第11話 彼の正体(仮)
15年前、1人の少年が産まれた。彼は、当時神童と呼ばれるほど知性に恵まれていた。3歳の頃には既に四則演算は勿論、中学レベルの計算力を持っていたという。また、その知能は多岐に渡り、成長速度や意欲などどれを取ってみても一級品のそれであった。
彼の母親は優しく、父親は芯の強い人間だった。家庭は円満で、非の打ち所もなく幸福な幼少時代を過ごしていた。謙虚で人の良い両親を持った彼は親に望まれた通り優れた人格を形成する。自分の才覚を鼻にかけず、優しさと思いやりに溢れた少年に成長した。
いや、成長しようとしていた、と言うべきか。
さて、この少年が誰かは言うまでもないであろう。
楠木英治である。
彼は才能に恵まれ、親に恵まれ、幸せを享受していた。しかし、天は二物を与えない。多くを与えられたならば、相応の対価を支払うことになる。この少年もまた例外ではなかった。
小学3年生、ここで最初の壁が彼の前に立ちはだかる。彼の母の死だ。
この時はまだ私達は出会っていなかったので、全て彼の父親から聞いた話になる。
それは何の変哲もない昼下がりだった。当時、買い物に出かけていた英治の母はいつもと変わらない道のりで行きつけのスーパーへと向かっていた。しかし、ある交差点を渡ろうとした彼女は、赤信号を無視して猛スピードを出す車に衝突されたのだった。死因には事故死と書かれている。信号を無視した運転手は酒に酔っていたらしい。
けれど、真実は大抵残酷なものだ。
例の運転手は、科学者である彼の父親、誠一さんの研究室に所属していたらしい。誠一さんの研究成果に対して劣等感を抱き、計画的に犯行に及んだようだ。しかし、その犯人はとある有力政治家と繋がっており、一件は有耶無耶にされようとしていた。
無論、誠一さんは警察等に調査を依頼した。どう考えても事故なわけはなく、動機ははっきりとしている。事故で話を片付けられるのは不自然であった。それでも、結局誠一さんの努力は実を結ばなかったのだ。
局面を変えたのは英治だった。小学生ながらに現場で聞き込みをし、情報を精査して法廷で叩きつけたのだ。現場を入念に下見している犯人の姿が住人から見られていたらしい。監視カメラにも繰り返し映っていたようで、犯人の罪状は殺人罪に切り替わることとなった。
そうしてこの一件は幕を閉じる。悪意を知らない少年に大きな傷を負わせて。
その翌年、英治と私と浩介は出会った。私達が初めて会話したのはとある授業がきっかけだ。3人1組で行われるプチディベートが行われ、そのメンツが英治と私、そして浩介だったというわけだ。普段からよく喋る方の私と浩介は勿論のこと、いつもは無口な英治もこの時は白熱した議論を交わした。もっとも、私は早々に敗退したが。
何故そうなったのかと言えば言い表すのは簡単で、ただ単純に三者三様の答えが出たからである。とはいえ、明確な答えが設定されていないディベートのテーマでは結論が出ず、結局のところ誰が正しいということもなくその場は終わった。
きっと、面と向かって意見をぶつけてくる人間が珍しかったのだろう。人と関わることを避けてすらいた英治だが、私達とはすぐに打ち解けた。しかし、その異質さゆえにもともと敬遠されていた英治だ。そんな彼とつるむ私達も次第に変人扱いを受けるようになった。
まあ、そんな事はどうだって良い。
私達が友人になれた理由には、彼が寂しさを感じていた事もあるのだろう。誠一さんはよく家を空ける。なので、当時は一人で留守を預かる事も多かったのだ。学校では一人で過ごす事の多い彼だが寂しくないわけがない。何より母親を失ったのだ。心の穴を感じていた事だろう。
それから3年間は何事もなく平和だった。……裏を返せば、3年間しか平穏な日々は訪れなかった。
今度は中学1年生の頃の事だ。彼の父、誠一さんが死んだ。
誠一さんは研究室で亡くなっていた。直接の死因は毒物の服用だった。遺体のすぐそばには遺書が添えられており、自殺と判断された。確かに、その1年ほど前から誠一さんは余裕のない様子だった。それまで以上に研究に邁進し、他の事が目に入らない様でもあった。英治を遊びに誘う時などに誠一さんとは話をした事もあるが、優しかった面影は消えて張り詰めたような空気を纏っていた。正直に言えば、今でもあの誠一さんの顔は恐ろしい。多大なストレスを抱えていたと言えば間違いは無いだろう。
しかし、しかしだ。
繰り返すようだが、真実は残酷なのである。
誠一さんの死も、自殺に見せかけられたものだった。研究に没頭した誠一さんの成果に嫉妬した、件の科学者を支援した政治家が犯人であった。もっとも、実際に誠一さんを殺害したのは別の人間なのだろうが。それでも黒幕がその政治家である事に変わりはない。
嫉妬を燃やし、英治の母を殺した科学者と関わりのあったその政治家は当時落ち目であったらしい。それ故の凶行、それ故の犯行だった。被害者からすればそれは迷惑も甚だしいが、自身の保身のために平気で他人を殺す人間も存在する。そんな薄汚れた人格の持ち主に自分の家族を、家庭を、幸せを奪われて怒りを燃やさない者がいるだろうか。少なくとも、私はいると思えない。
当時の英治はといえば、怒り狂っていた。もしくは、壊れていた。
それも当然の話だ。母親を失い、心の傷が癒えぬ間に今度は父親を奪われたのだ。それも事故などではなく他者の悪意によって。彼が人間という生物を見限るのには十分過ぎる事だった。
それから彼は黒幕たるその政治家を叩き潰すべく行動を開始した。まるで自分の精神を燃やして動いているかのような苛烈さだった。同時に冷徹でもあったが。
彼は父親の研究室を調査し、人間関係を探った。しかし、個の力には限界がある。ただ1人がどれだけ頑張ったところで組織の力には敵わない。証拠は全て隠滅されており、ついぞ復讐は叶わなかった。
その上、1つ問題が起きた。私と浩介が誘拐されたのだ。さらったのは無論組織の者だろう。私達は特に何をされるでもなく解放されはしたが、その一件が意味するところに変わりはない。これ以上詮索するようなら、という脅し。私達を既に大切なものに数えていた英治には非常に効果的だった。これで英治は何も出来なくなったのだ。
実行犯の男に届きそうにはなった。けれど、その実行犯を組織は切り捨て、殺した。その男の全てが抹消され、英治はついに手掛かりを失った。
英治は誠一さんが亡くなってから2ヶ月ほど一度も笑わなかった。いや、表情を変えることも無かった。顔を顰める事も、涙を流す事も、怒りや悲しみを態度に出す事すら無かった。能面のような顔の下に一体どれ程の感情の嵐を潜ませていたのだろうか。
私達2人は揃って彼の足でまといにしかならなかった。英治の壊れていく様子を見て、とても悔しかった……それから私は英治を支えるべく強くなろうとした。もうこれ以上彼の足枷にならないように。彼がこれ以上壊れないように。
きっと浩介も同じことを考えたのだろう。習っていた空手を真剣に打ち込み出したのは確かこの頃だった。私には出来なかったが、浩介は英治に追いつけるように、隣で悩んでやれるようにと必死で頭脳も鍛えていた。
一方で英治は、1つの結論に辿り着いたようだった。自分の守るべきものの為になら、何だってする。今の彼なら、きっと守りたいものを守る為なら誰をどれだけ不幸にしても心が痛むことは無いだろう。心優しい少年は人の心の闇に触れて変わってしまったのだ。かつての楠木英治はもういない。一度歪み、壊れてしまった人間が元に戻る事はないのだ。
これが今、目の前にいる楠木英治の過去。肉親を悪意によって奪われ、抗った末に組み伏せられ、溢れんばかりの感情をその身に宿した結果壊れてしまった少年。それが彼だ。
そして、壊れる事で手に入れた異常なまでの敵に対する憎悪。身近な存在が失われる事への極端な恐怖。
これこそが彼の正体である。
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