変わったあだ名達

 僕が通っているのは中高一貫の学校、乙木学園の中等部。そしてグリ女と言うのは、その隣にある女子高のことだ。


 少子化の影響で、二校は来年合併する事が決まっているんだけどね。つまり来年には、ここにいる人達は皆、僕の先輩という事になる。

 僕は結局、キャミから着替えることなく、聖子ちゃんから未来の先輩達を、一人一人紹介してもらっていた。


「この一年生の子が、白井雪子。こっちが二年の西本朝美。で、この背の高い子が大路満。どう、全員覚えた?」

「白井さんに西本さんに大路さん……うん、たぶん全員覚えたと思う」


 聖子ちゃん達の集まりなのだから、本当なら僕はすぐにはけても良かったんだけど、何故か皆から興味を持たれてしまい、聖子ちゃん達に交ざって話をしている僕。  

 するとその中の一人。身長低めの、可愛い感じの女の子、白井さんが、そっと尋ねてくる。


「あの、もしかして灰村君って、あの『乙木の姫君』って呼ばれている灰村くん?」

「白井さん、僕の事を知っているんですか?」

「雪子で良いよ、皆そう呼んでるから。灰村くんのこと、ちょっと噂で聞いた事があってね。珍しいあだ名で呼ばれている男の子が、乙木学園にいるって」

「それは、間違い無く僕の事ですね。何故か皆、そんな風に呼ぶんですよね」

「いやいや、これだけ可愛かったらそんな風に呼ばれても不思議じゃないって。ふっふっふ、こんな可愛い子、うちの学校にはいないねえ」


 今度は長身のボーイッシュ女子の西本さんが、まるでチャラ男のような言い方をして、嘗め回すように見てくる。当然ふざけてやっているのだろうけど、ちょっと怖い。

 さすが聖子ちゃんの友達。と言うかもしかしたら、グリ女の生徒って皆こうなのかなあ? 

 だけどここで、助け舟を出してくれる人が現れた。前に列車で見かけた、王子様みたいな女の人、大路さんだ。


「こらこら朝美、あんまり怖がらせるな。ごめんね、うちの子達は少しばかり、冗談がきつい事があって、ビックリしたかい?」

「まあ、少しは。けど聖子ちゃんはもっと悪ノリしたり、意地悪したりすることだってありますし、それに比べたら……痛っ」

「こら翔太。アタシがいつそんなことしたの?」


 僕を殴った後、心外だと言わんばかりに頬を膨らませる聖子ちゃん。だけどグリ女の面々は、そろって僕の味方をしてくれる。


「ハハハ、そりゃそうだ。アタシ達だって聖子には敵わないわ」

「今だって殴ったじゃん。ダメだよ、弟君を労わらなきゃ」

「うるさ―い! えい、そんな事を言うのはこの口かー!」


 西本さんの口を、ビローンと引っ張りはじめた聖子ちゃん。

 だけど文句を言いつつも、楽しそうにじゃれ合っていて。普段学校でどんな風に過ごしているかが、なんとなく想像できて、見ていて面白い。

 しかし女三人寄れば姦しいって言うけど、こんなに集まっているものだから、騒がしさは相当なものになっている。


「ところで、これはいったい何の集まりなの?」

「ちょっと演劇部のことでね。今度文化祭で劇をやるんだけど、その事でちょっと話があって」

「ああ、そう言えば聖子ちゃんって演劇部だったっけ。それじゃあ皆さん全員、演劇部なんですね」

「そうだよー。演劇をやるにしては、人数はそれほど多くないけど、みんなで楽しくやってるんだ」

「来年には乙木と合併しちゃうから、グリ女の演劇部としての活動は、もうあまり出来ないんだけどね。それでも最後まで頑張って何か実績を残そうと思って、今日は打ち合わせに来たってわけ」

「皆さん、活動熱心なんですね」


 僕は今まで演劇というものに触れる事が無かったけど、こうやって話を聞いているとちょっと興味が出てくる。いったいどんな劇をやるんだろう?


「そうだ。君も来年は、アタシらの後輩になるんだよね。だったら演劇部に入らない?」

「え、演劇部に?」

「うん。うちは女子高だから、当然男子部員なんていないし。入ってくれたら男優としてビューさせてあげるから」

「役者ですか? うーん」


 そう言われても……全く興味が無いわけじゃないけど、ステージに立った自分の姿なんて想像できない。

 それにどちらかと言えば、僕は裏方の方が向いているかなって思う。裁縫が得意だし、手先は器用な方だと思うから、小道具作りならできるかもって思うし。 


「そう言えば今まで女子ばかりでやってきたってことは、劇には男性は一切登場しなかったんですか?」


 ふと思った疑問を口に出してみたけど、確か今年の春ごろだったか、聖子ちゃんがロミオとジュリエットの劇をやるって言ってた気がする。あの時、ロミオ役はどうしたんだろう? すると。


「何言ってんのよ翔太。あんたの目は節穴? わがグリ女を代表するイケメン俳優が、目の前にいるじゃないの」

「えっ……ああ」


 瞬間、全てを察することが出来た。

 聖子ちゃんの見つめる先にいたのは、それはそれは凛々しさ満点の大路さん。僕や聖子ちゃんから目を向けられている事に気づいて、笑みを浮かべてくる。


「イケメン俳優なんて大層なものではないけど、男役はやらせてもらっているよ」

「またまた謙遜して。満はね、男役をやらせたら惚れない子はいないって言うくらいの、うちの看板役者なんだから。で、付いたあだ名が『グリ女の王子様』よ」


 え、王子様? 

 その珍しいあだ名に、驚きを隠せない。


 確かに大路さんは、凛々しくて格好良くて、列車で見かけた時はそれこそ、王子様みたいな人だなって思ったりしたけど、まさかそんなあだ名があっただなんてビックリだ。


 いや、僕がそんな事を言えた義理じゃないか。自分だって、『乙木の姫君』なんて呼ばれているんだし。

 変だ変だと思っていた僕のあだ名。もしかしたら探してみたら、案外似たようなあだ名って多いのかもしれないなあ。


「合併しても、満以上の男優なんていないんじゃないかなって思うけどさ、アンタも学校で友達に声かけといてみてくれない。人数は多いにこしたこと無いから」

「分かった。もしかしたら、入ってくれる人がいるかもね」

「そうでなきゃ困るわ。引退した先輩から、乙木の生徒を勧誘するようにきつく言われてるんだもの。もしこれで一人も獲得できなかったら、部長として立つ瀬がないわ」

「え、聖子ちゃん部長だったの⁉」


 これはビックリ。たぶん部長を任されたというのは、今初めて聞いたと思う。

 けど、部長ねえ。聖子ちゃんには悪いけど、普段のだらしなくしている姿を見慣れている僕としては、ちゃんと部長職が務まるか心配になってしまう。


 いったいどういう経緯で、聖子ちゃんが部長になったのだろう? 他に適任者がいないってわけじゃ無かったろうに。そんな事を考えながら、そっと大路さんの方を見る。


 部長にするなら、この人なんかが適任なんじゃないかって思ってしまう。

 まだ会ったばかりだけれど、人望や統制力があって、皆から信頼されていると言うことがすぐにわかるもの。


「あ、翔太。アンタ今アタシよりも、満の方が適任だなんて思ったでしょう」

「え、そんなことは……」


 無いとは言えなかった。だって実際に、思っちゃってたもの。

 すると名前を挙げられた大路さんは爽やかな笑みを浮かべながら近づいて来て、聖子ちゃんの方にそっと手を置いた。


「私は、聖子が部長で良かったと思っているよ。私じゃ皆を引っ張っていくことはできても、聖子みたいに皆から愛される部長にはなれないと思うよ」

「愛する、ねえ。アタシは他の子猫達の愛よりも、満の愛がほしいわ」

「ふふふ、君は困った子だ」

「私は本気よ。満は私の事を、そんな風に見てはくれないの?」

「そんなことは無い。私はいつだって、聖子だけを愛しているさ」


 大路さんは聖子ちゃんの腰に手を回して、まるで恋人同士みたいに、聖子ちゃんと見つめ合う。

 ちょっと、弟がいる前で、しかも女子同士で何をやってるの?


「あの、これはいったい?」

「ああ、気にしなくていいから。うちの部では時々こんな感じで、前振り無しの即興劇を始める事があるの」

「それは何の為に?」

「こうして日ごろから鍛えていれば、本番中に何かトラブルが起きた時でもアドリブで対処できるんじゃないかって。言い出したのは、聖子なんだけどね」


 すぐさま疑問に答えてくれる先輩達。

 けど聖子ちゃん、絶対に面白そうだからって理由で始めたでしょ。ノリノリで演じながらも、その目は悪戯心で満ちていることを、弟である僕は見抜いていた。


「即興劇が始まってからというもの、ミーティング中でもきっかけさえあればすぐにこんな感じになっちゃうから、話が全然進まないの」

「そうそう。今日だって、そうして遅れた分を取り戻そうとして集まったんだけど、話を始める前にこれだものね」

「ダメじゃないですか!」

「私達もそう思うんだけどね。けど、面白いから続けたいって言う子も、結構いるんだよね。まあ大抵は、大路先輩が目当てなんだけどね」


 皆大路先輩と即興劇をやりたいと言うことだろうか? けど、なんだか納得してしまう。

 大路さん、男の僕から見ても格好いいから、演じているだけとは言え彼氏役をやってほしいって思う女子は、多いと思う……って、大路さんも女子なんだけどね。

 なんだかこの人を見ていると、性別を忘れてしまうよ。




 結局その後、即興劇は10分にわたって繰り広げられて、スタートはちょっと遅れてしまったけれど、その後のミーティングは順調に進んでいるみたい。僕は皆の横で、何となくそのやり取りを聞いていたのだけど。


「あ、そうだ灰村」

「なに?」

「何ですか?」


 名前を呼ばれて返事をした瞬間、僕と聖子ちゃんの声が重なった。あ、そうか。僕じゃなくて聖子ちゃんのことを呼んだのか。


「ごめんごめん。今のは聖子を呼んだんだよ。けど同じ呼び方だと、今みたいに間違えちゃうね」

「呼び方どうしよう? 弟君って呼んだ方がいいかな?」

「待て、それでは翔太君に失礼じゃないか」


 大路さんがすかさず待ったをかけてきた。僕も聖子ちゃんの弟だからって、『弟君』と呼ばれるのは、さすがにどうかと思うけど。

 でも僕は別にそんな長いこと先輩達と絡むわけじゃないんだし、別に無理して呼び方を決めなくてもいいんじゃないかなあ? それでもどうしても区別したいのなら……。


「普通に翔太でいいんじゃないですか?」


 別に凝った呼び方なんてしなくても、普通に名前呼びでいいじゃないですか。

 名前呼びは変な感じがすると言う人もいるだろうけど、姉弟で行動することが多かった僕は、名前で呼ばれることに抵抗はない。が……。


「よしわかった。それじゃあ今から、弟君をショタ君と呼ぶことにしよう」

「え、ショタくんですか⁉」


 一人がおかしなことを言ってきた。途端に聖子ちゃんは吹き出し、他の子達は何故か目を輝かせている。


「ショタ君……いいじゃないショタ君。あんた未だに、中三には見てもらえないって言ってたじゃない。ピッタリよ」

「聖子ちゃんは黙ってて。面白いってだけで、すぐ悪ノリするんだから。」


 先輩は単に僕の名前を少し捩っただけのつもりだったかもしれないけど、聖子ちゃんの言ったように、これは別の意味に聞こえてしまう。幼い男の子を指すあの言葉を、どうしても連想してしまうのだ。だと言うのに。


「えー、ショタ君って可愛いよ。皆もそう思わない?」

「そう言えばネット小説で、『ショタくんとアネさん』って作品があったっけ。いいじゃないショタくん、かわいくて」

「ああ。その小説なら、僕も知っています。面白いですよね、『ショタくんとアネさん』……って、そうじゃなくてですね!」


 その小説は僕もよく知っていて、好きな作品だけど、まさか自分がショタくんなんて呼ばれるなんて、考えてもみなかった。


 成り行きを見守っていた他の人達も口々に「賛成」と声を上げる。マズイ、ここで団結されてはもう覆すことはできない。

 いや、それでも僕には、切り札があるじゃないか。演劇部最後の砦、大路さんだ。さっき聖子ちゃんと即興劇をした時はノリノリだったけど、基本は常識人のはず。きっと味方をしてくれるはずだ。


 僕は祈るような目を向けると、大路さんはニッコリと笑みを浮かべながら、すっとこちらに近づいてくる。そして……。


「ふふふ、可愛い名前だ。よろしくね、ショタ君」


 あ、終わった。

 なぜか僕のあごにそっと手を当てて、華麗に言い放つ大路さん。瞬間、部屋中に黄色い歓声が上がった。


「顎クイよ!」

「私もされたい! ショタ君うらやましい!」


 はしゃいでいる先輩達の声を聞きながら、もう何を言っても覆されないだろうなと、僕は悟った。

 かくして、『ショタ君』という第二のあだ名が決定したわけだけど……姫君の次はショタ君か。どうやら僕に付けられるあだ名は、必ずおかしなものになってしまうみたいだ。


 それにしても、グリ女の女の子って、皆こんなにパワフルなのかなあ?

 来年、僕が高等部に上がる頃には、乙木学園はグリ女と合併を果たしているはず。つまりこの人達が、学校でも先輩になるということ。


 もしグリ女の人達が皆こんなノリだったら、高校生活は騒がしいものになりそうだ。

 そんなちょっぴり失礼な事を考えながら、僕は肩をすくめるのだった。 

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