失恋

 急いで向かった大路さんの教室。占いカフェは相変わらず盛況だったけど、肝心の大路さんの姿は見えなくて。

 聖子ちゃんなら知っているかもと思って、キッチンスペースの方を覗いてみたけど。


「おや、翔太。どうしたの?」

「聖子ちゃん……それは……」


 聖子ちゃんはクラスの友達と一緒に一休みしていたのだけれど、問題は手に持っている物。

 それは僕が以前に、大路さんに作り方を教えたプリンだった。川津先輩に渡すために、大路さんが昨夜作ったって言っていた、あのプリン……。


「ああ、これ? 満が皆で食べてくれって。あの子アタシと同じで料理は苦手だからキッチンには入れなかったけど、作れないままいるのは悔しいからって、家で作って来たんだって。お客さんに出せるほど上手くないかもしれないけど、せっかく作ったから皆で食べて、だって。あーあ、アンタが来るって分かってたら、とっといてあげたんだけどなあ」


 聖子ちゃんは笑いながらそう言っているけど、どうでもよかった。

 それって、嘘だよね。だって川津先輩にあげるために、僕に教えてくれって頼んできたんだもの。


 けどその渡すはずのプリンを、こうして皆に食べさせていると言うことは……。


「大路さんは? 今どこにいるの?」

「さあ、ちょっと前に休憩に入って、教室を出て行ったけど……って、翔太?」


 聖子ちゃんの言葉を最後まで聞くことなく、僕は教室を飛び出して行く。おそらく……ううん、もう絶対に間違いないだろう。

 大路さんは、川津先輩が水森先輩と付き合い始めたことを知っているんだ。


 なんでよりによってこんなタイミングで。

 大路さん、この日のために苦手なお菓子作りを頑張ったのに。劇を見てもらって、告白するんだって意気込んでいたのに。

 告白するなら、急いだ方がいい。そう背中を押してしまった自分が嫌になる。


 校舎の中を散策して、教室をあちこち覗いてみたけど、大路さんは見つからない。

 だけどここでふと思い出す。そうだ、居場所がわからないなら、スマホで聞けばいいじゃないか。

 僕はズボンのポケットからスマホを取り出して、アドレス帳から大路さんの名前を選んだ。


 最初は電話を掛けようかと思ったけど、メッセージを送って、どこにいるかを聞いてみた。

 電話越しだと、様子が分からないから。居場所を聞いて、直接会って話がしたかった。


 もし返事が返ってこなかったらどうしようとも思ったけど、予想に反してすぐに返信が送られてくる。

 映し出された画面には一言、『屋上』とだけ文字が記されていた。


 いつもならもっと、一言二言あるのに……。

 その淡白な送信内容を見て、また嫌な予感が加速する。


 グリ女には北校舎や南校舎等、複数の校舎があって、屋上だけではどこの校舎かは分からなかったけど、再び尋ねる事なく、僕は動き始める。

 教室を飛び出した後、深く考えずに向かったのなら、一番近くの屋上かもしれない。


 校舎の作りは把握しきれていなかったけど、屋上ということは階段を登っていけば着けるはず。

 適当に選んだ階段を上って行くと、思った通り、屋上へ続くドアはすんなり見つかった。あの奥に、大路さんがいるのかなあ?


 閉ざされていたドアをゆっくり押し開けると、青空が広がっていて。だけど、大路さんの姿は見えなかった。

 ここじゃなかったのかと思って、引き返そうとしたその時……開いたドアの反対側で、何かが動いた気配がした。


 間抜けな話だけど、僕は目の前を探すことに集中しすぎていて、開いたドアのすぐ横に人がいるなんて、考えもしていなかったんだ。

 慌てて覗き込んでみると、そこには出入口の壁に背中をもたれ掛かって、座り込んでいる彼女の姿があった。


「大路さん……」


 床にペタンと腰を下ろして、ボーッとしたように空に目を向けている大路さん。その表情からは、いったい何を考えてるかは読み取れない。


 必死になって探していたはずなのに、いざ会ってみると、何をどうするかなんて全く考えていなかったことに、今になって気づく。

 見つけはしたけど、どう声をかければ良いか分からなくて。困っていると大路さんの方から、切な気な笑みを向けてきた。


「ショタくん……何か話があって、私を探していたんじゃないのかい?」

「あの、それは……」

「その様子だと、どうやら君も知っているみたいだね、川津君のことを。可愛い彼女さんだったよ」

「ーーーーッ!」


 小さく座ったまま、淡々と答えてくる大路さん。

 その声にはいつものような張りがなくて。やっぱり、ショックを受けていることが痛いほどにわかる。

 好きな人に想いを伝えようとした寸前に、彼女ができたなんて知ったら、傷つかないはずがない。


「……ごめんなさい」

「おや、どうして君が謝るんだい?」

「だって、僕が余計なことを言って、告白を促さなければ……」

「気にすることは無いさ。どのみち結果は同じだもの。もし君が何も言い出さなかったらきっと、怖がって動けずにいたせいで、何もできないまま終わってしまったって、今頃嘆いていただろうね」


 それは……確かにしそうかもしれないけど。けど、だからって気にせずになんかいられない。

 せめてもう少し早く、大路さんに告白させていれば、また違った結末になっていたかもしれないのに。


 過ぎた事を言っても何の解決にもならないって分かっているけど、それでも悔まずにはいられない。

 なのに、大路さんはどうして平気そうに振る舞おうとするの? むしろ僕の方がよほど、辛そうな顔をしていると思う。本当に辛いのは、大路さんなのに。


「大路さん、平気なんですか?」

「うん、大丈夫。心配しなくても、劇には支障は出ないようにするから」

「そうじゃなくて!」


 劇なんてどうでもいいって、叫びたくなる。

 だけど大路さんは穏やかな笑みを浮かべながら。立ち上がって、僕をなだめるようにそっと頭を撫でてくる。


「君がいてくれてよかったよ。きっと私だけだったら、何もできなかった事を悔んで、辛くて苦しくて泣いていたかもしれない。ショタ君がいてくれたおかげで、こうして大丈夫でいられるんだ」

「全然大丈夫に見えませんよ……僕はこうなることを望んだわけじゃありません。大路さんだってそうじゃないんですか? 好きになったのに、頑張ったのに、こんなの……」


 すると大路さんは、静かにそっと天を仰ぐ。


「ショタくん、ラプンツェルのストーリーは知っているよね? ラプンツェルと王子様は恋に落ちたけど、その事が魔女にバレて、二人は離れ離れにさせられて。そして王子様は、目から光を奪われてしまう。もちろん物語はその後も続くけど、もしもここで終わりだったら。二人の恋は、悲劇だったと思うかい?」

「いったい何の話を……そんなの当り前じゃないですか。そんな終わり方じゃあ、誰も納得なんてしません。きっと後世に残る名作になんてなりませんでした」


 どうしていきなりこんな話をしてきたのか、まるで理解できない。だけど大路さんは静かに、話を続けていく。


「そうだね、私もそう思う。バッドエンドにしても、あまりに唐突で、お話としても酷すぎるからね。だけどもし、本当にそうなっていたとしたら、ラプンツェルも王子様も、互いを愛した事を後悔したと思うかい?」

「……したと思いますよ。自分だけじゃなくて、好きになった相手まで不幸な目に遭って終わりなんですから」


 僕はバッドエンドの物語が苦手だ。

 自分がラプンツェルや王子様の立場だったら、そもそもこんな物語、始まらなければ良かったと嘆くに違いない。


 大路さんはいったい、何を言いたいんだろう? 

 疑問に思ったけど、それを尋ねることはできずに。そうしていると大路さんはそっと、左手に着けていた時計に目を向けた。


「さあ、そろそろ行って準備をしないと、劇が始まってしまうね。皆で一生懸命作ってきたんだから、私も最後まで頑張らないと」

「大路さん……本当に、舞台に立てるんですか?」

「ああ。ショタくん、君もぜひ、劇を見に来てほしい。衣装を作ってくれたお礼も兼ねて、いい席を用意しておいたんだけど。これを見せれば、前の席に座らせてもらえるから」


 そう言って大路さんは、『特別招待状』と書かれたカードを僕にくれた。

 前に聖子ちゃんから聞いたことがある。演劇部の人が友達や家族を招待する時には、こうして招待状を発行するらしい。


「それがあれば、最前列で5席まで確保できるから。それとこれは、私のワガママなんだけど、できれば川津君を誘ってくれないかな? それと、水森さんも。さっきうちのカフェに来た時、水森さんとも話をしたけど、彼女この劇を、本当に楽しみにしてくれていたから。近くで見せてあげたいんだ。初デートの記念になるしね」


 水森先輩は大路さんのファンだから、きっと凄く喜んでくれると思う。けど、大路さんはそれでいいんですか? 

 川津先輩と水森先輩が仲良くしている所を間近で見ながら、舞台に立つって言うんですか? 


 大路さんがどうしてそこまでしようとするのか、僕には分からない。川津先輩の事が好きだから、自分は辛くても我慢して、喜んでもらおうとしてるの? 


 恋なんてしたことのない僕には、全く理解できない。いっそ招待状なんて破り捨ててしまおうかとも思った。

 そんな事をしても、大路さんが辛い思いをするんじゃないかって思ったから。だけど……。


「分かりました……川津先輩に、声を掛けてみますね……」


 そう答えるしかなかった。

 頭では嫌だって思っているのに、断りたいはずなのに、大路さんの目を見ていると、出来ないなんて言えなくて。

 大路さんが苦しむのは見たくないのに、どうして?


 大路さんは表情を変えないままそっと立ち上がる。


「それじゃあ私は、準備があるからもう行くよ」

「大路さん……」


 何か言わなくちゃと思ったけど、続く言葉が出てこなくて。屋上から出て行く大路さんを、ただ見送るしかできなかった。

 

 一人残された僕は、さっきの大路さんと同じように、一人天を仰いでみる。


 大路さんはどうして、川津先輩の事を好きになってしまったんだろう? 悲しい思いをしたのに、どうしてまだ好きでいられるのだろう? 

 僕だったら大路さんの事を悲しませたり、苦しませたりしないのに。僕だったら……。


 ありもしない『もしも』の話を、つい考えてしまいながら。奥歯を強く噛み締めた……。

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