第15話 笛を吹くのは
雲が浮かぶ空の遥か遠く、上空何千メートルという位置には一隻の宇宙船が佇んでいた。
それは地上からもはっきりと視認できる程大きく、流麗な曲線美を感じさせる。船体からは威圧感も発せられていた。まるでどこかのSF映画からそのまま持ってきたかのようなその姿は、この時代を生きる者達を現実逃避させるのに十分過ぎるほどだ。
幸いなのは、人類の多くがシェルターなどに避難していた事だろう。大きすぎるな暴力がこちらにその矛先を向けると認識してしまえば、常人なら恐怖で竦むか発狂してしまう。日常が壊れることに、平和な世を生きる人間は耐えられない。
1人の男が、ショッピングモールを目の前にして空を見上げていた。この男の名は権藤という。
「ったく……あんなのが敵だなんて世も末だなぁ。もっとも、俺の仕事にゃ関係ねぇが……」
権藤は誰もいないはずの街に立っていた。この街の住人はおろか、全人類が避難をしている事になっている。しかし、地上に用事の残す者はシェルターに避難せずに留まっていたのだ。無論、権藤もまた仕事の為ここにいる。
そう、この男は如月から依頼を受けた裏社会の業者であった。今まで無数の罪を犯し、それと同じ数だけその存在を闇に葬り去られてきた。社会的には存在しない事になっていて、しかし確かに存在する。一部では、子供達を連れ去る事から童話になぞらえて『笛吹き男』とも呼ばれていた。とある業界ではそれなりに名が知れており、同時に恐れられてもいる。
その笛吹き男が依頼を受ける旨を伝えると、獲物の情報や現在地が送られてきた。どうも周辺の監視カメラをチェックしているとその姿が映り、眼前のショッピングモールに入っていったらしい。如月からの依頼とは違い、1人増えていたとの報告も受けたが。
「しかし、天才少年と聞いていたが、随分と誇張されてるらしいな」
権藤は面白くなさそうにそう呟く。
少なくとも、監視カメラの存在に気づくことが出来ない程度のようだ。まあ、平穏な日常からいきなりこんな状況に陥って、監視される側の正しい対処なんて出来る筈もないが。
権藤が連れているのは5人。いつもの仕事仲間だ。3人が獲物を捕らえ、2人が警戒と証拠の抹消を行う。リーダーの権藤は捕らえる方を担当している。
普段から護衛付きの獲物も相手にしてきたのだ。護身術を身につけているのがターゲットだった事もある。ましてや武装した同業者と荒事を起こした事さえあった。それに比べれば子供4人などなんと楽な事か。普段は獲物が1人になる時を狙って襲っているが、子供4人なら自分達で十分だ。
権藤達は最後に建物の見取り図を確認する。この図も先方が寄越したものだ。ここまでされて出来ませんでしたなど口が裂けても言えない。
権藤は確実に仕事をこなす為に獲物の動きを想像した。
この状況で商業施設に用など、どうせ食べ物だろう。すれ違いになる事なく捕らえる為、食料品コーナーに直行する事に決めた。
「さて、仕事だ。行くぞ」
たかが4人。権藤はそう楽観的に考え、既に報酬の金額に気を向けている。
拳銃、ナイフ、ガムテープにスタンガン。裏に出回る武器を携え、男達は建物に侵入し始めた。
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ガタッ
「おい、気を付けろ。ガキが相手とはいえ、逃げに徹されたら面倒だからな」
権藤は不用意に音を立てた仲間に注意する。その仲間は山中と言い、権藤達の中では最も新参であり5人の中では立場も弱かった。権藤の声はあまり厳しいものではなかったが、メンバーには動揺が走る。
「す、すいません……」
山中は少しばかり怯えたように謝罪した。これまでの仕事の場合は後方で下準備や後始末の手伝いをしていれば良かったので、潜入して捕らえに行く、というのにまだ慣れないのだ。とはいえ、権藤に対する恐怖も無いわけでは無いが。
さて、権藤達の侵入経路だが、商業施設『Kモール』には複数の出入り口がある。広大な敷地から考えれば当然の事だが、権藤達にとっては都合が悪い。少し逡巡した後、権藤達は食料品コーナーへの最短経路を取ることにしたのだった。
食料品が売られているのは2階。そこへ辿り着くには専門店の立ち並ぶ1階を通り、階段で上の階へと進む必要がある。エレベーターやエスカレーターも設置されているが、どちらも電源が落とされている為に動かない。無論、明かりも窓からの光のみで薄暗い。獲物達は懐中電灯でも使っているだろうが、獲物より先に位置を特定する必要のある権藤達は使うわけにいかない。笛吹き男達は暗視ゴーグルで進むことにした。
専門店通りには様々な店舗がある。その多くが女性向け衣料品であり、一部の区画には飲食店が集められている。所々には貴金属店も存在した。無論、全ての店舗はシャッターが閉じられている。
緊急の避難指示だったにも関わらず金の心配とは呑気なものだ、と権藤は内心で呟く。数年前までは15年前の『事件』によって国民の危機意識は戦時下レベルにまで高まり、大多数の国民は政府からの避難指示に対して盲目的なまでの信頼を向けていたはずなのだ。それが15年の時を経て徐々に薄まり、当時なら家の戸締りも忘れて裸足で避難していただろう市民も『その後』を気にするようになっていた。
ここで挙げた『事件』だが、正確には事件ではない。事変と呼ぶべきものだった。
2029年3月5日、地球に隕石が落下した。こう字面だけを見ると大した事がないように思える。しかし、実際は阿鼻叫喚の地獄だった。権藤もこの時のことは鮮明に覚えている。なんて事のない平和な日常が、突然石ころによって砕かれたのだ。落ちた数は未だ不明で、世界各地に甚大な被害をもたらした。死者は数十万とも数百万とも言われている。
人類がその存在に気づいたのは実際に隕石の落ちる26時間前であった。当時には既にシェルターが存在し、避難訓練も日頃から行われていた。国民全体が協力的だったなら十分に避難は間に合ったはずである。しかし、その時はまだ国民に危機感というものが無かった。間違っても自分達の命が脅かされるなど思いもよらなかったのだ。
避難指示は問題無く出されていた。にも関わらず甚大な被害が出た。この事実は一般市民に強烈な保身意識を植え付ける結果となったのだった。通称『隕石事件』の後、政府は当然のように批判されたが、その勢いは想像していたものよりも弱かったと言う。それは、批判していた者達の中にも自らの意識不足という後ろめたさがあったからかもしれない。
ともあれ、この『事件』を事前に経験していたからこそ未来人がやって来るなんて馬鹿げた事を前にしてもスムーズな避難が出来たのだろう。もっとも、今回は避難したところで意味があるのか分かったものではないが。
そこまで来て権藤は思考を止めた。
仕事中に一体何を考えているのか。いつもより条件が楽とはいえ、逃がしでもしたらこちらの身が危ないというのに。
気を引き締め、注意深く周囲を探る。既に権藤達は2階への階段に到着し、登り始めていた。小声で権藤はメンバーに注意を促す。
「お前ら、こっからは用心してかかれ。物音たてんじゃねえぞ」
メンバーが各々に頷くのを見て権藤は進み始めた。
2階にあるのは食料品や医薬品だ。このモールのオーナーである大手スーパーマーケットが食料品を牛耳り、その周囲に医薬品コーナーが広がっている。権藤達がそこに辿り着くと、かすかに懐中電灯らしき光が見えた。
「おい、獲物だ。手筈通りに行くぞ」
相手に気付かれないように移動し、獲物を囲んで一気にスタンガンで気絶させるのが笛吹き男達の作戦だ。もし接近中に気づかれたとしても権藤達は軍人と変わらないほどに体を鍛えている。力でも体力でも負けはしないだろう。
「木村、山中、向こうにまわれ。合図したら一気に掛かるぞ」
普段は仕事に直接は参加せず、後方の支援を任せている2人に指示を出す。2人はそれを聞いて頷くと、足音を立てずに移動を開始した。が、
ガタッガララッ
「誰だッ!」
2人の内のどちらか、もしくは両方が何かにぶつかったらしい。大きな音を立ててしまった。その音に反応して獲物が声を上げる。
「チッ、もう良い! 畳み掛けろ!」
権藤は作戦を放棄して仲間にそう伝える。気づかれてしまった以上コソコソとしていてもしょうがない。確実性を重視して強襲をかける気でいたが、面倒な事にはなれど捕まえられない事はないだろう。
「敵だ! 逃げるぞ!」
獲物の内の1人が叫ぶ。暗視ゴーグルを付けているとはいえ分かりにくいが、あれが『楠木英治』だろう。朧げだが、事前に見ていた顔写真から権藤はそう判断する。
獲物達は慌てて逃げ出した。集めている最中だったのか周囲には缶詰などの保存食が散らばっている。1人の少年が危なげな体勢でリュックサックを背負いながら走っていた。
「みんな! 僕から離れずついて来てくれ!」
先頭を走る獲物(楠木英治)が他の少年少女に震える声で指示を出した。突然の事に驚き息を切らせていることから、余裕がないように見える。権藤は舌舐めずりをしながら獲物を見据えた。
前を走る獲物達はどこか怯えた雰囲気を纏っている。どれだけ聡くとも所詮は荒事を知らない子供。その様子が権藤の嗜虐心を刺激した。普段こそ理性の殻を被っているが、もともとこの男は犯罪者の素養があるのだ。特に破壊衝動の強い権藤は持ち前の加虐趣味が顔を出すのを感じていた。
いや、不味いな。クライアントからは傷つけないようにと言われてるんだった。
ふと、依頼内容を思い出して冷静になる。そういえばその為にスタンガンを持って来ているのだ。そもそも傷つけて良いのなら銃で2、3発撃ってから捕らえている。
権藤は目の前の獲物を前に臍を噛む思いをしていた。しかし、依頼に無かった4人目ならば好きにして良いだろうと考える事でひとまず納得する事にする。
「こっちだ!」
やはり先頭は楠木英治が誘導しているようだ。何か考えがあるのかもしれないが、それも大したことではないだろう。権藤達がこのモールに侵入したのは楠木英治がモールに来てから20分後の事だ。何かの仕掛けをするにしても時間が足りない事だろう。それに、獲物達の向かう先にあるのは医薬品店だ。エスカレーターを素通りしており、どう考えても(傍点)取るべき選択を間違えている。
ガタッ
「気を付けろ!」
突然の物音に何事かと思ったが、どうも木村が商品を蹴飛ばしたらしい。先程から何度も注意しているにも関わらず、ずっと続いている。お陰で段々獲物から距離が離れてきていた。たまらず権藤は木村を叱責する。
しかし、すぐに権藤はしかめた顔を歪ませた。
「ハハハッ! そこは行き止まりだぜ! 坊主!」
権藤の顔は恐ろしい事になっていたが、これでも本人は笑っているつもりである。
距離を段々離してきていた獲物が店内に入ったのだ。事前に見た見取り図を思い返しても逃げ場は無い。暗闇とはいえ懐中電灯を持っているのだ。馬鹿な事をしている。
邪魔をするつもりなのか店の商品棚を力任せに倒してきた。目の前が一瞬塞がるが、権藤達はすぐに押し分けて前へ進む。店の奥まで行きつき、獲物の足音が止んだ。最後の棚をどかせてレジを見る。が、そこには獲物の姿が見えない。
きっとレジの奥にでも隠れているのだろう。
「おい! そこに隠れてんのは分かってんだ。素直に出てきた方が身の為だぜ? 『楠木英治』よぉ〜」
———!!
威嚇の為、天井に銃を撃つ。日常とかけ離れたその音に慄く獲物を想像し、権藤は嬲るような笑みを浮かべた。
嗜虐心に満ちた口を権藤は開く。
「お前には随分な大金がかかってんだ。さる政治家が金の山用意して、お前の身柄欲しがってたよ。さっさと出てきやがれ。それともお仲間を殺されてぇか? 残念な話だよなぁ! お前のせいで関係ねぇはずのガキまで死ななきゃならねぇ。お前がさっさと自分の身を差し出して大人しく捕まってりゃあ他のガキどもは俺達に捕まらずに済んだ。お前の選択ミスがお前の大切な仲間を殺すんだぜぇ!? どんな気分だ? なあ、おい!」
突然、店内の明かりがついた。眩しさに権藤は一瞬目を瞑る。再度目を開けてみれば、そこにはこちらを覗くカメラとプロジェクターが1台。
「————とでも言いたそうな顔だね、サディストの『笛吹き男』?」
綺麗な白壁には、自分達が追い詰めていたはずの『楠木英治』が映っていた。
権藤はまだ言葉を発していない(傍点)口が閉じられずにいる。まさしく自分が言おうとしていた事を先に言われたからだ。
この男の視界に、怯えた獲物はもういない。こちらを見る『楠木英治』は意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「笛の音色に誘われでもしたかい?」
スクリーンの中の少年はこれみよがしに笛をかざし、胸元につけたペンダントを掌で弄ぶ。
夢を見ていたのは自分達の方だったのか、とようやくながら権藤は気づいた。
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