第一幕 ラプンツェルを連れ出して
夏の日の邂逅
お姫様みたいだ。最初そう言ってきたのは、誰だったっけ?
そうだ、確か小学校の頃、同級生の男の子が言い出したんだ。ラプンツェルのように髪が綺麗だとか、二人の姉にこき使われている様がシンデレラみたいだとか、そんな風に言われていたような気がする。
あと、お姫様みたいに綺麗だって言ってくれた女の子もいたけど、その言葉に素直に喜ぶことはできなかった。何故なら。
「お姫様って言われてもねえ。僕は男だし」
当時の事を振り返りながら、僕、灰村翔太は苦笑いを浮かべる。
僕は背が低くて女顔で、昔は女の子と間違えられる事だって多かったけど……いや、今でも服装次第では、間違えられる事だってあるんだけど。お姫様なんて言われた時は、やっぱりビックリした。
あれから時が流れて、僕は中学三年生になっていたけど……。
夏休みも終わりに近づいた今日、僕は友達の木田正人と一緒に、地元から少し離れた町まで遊びに来ていたけど。帰りに駅のホームで、今まさにこんなことを言われていた。
「お兄ちゃん、シンデレラみたい」
満面の笑みで言ってくるのは、5歳くらいの小さな女の子。僕の膝の上には、さっきまで女の子がかぶっていた帽子があって、手には針と糸が握られている。
僕は今、この子の帽子から外れてしまった猫型のワッペンを、縫い直している最中だった。
「シンデレラか。はは、この子、人を見る目あるなあ」
正人が笑いながら、そんなことを言ってくる。
少し時間を戻そう。僕と正人は駅のホームで列車が来るのを待っていたんだけど、そのすぐ横で同じように待っている、女の子とそのお婆ちゃんがいて、こんな話をしていた。
「おばあちゃん、猫さんを直して」
「ごめんねユキちゃん、今道具が無いの。家に帰ったら、直してあげるからね」
「えー、今がいいー」
手にしている帽子のワッペンが外れてしまっていて、しょんぼりしている女の子。それを見た僕は、「よかったら、僕が直しましょうか」って、声をかけたんだ。
すると途端に、隣にいた正人が怪訝な顔をした。
「お前、直すったって、道具はあるのか?」
「大丈夫、裁縫道具はいつも常備しているから。これくらいならどうってことないよ」
「さすが、本当にこういうの得意だな」
こんなのただの、小学生の家庭科だよ。
僕は下げていた鞄から、針と糸を取り出す。たまに、「何で持ち歩いてるんだ?」って言われることもあるけれど、今回みたいな時は役に立つでしょ。
「ごめんなさいねえ。この子、この帽子がお気に入りで」
「いいえ、すぐに終わりますから。君、ちょっとだけ待っててね」
縫い針に糸を通しながら、にっこりと笑いかける。
帽子の様子を見たけど、これならちょっと縫い付けるだけで大丈夫だから、列車が来るまでの間に終わらせられるだろう。
そうしてひと針ひと針、丁寧に縫っていってると、その様子を見ていた女の子――ユキちゃんが、不意に言ってきたのだ。「シンデレラみたい」だと。
瞬間、お姫様みたいだって言ってきた、同級生達の顔が浮かんだ。正人も同じことを思ったみたいで、人を見る目があるなんて言ってるけど、でもなんでこのタイミングでシンデレラ?
シンデレラと言うと、カボチャの馬車やガラスの靴、あと、意地悪な姉達にイジメられてるってイメージがあるけど……。すると、お婆ちゃんが疑問に答えてくれた。
「この子、シンデレラの絵本が好きでねえ。本の中に、シンデレラが針仕事をしている絵があって。きっとそれを思い出したのかな。ごめんなさいねえ。シンデレラなんて、男の子に言うもんじゃないね」
「いえ、平気ですよ。慣れていますから」
「違いないなあ。なんせ学校では、『乙木の姫君』なんて呼ばれているくらいだからなあ」
「正人……」
思わず手元が狂って、針を指に刺しちゃうところだった。
乙木と言うのは、僕が通っている中高一貫の私立の学校、乙木学園のこと。そして乙木の姫君と言うのは、僕につけられているあだ名だった。
「変なタイミングで変な事を言わないでよ。手元が狂うところがったじゃないか」
「悪い。けど、今更だろ」
まあ、そうなんだけどね。けどこの妙なあだ名、あんまり人に聞かせるものじゃないし。ほら、お婆ちゃんは訳が分からない様子で、キョトンとしちゃってる。
対してユキちゃんは、「お兄ちゃん、お姫様なんだ」と、目を輝かせているけど。
まあいいやさっさとやってしまおう。
僕は素早く、帽子に糸を縫い付けていく。
「はい、終わったよ。ちゃんと猫さん、縫い付けておいたから」
「わあ、ありがとう、シンデレラのお兄ちゃん」
帽子を受け取って、嬉しそうに笑うユキちゃん。しかし、シンデレラのお兄ちゃんねえ。すると正人が、笑いを堪えながら言ってくる。
「さすが、これくらい縫い直すのなんて、あっと言う間だな。本当にこう言うの得意だからなあ。去年なんてマジで、シンデレラみたいなドレスを作ってたし」
「あれは特別だよ。ハロウィンの仮装用に作っただけ」
「それをバッチリ着こなして、イベントで優勝するってのはスゲーけどな」
当時の事を思い出しながら、僕も苦笑いを浮かべる。
あれは去年の秋のこと。町内のハロウィンイベントの仮装大会に、皆で出てみようって話をしたのが事の始まりだった。当初僕は、カボチャのお面でもつけようかくらいの気持ちでいたのだけれど、友達の中の一人が、『お前が女装したら受けること間違いない。お姫様の仮装をして優勝をかっさらってこい』と言ったのが間違いの始まりだったっけ。
自分ではよく分からないのだけど、彼曰く……いや、クラスの皆が言うには、僕は学校で一、二を争うほど可愛いらしくて(女子を含めて)。
話を聞いた女子達がメイクを教えてくれて。盛り上がるクラスメイトを見て、もう引き返せないと悟った僕は腹をくくり、得意の裁縫を活かして、お姫様の衣装も作って。そうして臨んだ仮装大会。そこで、優勝しちゃったんだよね。
「思えばアレからだったなあ。乙木の姫君なんて呼ばれるようになったのは」
「大会の司会の人、最初はマジでお前のこと、男と分かっていなかったのには笑ったなあ。けど無理ねーよな。俺だって知らなかったら、絶対に間違えてたもの。なあ、今年のハロウィンも、どっかの仮装大会に出てみねーか? お前ならまた優勝狙えるぞ」
「もういいよ。この一年で背も伸びたから、衣装を作り直すのも面倒だし。あんな大掛かりな衣装をつくるよりも、こうやって帽子を縫い直している方が性に合ってるよ」
帽子をかぶってごきげんな様子のユキちゃんを眺めながら、僕はそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ユキちゃんとお婆ちゃんは、僕達と乗る列車が同じだったから、やって来た列車に四人で乗り込んだ。
車内は混雑していて、僕や正人はもちろん、お婆ちゃんやユキちゃんも座る席が無くて、僕達から少し離れた所に立っている。
僕達はともかく、お婆ちゃんやユキちゃんも立ったままかあ。座席に座っている誰かが、降りてくれればいいんだけど。そう思ったその時。
「よかったら、席を使ってください」
そんなハスキーな声が、耳に飛び込んできた。
座席から立ち上がったのは、高校生くらいの女の人。
艶やかな黒髪を肩まで伸ばしていて、カジュアルでボーイッシュな服装の彼女。目は鋭く、それでも威圧的と言うわけではなくて、むしろ優しげで。
立ったことで分かったけど、その人、なかなか背が高い。たぶん百七十センチは越えているだろうと思われる。
小柄な僕よりも、大分高いなあ。
お婆ちゃんとユキちゃんに、優しく笑いかける彼女。そんな彼女の申し出を聞いて、女の子も笑顔になる。
「ありがとうお姉ちゃん。お婆ちゃん、座って」
「アタシは大丈夫だよ。ユキちゃん座り」
「いいの。おばあちゃんが座って」
互いに譲り合う、お婆ちゃんとユキちゃん。すると席を譲った彼女が、ユキちゃんの頭を撫でてくる。
「そっか、お婆ちゃんに座ってもらいたいんだね、偉い子だ。けど、立ってて疲れたりはしないかい?」
「うん、平気。だからお婆ちゃん、座っていいよ」
褒められたのが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべるユキちゃん。これはもう、ユキちゃんに座ってなんて言えないね。
「と言うわけですから、座られてはいかがでしょう。この子は、私が見ておきますから。君、ユキちゃんだっけ。ちょっと揺れるけど、少しの間一緒に立っていられるかい?」
「うん。お姉ちゃんと一緒にいる♡」
二人にそう言われて、お婆ちゃんはお礼を言いながら席へと座る。なんとも微笑ましい光景だ。だけどその瞬間、列車が走り出して車体が揺れる。
「わっ」
「おっと、危ない」
傾いたユキちゃんの体を、とっさに抱きとめる。
「大丈夫だった?」
「ありがとう……えへへ、何だかお姉ちゃん、王子様みたい」
王子様……王子様ねえ。確かに長身で凛としていて、優し気な態度は、おとぎ話に出て来る王子様のような雰囲気があるかも。
でも女の子に王子様ねえ、さっきシンデレラみたいって言われた僕が思うのもなんだけど、それっていいのかなあ? なんて思っていたけど。
「王子様、か。ふふ、ありがとう。では、しばしの間よろしくお願いします、小さなお姫様」
そっと手を繋ぎながら、物語でしか聞かないような台詞を口にした。その瞬間、おそらく車内にいた人全員の気持ちが一つになった。確かに彼女は、王子様だって。
その証拠に、近くにいた女子高生は「はうっ」と悶絶したみたいに胸を押さえて、隣にいた正人も囁いてくる。
「マジで王子様みたいだな。あんな事を言っても許されるような人、現実にいるんだな」
「あんまりジロジロ見てたら失礼だよ。まあ、僕も同じことを思ったけどさ」
その後彼女は、列車が揺れる度にユキちゃんが転ばないよう守りながら、手を引いている。それはまるで、お姫様をエスコートするよう。イケメンって、ああいう人の事を言うのだろうなあ、女の人だけど。
ユキちゃんは彼女の事がよほど気に入ったみたいで、やたらとお話したがっている。
「お姉ちゃん、名前なんて言うの?」
「名前かい? 別に名乗るほどの者ではないよ」
「ええー、聞きたい―」
「ふふ、なら、答えないわけにはいかないね。私の名前は満……大路満だよ」
大路満さん、か。世の中には変わった人がいるんだなあ、と。この時はそう思っただけだった。
話すこともなく、少し離れた所から見るだけで。だけど後に、それは忘れられない名前になる。
彼女と……大路満さんともう一度会うのは、この夏の日から一カ月と少しが過ぎた頃。涼しくなってきた、秋の日の事だった。
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