第16話 少年のシナリオ

「———とでも言いたそうな顔だね。笛の音色に誘われでもしたかい?」


 僕は努めて嘲るような声を出した。狙い通りモニター越しに見える男の顔は憎々しげに歪んでいる。


 そうだ、もっと感情的になってくれ。


『テメェ、何処にいやがる! さっきまでそこにいたはずだ!』


 おっと、苛立った時の二人称は『テメェ』だったか。流石、荒くれ者。


 僕達がいるのはこのモールの警備室だ。ここにはこのモールにある全ての監視カメラの情報と防災シャッターの操作が可能なパネルがある。権藤達の動きは筒抜けだ。また、医薬品店から関係者用通路を通ってすぐのところにこの部屋はある。彼らの目には僕達が消えたように映ったことだろう。


 中々の早技だったと僕も思うが、暗闇だった上に障害物もあったのだ。僕が先導した状態で失敗するわけは無かった。


「まあまあ、落ち着きなよ、笛吹き男さん。ああ、確かあなたは権藤だったかな?」

『———!?』


 やれやれと首を振りつつ宥めにかかる。勿論効果は無く、むしろ逆効果だ。しかし、名前を言い当てられたことにはギョッとしたらしい。噛み付いてきそうな剣幕が一瞬途切れる。


「どうやら間違いないみたいだね。あ、暴れない方が良いよ。スプリンクラーに濃塩酸を仕込んである。銃器なんて使ったら間違いなく火災報知器が作動して薬品の雨を降るだろうね。あと逃げるのもおすすめしないな。それに対テロリスト用のシャッターも下ろしてあるから」


 権藤は慌てて上を見上げた。勿論見上げたところで僕の言葉の真偽なんて分かるわけはないが、確認せずにはいられないのだろう。上を見てから顔を顰め、再び壁に映し出された僕を睨み付ける。シャッターの方は一瞥するだけに終わった。まあ、銃火器を使う事を想定している対テロリスト用シャッターはかなり重厚なものだ。彼らの装備では壊せない。


 濃塩酸は危険だが、スプリンクラー用の水道を弄って全てを濃塩酸に入れ替えられるわけはない。精々希塩酸と呼べるかというところだ。素手で触ってもすぐに人体を溶かすことはない。まして服の上からなら全く問題無いだろう。無論、眼や体内に入ればただでは済まないだろうが。


 僕は、改めて権藤達の武装に眼をやる。拳銃やスタンガンを手にしていて、背にはバックパックを背負っている。どう見ても殺しをするような装備ではなく、彼らの十八番である誘拐が今回の依頼内容だろう。勿論ターゲットとなるのは僕達だ。


『クッ……クソがッ!』


 追い詰めたはずの獲物に出し抜かれた事に腹が立ったのか権藤は激昂し、すぐ側にあった棚を蹴り飛ばす。大きな音を立てて棚は倒れ、陳列されたままの商品が床に散乱した。


「キャッ!?」


 突然の凶行にユキさんが身を縮める。先程銃声を鳴らした時もそうだったのだが、彼女は大きな音が苦手らしい。その隣では美優が仁王立ちをして権藤を睨みつけていた。彼らから美優の姿は見えないが、もしも見えていたならその視線の鋭さにたじろいでいただろう。浩介も権藤の態度には気に入らないものを感じているようだったが、美優ほどではない。


「ねえ、そんな風に感情のまま行動しても良いのかな? こちらから遠隔操作でスプリンクラーを起動することも出来るんだけど」


 僕は一層声を低くして、脅すように語りかける。


『ハッ! ハッタリだな! もしそんなことが出来るなら何故最初からそうしない。長く生かせばリスクが増える。俺達を閉じ込めたならすぐに始末していた筈だ!』


 権藤は僕の警告を嘘だと捉えたらしい。彼なりに考えたようだけど残念ながら不正解だ。その根拠は間違っている。


「うん、そうだね。一理あると思うよ。けど、それはあくまで敵を倒す事に重点を置いた場合の選択だよ。今回、僕の目的は別にある」


 ここで区切り、僕は大仰に両手を広げて見せた。モニター越しの男達は警戒しつつも僕の不必要に演技臭い仕草を訝しんでいる。


「情報は力だ。けれど僕達にはあまり情報収集手段が無くてね。あるところから出来る限り搾り取っておくのは当然だろう?」


 背後では浩介が僕の身振りに吹き出す。向こうからは見えないようになっているから良いけど、あまりに気を抜きすぎじゃあないだろうか。美優も笑いが堪えきれないのかユキさんの肩に顔を埋めている。ユキさんは余裕ありげな僕ら3人と裏腹に怯えたままだ。そんな彼女の様子を見て、美優と浩介が慌てて慰め始める。彼女はこんな事態に慣れていないのだ。これが当然の反応と言えよう。僕達がズレていたのだった。けれどもう少しシリアスな雰囲気を纏っていても良いと思うんだけど。


『チッ……』


 ガンッ!


 舌打ちをしたかと思えば、権藤が突然関係者用通路へのドアを蹴り飛ばした。防犯上、強固に作られているドアなので無事だったが普通のドアならばこうはいかなかっただろう。


『クソッ!』


 権藤は面白くなさそうな顔をして悪態をつく。周りの部下達は濃塩酸に怯えているようだが、権藤はそうでもないらしい。流石はボスというところか。


「ハァ……ちゃんと警告したじゃないか。別段、君達にこだわる必要も無いんだ。面倒ならこの場ですぐに始末するんだけど。その辺り理解しておいた方が君達の寿命は長くなると思うよ?」


 権藤は自分達に情報源としての価値があると考え、多少反抗的な行動をしても殺されないと踏んだのだろう。確かに子分達と違い、思考を止めていないようだが……お粗末だな。


「さて、無駄話はここまでにしよう。君達に依頼を出したのは如月という男だね? そして内容は楠木英治を含む3人の誘拐だ」


 権藤は今にも暴れ出しそうな様子だったが、如月の名に動きを止める。図星なのだろう。


『テメェ……何で旦那の名を知っている』


 絞り出すようにその問いだけを発した。明確に僕の質問を答えたわけではないが、彼の発言や態度は僕の推測を肯定している。


「さぁ? 彼は政治家だろう。僕が知っていておかしいのかい?」


 小馬鹿にされたと感じたのか、権藤は怒りで顔を赤くさせる。その様子を確認して僕は言葉を続けた。


「もう一つ、君達以外にもこの依頼は出されている。それも日本以外の国からも含めて。そうだね?」

『…………』


 本来、この手の業者にとって他の者達に同じ依頼を出されるのは酷くプライドを傷つける行為だ。反感も多く買うだろう。自分達の腕を疑われていると感じるからだ。そんな依頼人はいくら報酬が良くとも基本的には忌避される。如月はその辺り上手く運用しているらしく、子飼いとも言える者達を複数揃えているようだが。『笛吹き男』もそのうちの1つなのだろう。


 まあ、それはさておき。


 故に、業者側にも自分達と同じ依頼を受けた者がいないか探る伝が存在する。裏社会を生きる情報屋から買ったり、独自の情報網を駆使して同業者の動きを調べる業者もいるのだ。依頼が被れば獲物の取り合いになるし、報酬も勿論成功した者の物だ。むしろ調べておかないと、依頼の被った相手や相反する依頼を受けた相手から突然殺されることだってあるのだ。


「知らないわけないよね? そういうのは念入りに調べておくものだよ? 命あっての物種なんだから」

『何者なんだ……お前は』


 怒り狂う権藤はさておいて、その後ろにいる男が小さく呟いた。


「そんなことはどうだって良い。質問に答えないなら君達はここまでさ」


 僕は興味を無くしたようにスイッチに手を近づける。わざと手元まで見えるようにカメラを設置してあるから彼らにもよく見えるだろう。


『ま、待て! 教える! 教えるから押さないでくれ!』

「……それを決めるのは君の返答次第だよ」


 僕はスイッチから手を離す。それを見て慌てていた男は安心したように一息つき、話し始めた。権藤はといえば低く唸るだけで動きを見せない。発狂寸前なのかもしれないね。


『アンタの言う通り俺達と同じ依頼を受けた奴はいる。多くが如月の旦那からだろうが、一部は別のところからも依頼があったらしい。欧米諸国からも接触があったらしいが、何分例の事件から間もない。詳しいことは何も知らされていないんだ』


 やはり、他にも僕達を狙う業者はまだまだいるようだ。事件、というのは未来人がやってきた事だろうし、時間が経てば諸外国も動き出すのだろう。


「へぇ、事が起こって数時間の割には行動が早いね。それじゃあ、政府の方針はどうだい? やっぱり要求を呑む方向で進めているのかい?」


 僕の言葉に男は少し安堵したようだった。きっと情報が足りないとかで殺されることを危惧したんだろう。しかし、次の問いを聞いて再び顔を青ざめた。掌の上で自分の命が転がっている状況に耐えられなくなってきたのか、男は目を伏せる。


『……ああ、そうらしい。奴らから無理に交戦する意思は無いと通信があったそうだ。もうすぐシェルターで各メディアの活動が始まる。国営放送でその辺りの対応について発表が在るはずだ』


 成る程、大体は予想通りだ。世界各地にあるシェルターだが、全ての場所でライフラインは整っておりインフラ関係も完備されている。覚えている人なんて殆どいないだろうが、シェルターは正式には『特別災害及び国家間武力行使時における緊急避難用地域型地下施設』という名前がある。地下都市とも呼ばれるシェルターは有事の際に民衆の不安や暴動を抑えるべく、地上での生活と然程変わりない暮らしが出来るように配慮までされているのだ。情報の流通を可能とする為、早急にメディア関係も復旧させたのだろう。


「うーん……もう特に質問は無いかな。さて、それじゃあ特別に1つだけ質問に答えてあげよう。何か聞きたいことはあるかな?」

『なら聞かせろ……お前は何処まで知ってたんだ……いや、何処から知っていた』


 僕が質問を募ると、権藤が跳ねるように口を出した。純粋に疑問だったのだろう。先程まで暴れそうになるのを部下達に止められていたが、今はめっきり大人しくなっている。周りの男達もその質問で構わないらしく、口をつぐんで答えを待っているようだった。


「それが君達の知りたい事で良いんだね? なら答えてあげよう。その答えは最初から、だよ」


 簡潔な答えに権藤は苦い顔をする。彼も薄々感じていたんだろうね。


「僕らが狙われている事くらい分かっていた。だからその第一陣を釣る為にもここに来たんだ。いかにも僕達が来そうな場所で、僕達が迎え撃つのに丁度良さそうな場所で、僕達がそこにいると分かりやすく伝わるような場所に。この地域の監視カメラの映像くらいチェックするだろうし、商業施設の映像だって手に入らない事もないしね。そうすると、君達のように僕らを獲物としてしか見ていない者達がやってくる。さっきも言ったように、情報は力だ。事前情報を持ち、相手には誤った情報が伝わっていて、その上で相手はこちらを過小評価しているらしい。これで多少の戦力差を覆せない訳ないだろう?」


 地の利も僕達にあるしね、と僕は付け加えた。僕の事を何処まで知っていたのかは知らないが、そもそもこの程度の規模の業者にどうこう出来るほど弱いつもりはない。


「ああ、あと君達が見ただろう監視カメラの映像時刻の前から既にこの建物には入ってたんだよね。そこから警備システムを乗っ取って、欲しかった食料関係を購入して、それと片付け損ねてある資材の置き場所なんかも工夫してあったんだよ。僕らに近づこうとした時、僕らを追っていた時、やけにぶつかっていたじゃないか。あれも君達の位置を確認したり、進路を邪魔する為の工夫さ。この薬局に辿り着き、僕達を追い詰めたと錯誤させるところまで、全てが僕の描いたシナリオさ。楽しんでもらえたかな?」

『クッ……この野郎ッ…………』


 権藤が拳を握りしめて地団駄を踏む。まあ、自分の行動の全てが誰かの思惑通りともなれば誰でも怒りを覚えるだろう。特に、今回は自分が獲物だと、格下で取るに足らない相手だと認識していた上だろうからその傾向も強いかもしれない。


 因みにシステムを乗っ取ったのは浩介だ。警視庁サイバー犯罪対策課所属の父を持ち、幼い頃からハッカーとしての知識を父から習っていたらしい。ある時期まではハッカーにたいして興味も無く、その腕前もそれ程のものではなかったそうだが今や父親さえも舌を巻く実力なのだという。それまで浩介は自らのことを器用貧乏と自虐的に言っていたが、進む道を一つに絞ったようだ。


『なら、テメェは俺達なんぞ敵じゃあなかったとでも言いてえのか!』

「? そうだよ。そもそも君達の相手に手こずるようじゃ僕達は今頃生きてないさ」


 全ては計算通り。彼らにしても僕にとっては過程でしかなく、僕の求めるただ一つの答えを導き出す為の途中式に他ならないのだ。現在と未来、2つの世界をたった4人で相手にしようという者がこんなところで躓くわけもないだろうに。


「さて、それじゃあ僕らは行くとするよ。電源は付けておくから頑張って素手で脱出するんだね」

『なっ……!? 騙しやがったな! 話せば解放するんじゃ』


 ブツッ


 さよなら、と告げてモニターを切った。何やら叫び声が聞こえた気もするが、僕の知ったことではない。そもそも解放するなんて言ってないし。


「お疲れさん。しかし、これってやる必要あったのか?」


 浩介が僕に労いの言葉をかける。美優は既に撤収の準備をしていた。


 ……君らも大概薄情だね。


「うん、する必要は勿論あったよ。それに、まだ終わりじゃないから気を抜かないように」

「?」


 ますます首を傾げる浩介の横で、僕の声にユキさんが反応する。その表情は何かに怯えているようだった。権藤達が怖かったのだろうか。


「準備出来たわよ」

「ああ、ありがとう」


 僕らはそれぞれリュックサックを背負って警備室を後にする。好物でも手に入ったのか美優はホクホク顔で歩き出した。


「それにしても、流石ショッピングモールよね〜。品揃えが豊富で助かったわ」

「へえ、何が手に入ったんだい?」

「期間限定の鷹の爪カレーパン!」


 僕がが美優に尋ねると、美優は満面の笑みで答えた。


「好きだなぁ辛いのッ!」

「良いじゃない。人生に辛味は大切よ? 無かったら人生の9割は損してるわ」

「随分な割合だな! むしろ残りの1割が気になる!」

「まあ、そんなことはどうでも良いわ。それより、ユキはどう? ちゃんと欲しい物見つかった?」

「そんなことって……」


 美優の言動に振り回されつつ、浩介が疲れた顔で肩を落とす。そんな浩介をよそ目にユキさんは美優に頷いて見せた。


 どうやらユキさんも食べたい物を確保できたらしい。若干引き気味というか、青い顔をしているのは気になったが缶詰に関して助言した身としては嬉しい限りである。


「ユキさんはともかくとして、英治も変なの買ってたよな」


 浩介がこちらを見ながらそう溢した。何かおかしな物でも購入しただろうか。


「……自覚なしかよ」


 一体何がおかしかったのだろうか? 麻婆おでんじゃないだろうし、まさか乾パンかな? 普通は馴染みがないから缶詰やレトルト食品にするべきだったと言いたいのかもしれない。


「浩介、あんまり好き嫌いは良くないよ。乾パンだって食べ方によって美味しいんだからさ」

「乾パンのことじゃねえよっ!」


 目を剥いて浩介が叫ぶ。もう少しで奇声をあげそうな様子だが、経験則上はまだ余裕がありそうだ。……何故ここまで追い詰められているのかは皆目見当が付かないけども。


「……しいです。異常ですよこの人達……」

「? 何か言った?」


 ユキさんの声がしたような気がして振り向くが、彼女は先程から俯いたままだった。尋ねてみても返答は無い。何だったんだろう。


 その後も僕達は談笑しつつ歩を進める。歩いているのは質素な従業員用通路だ。ついさっきまでは幅の狭い通路だったが、今は幅4メートル程の搬入路にいる。所々に荷物がまだ残っており、慌てて閉鎖した様子が窺えた。


 本来なら黙々と慎重に忍足でもしながら帰るところだけれど、ユキさんの様子からそういう訳にもいかなくなった。沈痛な面持ちで俯かれては周囲の警戒もあったもんじゃない。取り敢えず場の雰囲気だけでも明るいものにするしかなかった。


 とはいえ、どれだけ内心で警戒を怠るまいとしても雰囲気に流されてしまうのが人間の哀しい性というもの。会話へ意識が傾き、注意が散漫になったその時だ。


「チェックです。楠木英治」


 突然、若い少年の声がした。僕達の正面、突き当たりの曲がり角から人影が覗く。声の主は何気ないように姿を見せた。


 そこに立っていたのは、世間で騒がれる有名な『天才』三善光輝だった。

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