ラプンツェル
午後を回って、いよいよ演劇部による、ラプンツェルの劇が始まる時間になって。
体育館の中は満員。用意されていた椅子だけでは足りずに、立ち見客までいるという盛況ぶりだけど、僕は不安を拭いきれずにいた。
大路さんは大丈夫って言っていたけど、本当に? あんな事があって、とても普通でいられるとは思えないのに。
それでも川津先輩や水森先輩等と一緒に、用意してもらった最前列の特別席に腰を下ろして、劇が始まるのを待っていた。
「スゲー人だけど、よくこんな前の席とれたなあ?」
「そりゃ灰村は関係者だからな。けど悪いな、俺達の席まで用意してもらって」
「本当、感謝してるよ、灰村君」
僕の心中なんて知るよしもない正人に川津先輩、それに水森先輩が、代わる代わるお礼を言ってきたけど、適当な相づちで返すばかりで。
頭の中は、大路さんの事で一杯だった。
本音を言えば、劇なんて放り出してしまえばいいって思っている自分がいる。
だけど大路さんは、川津先輩達に劇を見てもらいたいって言っていたから。僕はその気持ちに応えるべく、皆をここに連れてきたんだ。
けど本当は、やっぱり不安で。これで良かったのかなあって、心配になってくる。
だけどそんな僕の気持ちなんて関係無しに、劇は始まる。
最初にステージの上に出てきたのは、部長である聖子ちゃん。集まったお客さんに、一礼をした。
「本日は私達演劇部の公演を見に来てくださってありがとうございます。ご存じの事とは思いますが、聖グリム女学院は来年、お隣の乙木学園と合併します。合併後も演劇部は存続していきますが、グリ女の演劇部としての公演できる機会は、もうそんなにありません。どうか皆様最後までご覧になって、我がグリ女演劇部の勇姿を、目に焼き付けてくださいませ」
最後にもう一度ペコリとお辞儀をして、お客さんは拍手でそれに答える。
普段はだらしない聖子ちゃんだけど、こう言う所はしっかりしているんだなあ。
今まで知らなかった姉の一面を見て、少し驚いてしまった。
そしていよいよ、物語が始まる。
最初は赤ん坊を抱いた夫婦の元に、悪い魔女が現れて、赤ん坊を拐っていくシーンだ。
舞台の上では魔女が赤ん坊のラプンツェルを抱えていて。ラプンツェルの両親が悲痛な声を上げている。
「お願いです。どうかその子だけは、連れて行かないでください!」
「そうはいかないね。安心しな、この子はアタシが責任もって育てるから。召し使いとしてね」
「やめてくれ! その子は私達の大事な娘なんだ! お金なら、借金してでも払います。だから娘だけは!」
「うるさいヤツは嫌いだよ。少し黙っておきな!」
魔女が杖を振ったかと思うと、途端に後ろに吹き飛ばされる、ラプンツェルの両親。
産まれて間もない娘が連れて行かれると言うのに、なす術も無い。
だけど魔女が立ち去ろうとした時、ラプンツェルのお母さんは、力を振り絞って懇願する。
「待って下さい。名前を……名前をつけさせて下さい。私達は親なのに、その子に何もあげる事ができません。だからせめて、名前を付けてあげたいのです」
「名前ねえ、まあいいか。それで、こいつには何て名前を付けるんだい」
「ラプンツェル……、その子の名前は、ラプンツェルです」
「ラプンツェル、ね。分かったよ。それじゃあこれで本当にお別れだ。ラプンツェルはアタシが育てるから、あんた等は安心して暮らすと良いよ」
そう言い残して、魔女は去っていき、後には絶望にうちひしがれた両親が残った。
始まってから、まだ数分しか経っていないけれど、この時点でほとんどの人が、物語の世界に捕らわれている。
物珍しさで来ただけの正人でさえ、前のめりになって見いってしまっていて。そして僕も、練習の様子を見て、内容を知ってるはずなのに、目の前で展開されるストーリーに心を奪われていた。
前に聖子ちゃんが、練習と本番は全然違うって言ってたけど、今ならその意味がよく分かる。
まるでここが、日常と切り離された別世界なんじゃと錯覚するくらい、特別な空気が体育館内を包んでいて、皆息をするのも忘れて、劇に見入っていた。
そして物語は進み、美しく成長したラプンツェルが登場する。
雪子先輩が演じる、黄金色の長い長い髪を持つ、純真で無垢なラプンツェル。だけどあの日、拐われて塔に連れてこられて以来、一度も外に出た事の無い、囚われのお姫様。
だけどそんな彼女の前に凛々しき王子様が現れてーー。
……大路さん。
舞台の袖から出てきたのは、僕が作った衣装を身に纏い、王子様となった大路さん。ステージに出てきた瞬間、会場の至る所からざわめきが起こった。
本番中に騒ぐのはタブーだけど、どうしても漏れてしまう声は仕方がない。きらびやかな衣装を着て、堂々と舞台に立つ大路さんを見て、何も感じるなと言う方が無理なんだ。
大路さんのファンを公言している水森先輩も、叫びたい気持ちを抑えるように、手を当てて歓喜の表情をしながら、肩を震わせている。
だけど、恐らく会場でただ一人、僕だけが不安を感じていた。
大路さんは、はたして本当に平気なのかな? この前、大路さんの家で練習した時は緊張する事なく王子様を演じていたけど、今は?
あんなことがあった直後に、まともに演じるなんてできるのだろうか?
祈るような気持ちで見守っていると、張りのあるハスキーボイスが、館内を震わせる。
「黄金色の、美しい髪の姫君様。ぜひ私に、アナタの名をお聞かせください!」
瞬間、僕はまだまだ、大路さんの事を見くびっていたことを痛感させられた。
その声からは迷いや戸惑い等は一切感じられなくて、王子様の登場に高揚していた会場を、一気に静まり返らせる。
まともに演じられるかだって? とんでもない。大路さんはいつもと同じ……いや、いつも以上に凛とした立ち振舞いを見せて、王子様になりきっていた。
最前列に座っている僕にとって、大路さんは目と鼻の先にいるのに、果てしなく遠くに感じる。
いや、そこにいるのは、大路さんと雪子先輩じゃなくて、王子様とラプンツェルだ。僕は心配していた事も忘れて、劇に見入っていく。
そうして物語は進んでいって、内緒のお付き合いをしていくラプンツェルと王子様。
だけど王子様と会っていた事が魔女にバレて、遠くの荒野へと捨てられてしまうラプンツェル。そしてそうとは知らずに彼女に会いに来た王子様は、魔女によって目を傷つけられ、何も見えなくなってしまう。だけどそれでも……。
「ああ、ラプンツェル。アナタは今、どこにいるのですか? 私が必ず、アナタの事を探し出します。だから少しの間、どうか待っていてください」
目が見えないにもかかわらず、ラプンツェルを探すために旅に出る王子様。当ては無いけれど、何日も何日もかけて、各地をさ迷い続ける。目が見えない為、険しい道を進むのはもちろん、たくさんの人が行き交う町の中も、とても歩きにくくい。
躓いて、ケガをして。ボロボロになりながら、それでも前に進むのを止めない王子様。
だけど、それでもやっぱり挫けそうになる時もある。ある夜月の下で、歩くのを止めて立ち止まりながら、どこにいるかも分からないラプンツェルの事を思い出す。
「ラプンツェル……。私の愛しい人。アナタは今もこの空の下で、元気にしていますか? 私の事を、覚えていますか? 怨んでは、いないですか?」
自分と出会ってしまったせいで、ラプンツェルまで責めを受けてしまったと、嘆く王子様。もしこのまま見つからなかったらと、心が折れそうになる。
「こんな事なら、出会わなければよかった。愛さなければよかった。そうすればきっと、アナタは今でも、あの塔の中で平穏に暮らしていたでしょう。なのに私と、出会ってしまったばっかりに……」
出会ってしまった事、愛し合ってしまった事を、激しく後悔して。だけどそれでも一目会って、懺悔の言葉を述べたい。だからまた歩き出す。
それが僕の知っている、このシーンでの王子様の行動だった。だけど……。
「ラプンツェル、アナタは私の事を、許してはくれないかもしれない。だけど……」
一瞬、王子様がこっちを振り向いて――――僕と目が合った。
偶然視線の先に、僕がいただけ? そう思ったけど。王子様は天を仰ぎながら、月に向かって叫ぶ。
「だけど私はそれでも、アナタを愛した事を後悔していない。出会わなければよかったなんて、思うことはできない。アナタから暖かくて大切なものを、たくさん貰ったから。この気持ちは、嘘にはしたくない!」
空気を震わせる声で、想いを吐露していくその姿に、館内にいる全ての人が息を呑む。
だけどそんな中僕は、周りとは違った気持ちで、ステージを見つめていた。
劇の練習の際に、このシーンは見せてもらったけど、こんなセリフは無かった。これは、大路さんのアドリブだ。
本来ここでは言うはずの無かった王子様の本当の気持ちを吐き出している。
……いや、これは本当に、王子様だけの気持ちなのだろうか?
「アナタが大変な目に遭っているかもしれないのに、こんな風に思ってしまう私を、見損なうだろうか? だけど、それならそれでもいい。アナタにどう思われても、もし見つけた先で、アナタが他の誰かと幸せになっていたとしても。私はこの想いを曲げたりしない。これがもし、叶わない想いだったとしても、それでも後悔なんてしません。それが私の、愛すると言う事なのですから」
他の誰かと幸せになっていたとしても……。
僕にはその言葉が、単にアドリブで言っただけの台詞とは、どうしても思えなかった。
これは、ラプンツェルのことを想う王子様の気持ち? それとも、川津先輩への想いが実らなくて、それでも後悔はしていないと言う事を、僕に伝えたいんですか?
だからさっき、目が合ったのですか?
いったいどんな意図があって、大路さんがこんなアドリブをはさんだかは分からない。
ただ、ステージの上で独白を続ける彼女を、とても綺麗だって思ってしまっている自分がいる。
凜としていて。だけど好きな人の事となると、とたんに情けなくなっちゃって。それでも舞台の上では、堂々とした王子様を演じている大路さん。
彼女の事を思うと、胸が痛く、苦しくなるのは。きっと僕が大路さんの事を……。
予期せぬアドリブが入ったけれど、それは劇の進行を妨げてしまうものではなくて。その後もつつがなく進行していく。
本来の脚本を知っている演劇部の人達は、やっぱりビックリしたと思うけど、そんな様子は表には一切見せずに、何事も無かったように勧められる手際はさすがだと思った。
そしてついに、王子様とラプンツェルの再会の時が訪れる。
目が見えないまま各地をさ迷っていた王子様が、恋い焦がれていたラプンツェルをついに見つけ出す……。
遠く離れた土地で、町娘として生きていたラプンツェル。
目が見えない王子様は、ラプンツェルの長く美しい髪に触れて、声を聞いて、それが探していた少女だと確信する。
「ラプンツェル……本当に君なんだね。やっと……やっと会えた……」
「王子様、あなた目が……ごめんなさい、私と会いさえしなければ、こんな事にはなかったのに」
「それは違う。私はこうなったことを、少しも後悔していない。君を見ることができないのは残念だけど、こうしてまた会えたんだ。これ以上の幸せが、他にあるものか!」
「ーーッ! 王子様!」
どこまでもブレずに、己が愛を貫く王子様。こんなにまで自分の事を思ってくれている王子様の気持ちを無視して、二人の出会いを、間違いになんてしたくない。
ラプンツェルは、その思いを受け入れた。
そして二人はひしと抱き合い。感激したラプンツェルのこぼした涙が、王子様の目に落ちる。すると……。
「これは……なんと言うことだ! 見える。見えるよラプンツェル。君の姿が!」
王子様の目は、信じられないといった表情で、ラプンツェルを見つめる。
再び光を取り戻した王子様の目。それは二人の想いが起こした、奇跡の魔法。
悪しき魔女の呪いで光を失ったのなら、それを上回る愛で呪いを解く。それが、大路さん達が描くラプンツェルの物語。
二人は見つめ合い、笑い合いながら、それぞれの気持ちを口にしていく。
「信じられない……ラプンツェル、また君をこの目で見られるだなんて、夢みたいだ」
「私も、今日と言う日をどれほど夢見ていた事か。もうアナタと、離れたくありません。どうかずっと、ワタシの傍にいてください」
「もちろんだよ。もう君を放さないよ、ラプンツェル――」
二人はそっと瞼を閉じて。
そしてゆっくりと、唇が重なっていって……さすがにこれは、重ねたふりをしているだけだと思う。だけど客席からだと角度のせいで、まるで二人が本当にキスをしているように見えた。
そして終幕。
舞台の上にはキャストや裏方等、演劇部の先輩達がズラリと並んで、最後の挨拶が行われる。
「皆様、最後までご覧くださって、ありがとうございました。引き続き、グリ女文化祭をお楽しみください!」
聖子ちゃんの締めの言葉と共に、館内は歓声に包まれて、これでもかと言わんほどの盛大な拍手が響き渡る。
僕も拍手をしながら、誰にも聞こえないくらいの小さい声で呟いた。
「お疲れ様です、大路さん」
劇は本当に感動的で、今でも胸の奥がざわざわする。
だけどその一方で、やはり思ってしまう。やるべきことを終えて、緊張の糸が切れた時、大路さんはいつもの大路さんでいられるのだろうか、と。
劇の余韻に浸っていたいのに。心から祝いたいのに。
そんな不安が、僕の胸の奥で渦を巻いていた。
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