傷は、もう癒えただろうか? 

 保健室で、手で顔を隠してむせび泣く大路さんの事を思い出すと、やっぱり心配になるよ……。


「翔太、聖子。放課後の話もいいけどね。さっさとご飯食べ終わらないと、二人とも遅刻しちゃうよ」

「えっ、もうそんな時間だっけ?」

「やばっ、まだパンのおかわりしてないよ。翔太、さっさとマーガリン塗って、こっちに渡しなさい」


 何があっても朝ごはんだけはしっかり食べる聖子ちゃんが、僕の返事を待たずしてマーガリンを奪い取っていく。別にいいけどね、僕もモタモタしていられないし。


 急いでパンを口の中に放り込んで、コップに入っていた牛乳を素早く飲み干した。


 灰村家の朝は、今日も慌しい。

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