第3話 雨

そういえば、彼女は雨の日が好きだった。


 困ったことに、土砂降りの雨の中、傘をささずにずぶ濡れで帰ってくる事も多かった。

 そうして毎回高熱を出すのに、学習しない。


 バカだよな、と独り言。

 裏腹に、少し笑う。


 彼女はいつも、真っ黒な服ばかりを好んで着る。葬式帰りのようで、悪趣味だと言った。

「いつでもお葬式にいけるじゃない」と微笑んでいる彼女に、余計に悪趣味だ、と言葉を投げたのはいつだったか。


 暗い雨の日に、傘もささずに歩き回る。

 そんな夜は、見つけるのが大変だった。


 捕まえておかなければ。


 すぐに消えてしまう。



『あなた』


 そう呼ぶ声は、天真爛漫。幼子のようだと、いつも思っていた。


「バカだよな」


 今日は土砂降りの雨。

 土の匂いが、強い。

 ぬかるんだ足元。


 パチパチと弾く雨音。

 湿った空気。


「ホント、バカ」


 彼女が?

 いや、自分が。

 無力さしか、感じない。


 今自分がどこに立っていて、何を見ているのか。


 それすら、危うい。


「……ごめん」

 だから、在るのは後悔。


『あなた』


 その声に、自分はどれだけ向き合えたのだろう。



 気がついた時。既に手遅れだと諦めた自分。



 果たして本当に手遅れだったのだろうか。

 許してもらえると、甘えていただけだったんだ。



 守られていたのは、自分だ。

 

 びしょ濡れの黒いスーツ。

 びしょ濡れの髪。


 容赦なく、雨は降り続ける。

 立ち尽くす自分。


 ああ、これでは彼女を叱れないなと、片隅で思った。


「俺しか居なくて、良かったのか?」


 答えなど、知らない。

 だけれど、言わずにはいられなかった。


 黒い石の横に、白い花。

 彼女の好きだったストック。


「お前の好きな雨の日に……」

 跪き、石に掘られた字をなぞる。

 静かに風が流れていた。


「結婚記念日、おめでとう」

 最後に見た彼女は、白い服を着ていた。

 悲しい位、とても良く似合っていた。


 ああ、そうか。雨に濡れているのなら自分が泣いているのかも分からないのか。


 ふと思い至って、また少し笑った。





 雨が降る度、思い出す。






 ストックの香りと、誓った永遠。 

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ショートショート集 夜川青湖 @aoko-y

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