出田の苦悩

「春子!着信音なってるわよ!」


 母がバスルームにスマホを持ってきた。


「さっきから鳴っててうるさいのよ」


「ごめんごめん」


 着信は同期の栗本だった。

 入社式の後に顔を合わせて、番号くらいは聞いたが特にそのままだった。

 世間は今、お盆休み中だ。エンゼルは配属先次第で盆休みが取れない現場もある。冬野の現場がまさにそうだった。


 何か用か?


「はい」


「あ、俺だけどさ………」


 B棟の屋上から飛び降りた社員がいたと言う話だった。


「その人知ってる?」


「いや知らんけど。

 うちの会社さぁ、労働組合とか労働基準法とかガン無視じゃん。

 前にさ、過労で亡くなった人が何人もいるらしいんだよね。A棟は三年前って聞いたけど」


「えぇ!?き、聞いてない!そうなんだ」


「今、サビ残多いし、今までのこともあったからって、社員の死を重んじしっかり決まりを、みたいな意見が出て動いてた人達がいたらしい」


 それは…………つまり会社を変えたい連中という事か。


「その人たちがどうしたの?」


「縁故組に見つかってクビが飛んだって」


 それすら不当解雇に当たらないのか………とにかく、知られたらお終いなんだな。


「でさ、見せしめにするって一人残ったおっさんが居てさ。出田って言うらしいんだけど。

 精神的に追い詰められて、ついさっき……会社の屋上から飛んだんだって」


 まじかよ。

 それは災難だな。

 出勤までには片付いているだろうが。


「そういう時のお葬式って家族葬とかなんだよね……?」


「いや、それが噂じゃ運ばれる時に見てた先輩の話だと、意識あったらしいんだよ」


 未遂!?


 四階建ての屋上だろう?いや、そんな話もよく聞くが…………助かったのか。


 それはどうなんだ?

 よかった………のか?


「頭を打たなかった……のかね」


「多分な。

 お前んとこはどう?変わった事ない?」


 ない訳が無いのだ。


 でも言えない。

 パワハラやアルハラ。色々あるが………仁恵のこれは他人にベラベラ喋っていいものとも思えない。

 だが、背負い込むのも厳しいと感じている。


「私の所は…………なんて言うか………辛そうにしてる人はいっぱいいる」


「…………参ったな。まさかこんなブラックだったなんて。お前知ってた?」


「いや、知らなかった。

 なんで噂にならないんだろうね?」


 そんなこと、新入社員同士が話しても答えなど出ない。

 それは分かっている。


「しっ。それ以上言うな。消されるろ!」


「ちょ…………!最後噛んでんじゃん!」


 その後はただ世間話をして通話を切った。


 数日後、噂で出田の状況が耳に入った。


 彼に用意された新たな道は、車椅子生活。

 妻子持ちで、奥様は酷く乱心し何度も本社に来ては揉めていたという。


「なんだか………あの、飛び降りた人、すごく噂になってますね」


 休憩中、話を振ると、弁当を食べながら仁恵はひっそりと話して来た。


「自殺や未遂者は結構多いんだよ。ここ。


 出田さん、私が入社した年に中途入社してきた技術者でね。優秀な人だったんだけれど………。

 経営陣はいつも外部に出さないように動くから。

 私が聞いてる話だと、出田さん冬野課長のいるここに異動させるらしいわ。監視が出来るからね」


「そんな理由ですか………」


 怒りでも驚きでもない…………あきれたとも言うべきか、言葉に出来ない感情だ。


「出田さんはこれまで通りの月給が約束されたみたいで、A棟には車椅子用のスロープとエレベーター、トイレにも手摺りを設置するらしいの。

 あとは、専業主婦の奥様もエンゼルで雇うって」


「それは…………いつからですか?」


「工事が終わり次第らしいけれど……」


 次の日。

 スロープと手すりの設置作業が外部企業の建設屋で行われたが、作業は半日で済んでしまった。


 出田は早速、午後一で異動してくるらしい。

 その辺は無駄な時間を取らせまいとして、会社側が必死のように感じられる。


「今日は昼礼やるから集まれ〜」


 昼休憩後、冬野のそばに車椅子の男がいた。五十代前半くらいか、小綺麗で髪が薄いものの顔立ちは品の良さそうな男だった。

 改めて現場の社員は出田の今の状況を視覚で再認識する。


 同情か。

 蔑むか。

 興味が無いか。


 やがてサビ残前の、休憩室。

 出田はヘビースモーカーだ。

 分煙のため隔離されているため、本人に聞かれてはいないのだろうが。

 出る。出る。

 キリがない。

 本音の嵐。

 これでは態度で丸聞こえだ。


 まぁでも、多少の篩にかけることが出来たかなぁ。


 出田が失墜した事を嘲笑う冬野と同意する社員。

 冬野と出くわさぬ様、喫煙室に来る社員。

 真っ向から冬野を否定する社員。


 そしてもう一つ。

 冬野にジュースや、お冷、挙句マッサージまで言いつけられ、反抗出来ないパシリ社員。ありゃ最早いじめだ。


 さてと…………。


 本当に社内の勢力図を変えるならば、妻帯者や、借金持ちは使えないのではないだろうか。

 彼等は金で簡単に買収される気がする。


 冬野を否定する社員。彼等は自分に権力が傾くと、おそらく似たような行動をするだろう。


 情報がまだ少なすぎる。

 気軽に聞けて誰にも言わなそうな……………そうなると、パシリ社員の中から誰かを調達して話を聞きたいところだなぁ。


「お茶はねーよ!コーヒーだって言ってんだろ!」


「………………」


「ちっ。書かねぇと駄目か。

 あーあー。めんどくせぇなぁおい」


 冬野のパシリ社員は障害のある者も多く、会話をして果たしてどこまで把握しているか…………人によるよな。


 誰か………誰か居ないのか?

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