第13話 エゴに捧ぐ
浩介が頭を抱えながらグレープフルーツを頬張っている時、ある男もまた頭を抱えていた。
「総理、如何致しましょう」
「クッ……何がなんでも探し出せ! その小僧さえ見つかればどうとでもなる! もし未来人に先んじられれば我々には先が無いのだぞ!」
首相官邸で呻き声を上げるのは武田久信である。日本国総理大臣であるこの男は、『楠木英治』の捜索を命じてから成果が報告されない事に焦りを感じていた。
「櫻井! お前も捜査に協力しろ!」
「…………はい」
部屋に残っていた秘書を追い出し、武田はまたも頭を抱える。件の青年を捜索させていたものの、上がってきた報告はその青年の個人情報とシェルターには避難していないという事実のみであった。
(そんな情報など、どうだっていいのだ! そんな事より身柄を捕えなければ意味が無いのだぞ!)
ダンッ
武田は怒りと焦燥に任せて机を叩く。普段ならば高級感溢れるこの机に傷をつけるような事はしないが、今の武田には余裕が無い。太りに太った体を持ち上げ、脂汗を拭きながら部屋を歩き回る。自分の行動に意味が無いとは気付きつつも、止める事は出来ない。
(何故だ! 小僧一人何故捕まらない! もしやアレは既に他の者が手に入れているのか? しかし、それならば何故こちらに接触して来ないのだ!)
報告では『楠木英治』なる人物は1人しかいない。楠木姓は他にもいるが、英治という名前の者はいないのだ。戸籍から既に住所と近隣のシェルターは特定している。シェルターにはいないようで、職員も困惑している様であった。住居の方も探させた。少々強引ではあるものの扉を破って中を確認させたところ、楠木英治は荷物を纏めて避難した様に思われるとの事。
避難したにも関わらず、シェルターにはいない。
この結論が武田を苦しめていた。計画では『楠木英治』を差し出す事で先方の機嫌を取ろうとしていたのだ。唯一の交渉条件が見つからないままであるという事実は武田を精神的に追い詰めていた。
他の国や政治家達がどう考えているのかは知らないが、未来人はとてつもない軍事力を持っている。武田には未来人に対する恐怖しか無く、この国を守ろうとする意思など無い。いや、武田でなくともそんな意思をすぐに放棄させられてしまうはずだ。それほどまでに彼我の技術力には差があった。取り入るしか生きる方法は無い。
(そう、仕方のない事なのだ……私が、いやこの国が生き延びるのにたった一人の犠牲で済むだけまだマシではないかッ!)
武田は不気味な笑みでそう考える。自分の考えを肯定し、心を落ちつける様は非常に醜悪であった。
(クソッ、時間が経てば立つほど我々が例の小僧を手に入れられる可能性は低くなるのだぞ!)
武田は優秀な人間ではない。この混沌とした状況で冷静さを保てるほど精神が強くないらしい。まるで百面相の様に表情を変え、男は優秀な部下からの報告を待っていた。
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「全く……度し難い豚め……」
何の躊躇いもなく上司を侮蔑しながら廊下を歩くのは、櫻井楓である。
(この国の為と部下に命令しているが、全て自分の保身の為だろうに)
櫻井自身、武田の事は十分に承知している。自分の地位、立場、命を最優先する小物ぶりも、その為には国民などどうなっても良いという身勝手さも。とても国の政治機関のトップを務める器ではない事も櫻井はよく知っている。何せ、政治家の秘書という職についた時からずっとこの男についているのだ。武田がどの様な選択をするか、櫻井は手に取るように分かる。むしろ誘導すらしている。
(それにしても、ようやく『楠木英治』を見つけたわね)
櫻井は無表情だったその顔の頬を緩めた。想定よりも時間はかかったものの、件の少年と接触する目処がたったのだ。櫻井にとっては喜ばしい事である。
握り締めていた手を、櫻井はゆっくりと開く。本人も気付かない内に。
(これでようやく私の目的に一歩近づいた。けれど、まだまだ先は長いわね)
櫻井の目指す先を知る者は誰一人としていない。ただ、この世から既に去った者を除いてだが。
「まあ、報告する気はさらさらないのだけれど」
人気の無い廊下を櫻井は歩く。その後ろ姿は影に満ちていた。
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彼は1人で悩んでいた。
1人で抱えるにはあまりにも多すぎる悩みだが、彼にとっては苦痛ではない。それもそのはず、彼はまさに時代の申し子と呼ぶべき存在である。他の者ならば数十人で分担してあり余る仕事量を彼は1人でこなすのだ。たかだか自分達の種の存亡くらいで音をあげたりはしない。
しかし、綿密に計画を立てる事は出来なかった。前例の無い事ばかりで、情報が少なすぎる。計画通りに事が運べば良いが、希望的観測はしない方が身の為だろう。不測の事態を如何に予測するか、それこそが彼の求められている役目だ。
見通せない
しかし、繰り返すようだが苦痛ではない。
自身が感じる感覚が何なのかもまた、彼には分からなかった。人間が持つ感情には深く理解しているつもりの彼だが、今感じているものの名前は一向に判然としない。とはいえ、どうせ周囲に話したところで明るい返答が返ってくるわけでもないだろう。彼はこの疑問を自らの心の内に留めておく事に決めた。
話を戻そう。
彼には明確な目的がある。それはとても長い道のりで、そこへ辿り着く手段は既に講じているが停滞気味である事は否めない。元々、すぐに結果のでる類の物事ではないのは彼だって百も承知だが、それでも不安に駆られるのは致し方ない事だろう。焦る気持ちは伝染する。彼から周囲の者に伝わり、周囲の者から末端の者まで伝わる。冷静になれば、周囲から彼に伝わっている事だって分かった事だろう。彼は、冷静であるように装いつつも切迫した気分でいた。
彼は自らの手を見つめた。
その手は頼りないほどに細く、冷たさを感じさせるほどに白い。実際、彼の手は冷たい。勿論その下には熱が通っているのだが、その熱は温かみとはほど遠い無機質な熱だ。
その事を残念に思い、彼は静かに目を閉じる。しばらく彼は1人で瞑目していたが、小さく独り呟いた
「何故……」
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食事を終えた英治達は、束の間の休息を取っていた。
……と言っても、すぐに終わりを迎えるんだけどね。
「浩介、ちょっと良いかい?」
僕は隣で心の解れきった浩介に話しかけた。浩介は緊張が解けていたのか、眠たそうな眼をこちらに向ける。
「何だ? 今丁度心地よくうたた寝出来そうだったのに……」
声も不機嫌そうだ。これから伝える事に少々罪悪感を感じずにはいられないが、これも未来の為。心を鬼にして言わなければならない。
「これからちょっと外に出ようと思うんだ。一緒について来てくれる?」
「ファッ⁉︎」
浩介の寝ぼけ眼が一気に見開かれる。もはや見ていて痛々しい程に。目を剥くってこういう事を指すのか。勉強になるなぁ。
「当分は様子見、て言ってたじゃないか! 一回飯を食うだけのどこが当分なんだ!」
「当分じゃないよ。今のところは、って言ったんだ。それに一回安心させないと、ご飯も喉を通らなかっただろう?」
「俺はグレープフルーツだったけどな!」
案の定浩介が騒ぐ。といっても、すぐに状況を飲み込んで受け入れてくれるのだから感謝してもしきれない。美優は行動を僕や浩介に丸投げしているが、いざという時にはしっかりと判断できる人間だ。本当に僕は仲間に恵まれている……
思考が逸れていた僕に、浩介が呆れた調子で問いかける。
「で? 今度は一体何をする気なんだ?」
「ああ、ええっと……ちょっとね」
「ちょっと、て何だよ……」
僕の曖昧な答えに浩介は肩を落とす。僕が返答を渋ったり、濁すのは一度や二度ではない。浩介も慣れてしまったのか溜息を吐くだけで追求はしてこない。様式美の如くツッコミはするけれど……
「あらかじめ予定していた事じゃないけど、重要な事なんだ。頼むよ」
「はぁ、まったく……分かったよ。英治にはちゃんと考えがあるんだろう?」
肩を竦めつつも問いを発する浩介に、僕は安心させるように微笑みかける。傍観に徹していた美優がどこか怯えたような視線を向けるが特に問題は無いだろう。
「ああ、勿論だとも」
そう言って僕は周囲を見渡してみんなの顔を1人づつ確認する。突然の状況転換に不満げな浩介に、考える事は全て丸投げな美優。文字に起こせばそうは見えないけど、この2人にはいつも助けられてばかりだ。……だから、絶対に守らないと。
そして、ユキさん。先程から少し蚊帳の外気味で、それでも美優のお陰で打ち解けつつある少女。彼女を助けたのには打算がある。ここに連れて来たのは半ば賭けのようなものだ。そして上手くいく保証は無い。
それでも、僕は前に進まずにはいられない。大切なものを守り抜いて、未来へと辿り着く必要がある。たとえ他の何を犠牲にしても。……だから、そんな目を向けられる資格が僕には無いんだよ。僕は正義を張れるほど綺麗な存在じゃない。
純粋で透き通った目をこちらに向けるユキさんに、僕は思わず目を逸らしてしまう。
無言の叫びは僕の心の内に虚しく響くだけだ。
2人は気づいていないようだけど、彼女の秘密に僕は気づいている。いや、無作法にも推察してしまったと言うべきか。その上で彼女をこの場に縛りつけているのだから、僕も中々に性根が腐っているのだろう。
罪悪感は芽生えない。そんな物は既に置いて来た。しかし、胸騒ぎがするのは何故だろう。
疑問、疑念を全て後ろへ押しやり、僕は口を開く。
「さて、食料確保にスーパーへ行こうか!」
「「「…………」」」
努めて明るく出した僕の声に、みんなは冷めた溜息を吐き出す。
「英治の奴、絶対にお金払う気無いわよ! 非常事態だからって堂々と万引きするつもりよ!」
美優が浩介に嘆きの声を上げる。浩介は美優の肩に手を置き、
「諦めろ、そういう奴なんだ。お前もよく知っているだろ」
と慰めた。ユキさんは僅かに呆れたような顔を見せ、意識しないと分からないほど小さな笑みをこぼした。
少し緊張を孕んでいた空気は完全に霧散し、穏やかなムードだけが残る。
僕は引き締めた頬を少しだけ緩め、3人を眺めた。
束の間の休息を見届けつつ、僕は思う。
どうか、この笑みが偽物でありませんように。
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