第14話 無人の街での買い物

 とある豪勢な一室にて、悶える男がいた。名を如月という。この男は武田首相の配下に位置する政治家の1人であり、汚れ仕事も担う裏方である。表舞台に立たずとも裏で武田を支えている事を自負しており、煌びやかに飾られた部屋の装飾とは裏腹に陰で動く事を得意としていた。しかし今、この男は余裕が無いように自室で頭を抱えている。


 如月は焦っていた。 


 それというのも、『楠木英治』の捜索を武田から一任されたからである。確かに重要な事柄を任されるのは喜ばしい事なのだが、それも内容による。捜索、というのは名ばかりで、法を犯してでも連れてこいというのが今回の仕事であった。如月は政治家ではあるが、その実力は低く政党の力で役職を貰っているに過ぎない身分だ。特に、世話になっている武田には頭が上がらない。


 しかし、今回ばかりは如月も断りたかった。警察や自衛隊のような正規の力を動かす余裕は無く、かといって裏の社会に生きる者達に依頼するにしても人脈がいる。幸いにとも言い難い事だが、如月はその方面に縁のある人間であった。わざわざ言葉にすることもないものの、政界の汚れ仕事を引き受けてきた者として今回の件は断れなかった。


 無論、正義感からの行動ではない。如月の持つ正義感など、雀の涙でも洪水に感じる程だ。そんな如月が何故引き受けたのかというと、全ては武田の隣に立っていた秘書のせいであった。


「櫻井楓……あのアマッ……‼︎」


 あの女のせいで如月は追い詰められたのだ。的確にこちらの弱みを突き、武田に助言をそれとなくしていた。これでも政治家であり、弁舌にはそれなりに自信のあった如月をものの数分で下したのは櫻井である。もしも櫻井がいなければ、如月はこの一件を引き受けずに済んでいたことだろう。


「あの女さえいなければ……いや、今は『楠木英治』の方が先だ」


 如月は神経質そうな眼を忙しなく動かし、今後の計画を練る。その眼の奥には鈍い光が宿っていた。


「あいつに依頼するか……状況が状況だ。確実に捕らえねば」


 そう呟き、如月は自らが知る内でも最も仕事の遂行に信頼を置く業者へと連絡を取り始める。


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 16時42分、浩介と他3人は安全な住処からわざわざ離れて近所のスーパーマーケット『Kモール』に来ていた。この『Kモール』は、6階建ての大型商業施設だ。商業施設の多いこの街で突出した規模を誇る。食料品、衣料品、家電製品の需要を一手に引き受けており、子会社によるアミューズメントエリアまで存在する。あまり詳しくないが、ショッピングモールとはこのような場所を指すのだろう。なんでも総面積は東京ドーム2個分の広さがあるらしい。


 よくこの例えを耳にするけど、東京なんて都会に行った事のない俺には分かりづらいものがある。田舎というほどではないが、半端なところで開発を打ち切られたこの街で東京ドームを引き合いに出されても分かる人は少ないのだ。


 避難が既に完了しているため、街には誰もいない。人気の無い街はどこか世紀末の雰囲気を醸し出している。ああ、そういえばスーパーマーケットの店舗はシャッターが降りていたが、アナログな物理キーだったのでピッキングですぐに開いた。良い子は真似しちゃいけません!


 因みにピッキングは俺の百八の特技の1つだ。煩悩の数になぞらえているが特に意味は無い。


 ……ところで、一体何故危険地帯に自ら飛び込むような真似をしなくてはならないのだろうか。この外出の理由は英治曰く食料確保だそうだが、どう考えてもハイリスク、ローリターンだ。そもそも研究所には大量の保存食が詰め込まれている。あればあるほど良いのは確かにそうだが、危険を冒してまで食料が必要なわけじゃ無い。むしろ、この近辺が警戒されている今よりも数日待ってからの方が安全に外出も出来る。


 正直なところ、今現在は英治の意図が俺には分からないでいる。


「ねぇユキ、これとかどう? 私のオススメよ!」


 美優が缶詰の陳列棚から1つの商品を手に取り、ユキさんに勧める。その顔はどこか楽しそうで、同性の仲間ができた事に喜んでいるようだった。


 えーっと、美優の勧めた商品は……『蜂の子キムチ』…………


「おい、美優よ。お前みたいな奴ならともかく、年頃の可愛らしい女の子に虫料理を勧めるのはどうかと思うぞ」

「えぇ〜! 絶対に美味しいって! 食べた事は無いけど」

「無いのかよ!」


 よくもそれでオススメだとか言えたなっ!


 美優のゲテモノプッシュに困惑していたユキさんが、出来の悪い漫才のようにグダグダ話す俺たちを見て苦笑する。しかし、彼女の手には蜂の子キムチの缶詰が握られていた。


 えっ……本当に食べるの?


「何を騒いでるんだよ……ん? ……それ、食べるの?」


 乾パンなどを見て回っていた英治が帰ってきたようだ。騒ぐ俺と美優を嗜めるも、英治の目線蜂の子キムチに吸い寄せられる。怪訝そうな顔でユキさんに問いかけたのは心からの疑問だろう。ユキさんは少し慌てるように目を泳がせたが、すぐに否定の声を出す。


「……美優さんから勧められただけです。食べません」

「え? でも、さっき何事も経験って……」

「食べません」


 先程は色良い返事をしていたユキさんに美優が声をかけるも、彼女は重ねるように否定を続ける。そんなにゲテモノ料理を食べると思われたくないのか……いや、分からんではないがな?


 しかし、2回目の否定は俺から見てもちょっと怖いくらい冷たい声だった。心なしか目が濁って見える。ハイライトが消え失せた瞳、と言えば分かりやすいだろうか。件の缶詰もいつの間にか陳列棚に押し込まれている。


「そうか……それは良かった。父さんは珍味も好きだったけど、僕は苦手なんだよね。特に虫は食べられないんだ」


 安心の吐息を吐く英治を横目に、ユキさんもまた胸を撫で下ろしていた。


「やっぱりあのシュールストレミングは誠一さんのだったか……」

「本当に変わった人よね〜」


 英治の発言から、暗黙の了解で誰も手を出さなかった缶詰に思いを馳せる。シュールストレミングはスウェーデンで生まれたニシンの塩漬けらしいが、世界一臭い料理としてその名を轟かせている。味を決定づける要素として多くの割合を香りや風味は占めるのだ。それで世界一臭いとか致命的過ぎる。色々な意味で……


「いや、本当に変な人だよあの人。普通は非常食にシュールストレミングを用意したりはしないだろうに。隠れ家のバレた理由が匂いとか嫌だぞ俺は」


 もしかして誠一さんは熱狂的ニシン愛好家なのか? いや、きっと英治の言う通り珍味好きなんだろうな。


 自分でも馬鹿な事考えてるな、と思いつつも非常食をかき集める。来てしまった以上、持っていける量には限度があるが出来る限り持っていきたい。そもそもいつまで地下室暮らしをすれば良いのかもわからないのだ。食料は少ない事はあれど多いという事はない。勿論、代金は払う予定だ。


「あ……その……英治さんはこの2つならどっちが好きですか?」


 ユキさんがおずおずと英治に話しかけた。彼女は『サバの味噌煮』と『麻婆おでん』の缶を差し出している。前者は定番だが、後者は地雷臭しかしない。本来ならば迷うまでもない。一択問題だこんなの。


 だが。


 ……彼女はいたって、真面目である。ふざけているわけではない。


「ああ、僕はこっちかな。けど、ユキさんは辛いの苦手みたいだしサバの味噌煮の方が良いと思うよ」


 英治は迷いなく『麻婆おでん』を指差す。しかし、ユキさんが辛い物が得意ではないと昼食時に気づいている英治は彼女に他方を勧めた。


 …………英治はいたって、真面目である。決してふざけているわけではない。


 違うよな? 既に前言をひっくり返しているけどふざけてないよな?


 先程珍味が苦手と言っていた割に前衛的な好みを持つ英治に俺はただただ笑みを引きつらせていた。ユキさんの後ろで美優も苦笑している。


 これまで英治とはそれなりに長い付き合いだけど、誠一さんの血筋をこれほど強く感じたのは初めてだ。ユキさんは外国人のようだから『麻婆』と『おでん』の関係性の無さを理解していないのかもしれないが、英治は違う。本人は絶対に認めないだろうが、確実に趣味がおかしい。一体コイツは今までどんな食生活を送ってきたんだ?


「まあ、人の趣味嗜好にとやかく言うつもりもないけどさ」


 俺は小さくそう呟いた。視線は自然とレトルト食品コーナーへと移る。


 何気無く、俺は棚からレトルト食品を手に取った。そのパックには『消費期限10年! 防災用レトルトカレー』と書かれている。


「あのクローゼット見てからスーパーに来るとやっぱり何だか安心するな……」


 最近の科学技術の進歩は目覚ましいようで、最近は普通の食品も賞味期限が延びている。保存食にいたっては10年以上持つものも珍しくない。味も昔に比べて格段に良くなったらしい。


「平和なもんだな……」


 その言葉は俺の口から自然と溢れていた。


 現状を鑑みれば、どう考えても不謹慎な言葉。人死はまだ報道されていないが、これから始まるであろう闘争を思えば時間の問題だ。そんな時によりにもよって平和などとのたまうのは、中々に不謹慎な事である。


 しかし、そう思わずにはいられない。


 未来人は読んで字の如く未来からやって来た者たちの総称だ。ロボットやアンドロイド達を除く、生物的肉体を持つ者達。くどい言い方をしたが、未来の人類のことを指す。


 その未来人達がこの時代にやって来たという事は、奴らの時代にはタイムマシンが存在するということだ。それが稀少な物なのか、ありふれた物なのかは分からない。しかし、人類は時間の壁を乗り越えるにまで至ったのだ。この事実には、侵略を受けているという現状を鑑みても称賛すべき事だ。いや、もしかすると全て未来の英治が全て成し遂げた事なのかもしれないが。 


 ともあれ、科学の究極点の1つと言っても過言ではないだろうタイムマシンを手に入れた人類がした事が『過去への侵攻』なのである。


 本来、人類が科学を発展させて来たのは飽くなき知識への探究心と人類の未来の為だ。『生きる』為だ。


 間違っても傷つけ、奪う為に進歩して来たわけじゃない。政治的に利用される為でも勿論ない。


 俺は酷く落胆していた。また、同時に安心もしていた。


 その身を削ってでもと進歩を続け発見を繰り返してきた科学者達を裏切り、その技術の上に胡座をかいて武力をふるおうとする未来人にガッカリしてはいる。だが、目の前にある科学技術のあるべき姿に安堵もする。


 きっと真に理解する時が来る。未来人達の時代でも無理なようだが、いつかきっと平和を真に理解する時が来るはずだ。


 そうすれば、きっと彼のような犠牲は出ないのだから……


 俺は、あまりに他力本願な自分の願いに苦笑する。


「どうかしたの?」


 ユキさんにイナゴの味噌煮を勧めて玉砕していた美優が訝しげにこちらを見た。本当にこういう時だけは鋭いよなぁ……


「いいや、何でもない」


 美優はあまり納得していないようだったが、無闇に探る気も無いらしい。ユキさんのもとへと戻っていった。


「気にし過ぎても毒だよ。人類は——だからね」


 英治が楽しそうな顔でそう言った。楽しそうでも笑顔じゃないところがポイントだな。


 しかし、肝心そうなところが聞こえなかった。何だって? と問いかけてみるが英治はかすかに微笑むだけ。


「いいや、何でもないよ」


 戸惑う他なかった俺に英治はそう告げる。しばらくして、英治はようやく笑顔を見せた。


 どうやら追求しても何も出てこなさそうだな。


 俺は独ごちて集めた食料の精算をし、スーパーマーケットをする事にした。


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 男は、納得のいかない顔で『上』の指示を聞いていた。


『いいか、必ず生捕りにしろ。何があっても傷物になんかするんじゃないぞ』


 携帯電話の奥からは少々焦ったような声が届く。余程依頼人は切羽詰まっているらしい。しかし、表舞台に立たず、裏社会での仕事を生業とするこの男にとって今回の依頼は慣れたものであった。


 高校生3人組の誘拐。


 ターゲットは少年2人に少女が1人。特に、くたびれた様子の少年が重要らしい。通話が切れた事を確認し、FAXで先方が送って寄越した顔写真を見て男は溜息を吐く。


「また如月の旦那から依頼があったかと思えば、今度はガキか……確かに汚れ仕事は俺達の領分だが、旦那は俺達をパシリにでも使う気か?」


 これまでの依頼に関しては男に頼むのも理解できた。政治家の子息の誘拐、周辺の人間の始末、どれも理由が透けて見えるような仕事ばかりだった。だから、少なくない報酬を払い成立している自分たちをこんな何の関わりもない未成年3人を誘拐するのに利用するのは解せなかった。


 男の仕事の対象となるのは常に要人とその家族だ。とりわけ息子や娘が多い。故に、男の頭には主な要人の家族構成、その個人情報までもがおおよそ記憶されている。だが、その記憶の中に写真の少年少女はいなかったのだ。


 そんなに如月にとって重要な人間なのか、と男が考えていると不意にFAXがガタガタと音を立てる。


 次に送られてきたのはターゲットに関する情報だった。それを見て男はようやく得心が行く。


「なるほど、そういう事なら捕まえようと躍起にもなるわなぁ」


 男は無意識に口角を上げる。これが獲物だと言うのなら、今回の報酬は期待できる。男が知らない人物で、表沙汰にならずに強引にでも確保したい相手、そして如月が手に入れなければと焦る存在。つまり——————


「『楠木英治』、随分楽な仕事が入ったもんだぜ。コイツ一匹でどれだけ金が入ってくるか分からねえ。しかもコイツらだけシェルターじゃねえ、外にいるときた。いいカモだぜ、全く」


 男は笑いが止まらないという様子で天井を見上げる。獲物を狩りに行く猟師の気分である男は、嬉々として仕事の準備を始めた。

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