灰村家でお出迎え
9月に入って、暑さも少しだけ和らいできた、日曜日のお昼前。僕は自宅のキッチンで家族の昼食を作っていた。
と言っても、チャーハンを作って、後はさっきスーパーで買ってきた総菜をお皿に並べるだけなんだけどね。
十年前に父さんが亡くなってから、うちは母さんと二人の姉、それに僕を合わせた四人暮らし。そして買い物や料理、掃除洗濯と言った家事全般は、僕が一手に引き受けていた。
これは何も、母さんや姉達が意地悪して仕事を押し付けているわけじゃない。
うちの女性陣は揃いも揃って家事に関しては要領が悪く、僕がやった方が効率がいいから、自然とそうなっていったと言うだけの話。結果中三にして主婦のように毎日の献立を考えたり、買い物に行ったりしているけど、全然苦にはならない。そもそも……
「おはよう翔太―。朝ごはん出来てるー?」
フライパンを振るってチャーハンを作っている僕の背後に現れたのは、髪ぼさぼさの寝間着姿の長女、大学二年生の桃ちゃん。もう昼前だと言うのに、とても人様には見せられないだらしのない恰好での登場だ。
「桃ちゃん、朝ご飯どころか、もうお昼を作ってるから」
「ああ、もうそんな時間なんだ。昨夜は遅くまでレポート仕上げてたから、起きるの遅くなっちゃった。ふぁーあ」
大きなあくびを隠そうともしない桃ちゃん。たぶんだけど、レポート作成の最中、スマホを弄っていたせいで終るのが遅れたんじゃないかって思う。
「まずは顔を洗ってきなよ。お昼はもうすぐできるから、母さんも呼んで来て」
「ああ、お母さんってばまた、部屋に籠りっきりで仕事してるの?」
「そう言う事。放っておくと夜になっても出てこないんだから」
母さんの仕事は、洋服のデザイナー。一度考え出したら周りが見えなくなっちゃうタイプで、デザインのアイディアに詰まった時、もしくは逆に、アイディアが溢れてきて集中した時なんかは、ご飯も食べずに一日中仕事をしていたりする。
そんな母さんが身体を壊さないために、ちゃんとご飯を作って食べさせるのも僕の役目だ。
母さんも桃ちゃんもだらしないんだから。もし僕がいなかったら、この家は終わりなんじゃないかって、時々本気で思ったりもする。
チャーハンを作り終えてテーブルに並べていると、髪をとかした桃ちゃんと、部屋から引っ張り出してきた母さんが姿を現した。
「あらあら、もうお昼だったのね。一人で用意させちゃって悪いわね翔太。後片付けは私がやるから」
「母さんは仕事、まだ終わってないんでしょ。そっちを優先させてよ。それに後片付けなら、僕がやった方が速く済むから」
「そんなことは……あるか。やっぱりお願いするわ。もうお皿は割りたくないし」
仕事のことで頭がいっぱいな時の母さんに、洗い物を任せるわけにはいかない。前に後片付けを頼んだら、バリンバリンとお皿を割っちゃって、片付けるのに手間がかかった事があるから。
少々生意気な言い方だったけど、母さんは素直に頷いてくれた。
そんなやり取りの後、三人そろって昼食を取り始める。するとすぐに、桃ちゃんがふと尋ねてきた。
「そう言えば聖子はどうしたの?」
「聖子ちゃんなら出かけてるよ。昼食は、友達ととるからいらないって」
聖子ちゃんというのは、僕より二つ年上の、二人目の姉のこと。
補足説明をしておくと、母さんや桃ちゃんと同様に、家事は大の苦手。前に料理をした時は、危うく家が火事になりかけた事がある。
ここまで来ると、どうしてうちの中で僕だけが家事ができる事の方が、不思議に思えてくるよ。
「あ、そうそう。聖子ちゃん午後から、学校の友達を連れて帰って来るって言ってたから。だから桃ちゃん、その時まではちゃんと着替えておいてね」
「大丈夫。私もこれ食べたら出かけてくるから」
未だパジャマ姿のままの桃ちゃんが、チャーハンを口に運びながら答える。
そう言えば聖子ちゃん、何人くらい友達を連れてくるんだっけ? まあいいか、飲み物や来客用のお菓子は、午前中に買い物に行った時に買ってきてるし。
たくさん来たら騒がしくなるかもしれないけど、母さんの仕事の邪魔にはならないだろう。集中したら、ちょっと騒いだくらいじゃビクともしないからねえ、うちの母さんは。
素早く昼食を終えると、桃ちゃんは化粧もそこそこに出かけて行って、母さんは僕が淹れたコーヒーを片手に、自分の部屋へと戻っていった。さて、僕も自分の仕事を片付けるとしよう。
キッチンへと運んだ三人分の食器を洗い終えて、ようやく一休みできるかなってなった時、ふと玄関の方から元気のいい声が聞こえてきた。
「たっだいまー!」
この声は聖子ちゃんだな。てっきり帰ってくるのは、もう少し後になると思っていたけど、だいぶ早い帰宅だ。そしてよく耳を澄ましてみると、大勢の人の声が、玄関から聞こえてくる。どうやら言っていた通り、友達も一緒に来たみたい。この様子だと、結構な大人数だと思うけど、飲み物とお菓子を補充しておいて正解だったかもしれない。
そんな事を考えていると、リビングのドアが開いて、ポニーテールを揺らしながら聖子ちゃんが顔をのぞかせる。
「ただいま翔太―。友達連れて来たよー」
僕の顔を見るなり、大きな声で言ってくる聖子ちゃん。そして宣言通り、聖子ちゃんの後ろからは一人、二人……合計六人の女の子が姿を現した。
思った通りの大人数を見ながら、お茶の用意をしようなんて思ったけれど、最後に入ってきた一人、背の高いその人の姿を見て、僕は動きを止めた。
あれ、あの人って?
その人には見覚えがあった。
そうだ、たしか夏休みのあの日、列車でお婆ちゃんに席を譲っていたあの……王子様みたいな女の人だ。
僕は直接話した訳じゃなくて、離れた所から見ているだけだったけど、あの時のことはよく覚えている。あの人、聖子ちゃんの友達だったんだ。世間って狭いなあ。
そんな事を考えながら、少しの間つい様子を見てしまっていたけど。いけない、あんまりじろじろ見ていたら失礼だよね。
僕はキッチンにあったティーカップを総動員して、リビングに集まっている聖子ちゃん達に紅茶を持っていく。
「聖子ちゃん、皆さんにこれを」
「お、気が利くねえ。皆、好きなの取っちゃって」
聖子ちゃんの言葉で、皆それぞれカップを手にしていくけれど、そんな中で例の王子様……確か、大路さんって言ってたっけ。その人がふと、僕の事を見てくる。
「お気遣いありがとう。君は、聖子の妹さんかい?」
「あ、はい。僕は聖子ちゃんの……」
弟の翔太です。そう答えようとして、違和感に気付いた。あれ、この人さっき、僕の事をなんて言ったっけ?
だけどそんな事を考える間もなく、他の人達も僕の方を見て、次々に口を開き出す。
「へえー、聖子ってばこんな可愛い妹がいたんだ」
「君、中学生だよね。何年生?」
「名前なんて言うの?」
次々とかけられる、質問の嵐。だけどそれに答えるよりも、まずはハッキリさせたい事がある。
ふと見ると、皆が興味津々と言った様子で質問してくる中、聖子ちゃんだけが吹き出すのを必死で堪えているのが見える。
聖子ちゃん、他人事だと思って楽しんでるんだから。だけどついに我慢できなくなったのか、ハハハと大きな声で笑い始める。
「ははは、可愛い妹だってさ。良かったじゃん翔太」
「聖子ちゃん、からかわないでよ。だいたい、誤解されてるって分かってるのなら、ちゃんとフォローしてよね」
「ごめんごめん。こんなに盛大に勘違いされるのなんて、最近じゃあまり無かったから可笑しくて」
突然始まったプチ姉弟ケンカを見て、さっきまではしゃいでいた皆はキョトンとしている。
まあいいけどね。間違えられるのには、慣れているから。
「ええと、皆さん。姉がいつもお世話になっています。僕の名前は灰村翔太、聖子ちゃんの弟です。妹じゃなくて……弟です」
「「えっ……」」
よほど驚いたのか、皆一様に、目が点になっている。
うーん、間違えられるのには慣れているけど、こうも空気が変わってしまうと、なんて言ったらいいか分からない。そうして、少しの間沈黙が続いたけれど、それを破ったのはあの大路さんだった。
「……君は、男子だったのかい? すまない。私がおかしな事を言ってしまったばかりに、皆にまで誤解を広げてしまった」
「あの、そんなに思い詰めたみたいに言わなくても。僕は別に気にしてませんから」
「いや、しかし一歩間違えていたら、君を深く傷つけてしまったかもしれないと思うと。やはりここは、ちゃんと謝らなければ……」
「そんなのいいですって。って、どうして土下座なんてしようとしてるんですか!」
聖子ちゃんの学校の友達と言う事は、この人は高校生。年上相手に土下座なんてさせては、今度はこっちが申し訳ない。
だけどここで、今まで事態を静観していた聖子ちゃんが、くすくすと笑いながら僕達の間に入ってくる。
「まあまあ満。そう重く受け止めなくたっていいから。だいたい、翔太だって悪いんだよ。その顔でそんな格好してたんじゃあ、間違えるなって言う方が無茶だって」
「そんな恰好って……」
言われてからハタと気づく。そう言えば今日買い物から帰った後、部屋着に着替えたんだった。そしてその、着替えた服というのが問題だった。
僕の家では、服のおさがり制度を採用している。長女の桃ちゃんが着ていたお古を、今度は聖子ちゃんが着るといった具合に。
そしてそのお下がり制度は、聖子ちゃんと僕との間でも健在で。
今の僕の服装は、Tシャツにキャミソールの上を重ね着していて。更に下に履いているのも、ズボンでなくスカートだった。
しまった。普通男子は人目の無い家でもこんなの着ないって、前に正人から言われた事がある。
僕だってさすがに、この格好で外を出歩いたりはしないけれど、家の中でなら普通に着ているから。
その為これがすっかり当たり前になっていて、女の子と間違われてもおかしくない格好だと言う事を、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「聖子ちゃん、気づいていたなら早く言ってよ」
「ごめんごめん。でも、アタシも最初から気付いてたわけじゃないから。皆が間違えて、それから気付いたんだもん」
「まあいいや。とにかく、着替えてくるよ」
普段なら今の格好でも別に構わないけど、お客さんが来たとなると話は別。女子と間違われたのが嫌と言う訳じゃないけど、まあ着替えておいた方がいいかな。
そう思って自分の部屋に行こうとしたけれど、ちょっと待ってと言わんばかりに、大路さんが僕の肩を掴んでくる。
「まあ待ってくれ。君は普段から、家ではその恰好をしているんだろう。だったら私達に気を遣う事なんて無い。それが楽な恰好なら、着替えなくてもいいんじゃないかい?」
「それは……まあ」
この格好は、もうバッチリ見られたわけだし。
それに妹と間違われたから着替えるなんて言ったけれど、僕の友達が家に来た時なんかは普通にこの格好をしているわけだし。そう考えると、確かに今更着替えることに、意味なんて無いかなって思えてきた。そして何より。
「そうだよ、別に恥ずかしがることなんて無いよ」
「その恰好とっても可愛いよ。男の子だって言うのが信じられないくらいに」
「君、翔太君って言ったっけ? せっかくだから写真撮らせて!」
なぜか皆、大いにウケている。
ああ、これはもう、着替えるなんて言っても無理だろうな。さすが聖子ちゃんの友達と言うだけあって、彼女達は皆パワフル。
いや、聖子ちゃんの友達というよりも、彼女達の通う学校が、そういう生徒を作りやすい環境なのかもしれないけど。
何せ聖子ちゃん達が通っている学校というのは、聖グリム女学院。通称『グリ女』。強い女子が多い事で有名な女子高なのだから。
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