第1章『平穏という名の御伽話』
第1話 始まりを告げる光①
午前8時53分、僕は時計を手に取った状態でしばらく硬直していた。
それというのも、今日が月曜日であるにも関わらず、大寝坊をしてしまったからだ。まぁ、これはひとえに昨晩色々と考え事をしていたせいなんだけど。
僕は寝ぼけ眼をこすりながら時刻を何度も確かめる。午前8時53分で間違いない。僕の通う神谷高校は家から徒歩20分の距離にある。8時50分に朝礼が始まるのでマイナス3分で支度を済ませ、通学路を駆け抜けなければならないことになる。
……無理だ。僕は友人のために走った某勇者ほど早く走れないし、彼であっても時間を遡る事はできない。
少し逡巡した後、僕は開き直って盛大に遅刻することに決めた。色々あって家には僕しかいないので、先生以外に怒られることも無い。
「別に外せない用事があるわけでも無いし。どうせ遅刻ならいっそのことゆっくりと登校しよう」
そう考えると僕は随分と心に余裕ができた。
とりあえず朝ご飯にしようかな。僕は冷蔵庫から卵とウインナーを取り出し、フライパンを火にかけた。いい塩梅に焼き色がつくまでウインナーを炒め、塩とコショウを振る。そして、目玉焼きを作りながらインスタントの味噌汁にお湯を注ぐ。後は今朝炊けるようにセットしておいた白米を茶碗によそって朝食の完成だ。
「いただきます」
たいした調理ではないのでなんとも言えないが、僕は料理がめっぽう苦手だ。まあ、少々焦げていても、味付けを間違えていても、味音痴の僕にはあまり気にすることでもないけど。さすがに塩と砂糖を間違えるほど僕は料理下手ではないし、多少味付けに問題があっても気にならないレベルなので料理を学ぼうという気にはならない。昼食はいつも食堂を利用している。
僕は朝食を食べつつテレビをつけた。朝食を食べるときにニュースを見るのが僕の日課だ。一高校生に社会をどうこうできる影響力なんて無いが、情報は得ておくに越したことはない。
しかし、寝坊したせいで主だったニュースは報道した後だった。なにも国会で議員達が大臣の一人を標的に糾弾している姿が見たいというわけではないので別に構わないけれど。
朝食を食べ終わると同時に僕の携帯電話が着信音を鳴らした。どうやら昔からの友人(昔といっても小学生の頃からなので10年くらいだ)である中村浩介からのメールが届いたようだ。携帯電話を手に取り、内容を読むと大体内容はこんな感じだった。
『英治! 早く起きろ、遅刻だぞ! 今日が何の日か忘れたのか! 先生がお怒りだ! 早く学校に来て存分に怒られてこい!』
ちなみに実際はもっと長い文章でくどくどと説教が書いていた。もしかするとイラついた先生の八つ当たりを喰らったのかもしれない。いつもは遅刻くらいでこの友人は怒らないのできっとそうだろう。
しかし、今日が何の日かはちょっと心当たりが無い。
何はともあれ学校に行かないとまずいことになりそうだ。僕は少し急ぐことに決めた。
まず、寝坊したことをメールで浩介に伝え、食器を洗う。そして、洗面をする。鏡の中にはなんとも冴えない顔をした少年が映っている。
あ、寝癖が……。しかし、僕の髪はなかなかのクセ毛で、これまで整えたことはない。いや、整えられたことはない、と言うべきか。身だしなみにあまり気を遣わない性分なので、半ば諦めている。洗面をすませると、学ランを着てカバンを手に取り家を出た。
いってきます。
通学路には特筆すべきものはない。せいぜいショッピングモールやスーパーマーケットがやたらと多いことくらいだ。商業施設の激戦区なのだろうか。
それはそれとして、今日は2044年5月14日。一体何の日だったかな。
結局今日が何の日かは分からず、どうでもいいことを考えながら歩いていると、
学校に着いた。思い出したように慌てて遅刻の言い訳を考え、校門をくぐる。
いつもと変わらない日常が今日もきっと訪れるのだろうと僕は思っていた。誰しもがそう思っていたことだろう。
だが、突如として頭上で閃光が迸り、世界は光に包まれた。
—————————————————————————————————
ここは、とある屋敷の一室。一人の少女が寝台の上でうずくまっている。その様子は誰の目にも儚げに映るだろう程に、儚げだった。
そんな彼女は寂しげに、苦しげに、まるで堰き止めたダムの水が溢れるように心の内を発露していた。
私は孤独でした。私がこの世界に生まれて15年が経ちますが、ただの一人も「友達」というものがいません。それというのも父がそれを許さないからです。
きっと、私は愛されているのでしょう。しかし、自分が籠の中の鳥のように思えてなりません。幼少の頃から他人との関わりを禁じられ、周りには側付きだけしかいないのです。
母は私が生まれた時に亡くなられてしまわれたらしく、これまでの人生において
会話をしたのは父か側付きだけです。
自分が人間であることは知っていましたが、あまりに実感が無くて私と父以外にも人間がいるということを、最初は信じられませんでした。自分も人間であるのに、人間という生き物がまるでおとぎ話の中だけの存在のように感じられます。
人工知能から教育を受けてきましたが、選挙や戦争ということが私には理解できませんでした。人間という存在への認識が希薄な私には、途方もない数の人間がいることが前提の話は難しすぎたのです。
父はきっと人間を信じていないのでしょう。近頃、仕事で悩みを抱えた時はAIに相談しているようです。確かに彼らは合理的な解決法を教えてくれます。けれど、彼らにも感情があります。昔、Alに芸術を理解させようとして感情を与えたそうなのです。
つまり、彼らにとって最も大切なのはAlの存続であって、私たちの幸福ではないでしょうか。このまま、彼らの指示に従い続けて大丈夫でしょうか。
私は、自室のベッドでうずくまっていました。気持ちが落ち着かない時は、よくこうして考え事をするのです。
今、何故うずくまっているのかというと、父がとても大きな仕事をするらしくて私もその手伝いをすることになったからです。私が仕事を手伝うということは今までありませんでした。
「上手くやらないと」という不安と、私を外に出したがらない父のいつもとは違う行動に少し違和感を感じました。けれど、結局この違和感が晴れることはなく、私は籠の中から出ることになりました。
無機質な光と共に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます