憧れの先輩 霜山 仁恵
エンゼルに就職してからひと月ほど経過した。
大規模なリストラの後、残っていた四十代、五十代というのは社長のお付きなど経営陣であり、現場にいる者はほぼ経験不足の若者だけだった。
まず最初に乱れたのは風紀である。
私が来たA棟は四勤二休の現場だった。文字通り、冬野の拠点だった。
会社のあるこの町は狭く、五百人以上いる社員の半分は縁故入社だったと聞いた。
恐ろしいものだ。
私が配属された冬野の職場は五人編成が三班ある十五人の職場である。日勤と夜勤があり私は霜山 仁恵という女性がいる班へ配備された。
大和撫子タイプで艶がある。まさに大人の女性と言う雰囲気だ。長く綺麗な黒髪をしていた。
仁恵さんは慎ましくも明るく、皆から好かれていた。
班は仁恵さんと私、他は男三人。冬野は私の班につき、共に交代制勤務をしていた。
エンゼルの五つの棟はそれぞれに権力者が居て、そのボス格が仕事を取り合ったり足を引っ張ってみたりと奮闘している、情けない状態だった。
A棟の夜勤がある職場は私のいる現場のみで、故に夜勤中にいる女性は私と仁恵さんだけである。今までは新入社員の私もいなかったわけだし、仁恵さんは相当うまく人付き合いしているんだろうな。
新入社員内でも憧れの的として話題になってるし。
「…………」
まだ夜勤始まったばかりだけど…………トイレに行きたい。
作業中の出入りは割と自由で、現場も広いため断りなく出ていける。現場は一階。そこにトイレはない。二階に行くのが普通だけど、少し休息も入れたいから四階に行こう。
暗い階段を登って行くと、上から誰かが降りて来た。
サボりか?
お互い様お互い様。
暗闇の中、降りてきたのは冬野だった。
「お疲れ様です。トイレに行ってきますね!」
一応、声をかけた。
しかし、冬野は無言のまま目も合わせず現場へ戻って行った。普段ヘラヘラしてる分、少し気味が悪かった。
機嫌悪いのか………もしかして私嫌われてるのか?
……気まずいなぁ。
三階の踊り場まで来ると女子トイレの明かりが見えた。
あれ、普段消えてる電気がついてる。
仁恵さんしか…………いないはずだ。もしくは電気の消し忘れ………?
ところがドアの前まで来ると、曇ガラスの先に人影が見えた。
仁恵さんじゃない!
そのシルエットは……………男性だ。私が取っ手をとるより早く、ドアが開く。
「なんだよ?」
うちの現場の男性じゃない。
「あ、トイレに…………」
すれ違った冬野と、女子トイレから出てきた見知らぬ男性社員二人。
そして、閉まったままの個室便所。
状況を把握する前に一言、男達が言う。
「バラしたら、殺す」
私は震えるまま用を足し、すぐに現場へ戻った。
朝まで仁恵さんは戻って来なかった。日勤者との引き継ぎの朝礼の時も、冬野は素知らぬ顔で話をしていた。
まさか。そんなことはある訳ない………。
しかしそれからも、度々冬野は仁恵さんを呼び出し現場を出て行く事があった。現場の入口付近のデスクで作業をしている私は、そんな事情を目の当たりにしていた。
重い鉄の扉の向こう、冬野を待っているのは、いつも違う男性が数人。
日に日に、仁恵さんの顔には痣が付いていった。
不安が確証に変わる。
仁恵さんは騒がれたくないのか、抵抗できないのか、なすがままだった。
なんでついて行くんだろう。
私に出来ることは無いのか………。
私の上司は冬野しかいない。
現場の中に同期が居ない。
誰に相談すればいい?
誰が冬野の仲間なのか…。
社内の人間を注視しなければならない。
もし仁恵さんが退社なんかしたら、ソレは私に起こるのか?
恐怖だ。
だが、このままでいいわけがない。どうにか…………。味方を探したいが、交代勤務をしている他の職場は別の棟だ。ここは完全に隔離されている。
八方塞がりだ……………。
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