第79話 湖へ出発です
それから私は毎日、魔絹糸と向き合った。サミューちゃんは走り続けた。
一週間後――
「さみゅーちゃん、はさのちゃん、みててね」
「はい!」
「ええ」
いつもの大広間で、一本の魔絹糸を手に取る。
これまで何度も何度も爆発させた糸。
ハサノちゃんの見立て通り、私の魔力が膨大過ぎて、自分ではすこしのつもりでも、大量に垂れ流してしまっていたのだ。
省エネが叫ばれる昨今、あまりの燃費効率の悪さ。それが私。さらにあふれる魔力で【魔力路】に負担をかけ、不安定な状態だった。
そして今――
「えいっ!」
――ぱちん、と一つウィンク。
その途端、魔絹糸がふわりと七色に光った。手を離せば、重力で落ちるはずの魔絹糸はそのまま空中へと浮かぶ。
そして、うにょうにょっと動いたそれは、ゆっくりと結び目になり……。
「できたぁ……!」
ふわぁああ! できた! 蝶結びは無理だったけど、なんとか片結びはできた……!
達成感を胸にふぅと額を拭う。そして、サミューちゃんとハサノちゃんの顔を見上げた。
やったよ! 私できた!
すると、そこには――
「ひぐっ…うぐっひっ……」
「さみゅーちゃん……?」
なんか白目になりつつ頬を紅潮させつつ……ぷるぷると震えている。美少女がしちゃいけない表情をしている。え? これサミューちゃんだよね……?
びっくりしていると、ハサノちゃんがカッと目を開き、天井を見上げた。そして、右手を握りしめ、空へ吠える。
「かわいいわ!!」
「はさのちゃん……?」
よく見れば、扉のところに待機していたエルフの人たちもお互いにくぅと言いながら抱き合っている。これはいったい……。
【魔力操作】の成功への感動が、謎光景への不審へと変わってしまう。すると、いち早く平静を取り戻したハサノちゃんが私をそっと抱き上げた。
「レニちゃんのあまりのかわいさに、みんな取り乱してしまったわね」
「そうなの?」
「ええ。気にしなくていいわ。レニちゃん、大成功よ!」
「うん!」
片結びじゃダメだったかと不安になったが、そんなことはなかったらしい。ハサノちゃんが満面の笑みで褒めてくれたので、私もうれしくなってくすくすと笑った。
「レニちゃんの【魔力操作】は片目を閉じるとうまくできるのね」
「うん。かためだと、ちょうどいい」
そうなのだ。これはたぶん私の癖のようなものだと思うが、魔力を感じるのに目を開けたままだと難しい。体に巡る魔力を感じるときは目を閉じて、体内へ意識を変えたいのだ。
だが、両目を閉じて【魔力操作】をすると、魔力を出し過ぎてしまう。
そこで、私は片目を閉じる方法を思いついたのだ! 一週間もかかってしまったが、なんとか『ちょうどいい量を出す』ということをものにできたと思う。
省エネ基準達成。
「問題はあまりにかわいすぎるということかしら……」
ハサノちゃんはそう言うと、いまだに美少女に似つかわしくない表情で震えるサミューちゃんを見つめた。
「サミューが持たないかもしれないわ」
……サミューちゃん。
***
「それではレニ様、出発です!」
「うん!」
「ここからは余が案内するから、安心せよ!」
「うん」
修行を終えた私たちはついに、エルフの森を出発することにした。目指すは【涼雨の湖】! そこに秘宝を守る【
毎日散歩に出かけていた【
そして、ハサノちゃんやエルフのみんなとはお別れだ。
「レニちゃん、エルフの森へ来てくれた本当にありがとう。レニちゃんと一緒に過ごせてとても楽しかったわ」
「うん。またくる」
ハサノちゃんは目をうるませるとぎゅうっと私を抱きしめた。
「ええ。そうよね。……これで、お別れじゃないものね」
「うん。またあえる」
「ええ」
「ままとぱぱも、くる」
「……っ。ええ、そうね。ええ……っ、そうよね」
「うん」
ハサノちゃんは二度ほど鼻をすするとそっと私を地面に下ろした。
「レニちゃんの【魔力路】は今は問題ないわ。【魔力暴走】も起こしていない。そして、【魔力操作】も身に着けたのだから、怖いものなしね」
「うん。れに、つよい」
ハサノちゃんが助けてくれたから。たくさん教えてくれたから。
まっすぐにハサノちゃんを見上げれば、ハサノちゃんはしっかりと頷いた。
「……いってらっしゃい、レニちゃん!」
「いってきます」
「サミューもしっかりね!」
「はい、本当にありがとうございました」
ハサノちゃんとエルフのみんなにばいばいと手を振る。
エルフのみんなは、最初に私が森に来たときと同じように、【
装備品もばっちりつけて、いざ!
「行くぞ! まずは東へまっすぐじゃ!」
「うん」
「はい!」
【
「あ、そういえば」
「ん? なんじゃ?」
「なまえ、ないの?」
「名前とは余の名前か?」
「うん」
びゅーんと飛ぶ【
「余は【
さも当然というような声にうーんと首をかしげる。
でもそれって私が「人間」とか「エルフ」って呼ばれているようなのとは違うんだろうか。たしかに識別はできるわけだから、『名前』という概念は必要ないのかもしれないけど……。
「よびにくい」
「は?」
「ぶらっくばはむーとどらごん、ながくて、よびにくい」
「っそ……そうじゃろうか……」
「かっこいいけど」
「そうじゃろう!? そうよなぁ!?」
「よびにくい」
「ぐぅ……」
私の言葉に【
「しっかりしてください。あなたが案内してくれないとレニ様が困ります」
「うるさいわい! ちょっと余は今、落ち込んでるんじゃ!」
「おちこんでるの?」
「……多少な! べつにこれぐらいどうってことないがな!」
【
私はふむ、と考える。呼びにくいと言われて落ち込むのならば……。
「れに、なまえ、つけていい?」
呼び名があれば、お互いに楽かな? と思ったのだ。
すると、【
「わっ」
「レニ様っ!」
ぶつかりそうになって、急いでスピードを落とす。でも変な体勢になってしまって、サミューちゃんが慌てて私を抱き留めてくれた。
「危ないではないですか! あなたはどうでもいいですが、レニ様が傷ついたらどうするおつもりですか!」
サミューちゃんがああん? と【
それを落ち着かせるように、私はサミューちゃんに声をかけた。
「だいじょうぶ。さみゅーちゃんいてくれるから」
「うぐっ」
「さみゅーちゃん、すごいね。いま、くるんってなった」
そうなのだ。今、サミューちゃんは体勢を崩した私を抱きしめて、空中でくるんと一回転したのだ。
空中には方向転換できるような壁などはなかったのに、すごかった……!
「これは前に見たレニ様の二段ジャンプを参考にしまして、エルフの森で練習していたのです」
「しんわざだ……!」
さすがサミューちゃん。私が【魔力操作】の修行をしている間に新技を獲得していた……!
ほぅと感嘆の息を漏らすと、サミューちゃんは照れたように笑う。
……にしても。
「うごかないね」
「……そうですね?」
【
……大丈夫かな。
じっと見上げていると、ようやくギギギギッと首を動かして……。
「幼いエルフよ。余に名前をつけると?」
「うん。よびやすいように」
うーん。この反応を見るに、呼び名を考えるのは良くないのかもしれない。
「いやなら、やらない」
だから、そう付け加えたのだが、【
「許す! うむうむうむ! 余に呼び名をつけたいという願い、叶える!! ちょっと案を言ってみよ!」
「レニ様、やめましょう。レニ様が呼び名を考えるなどもったいないです。ドラゴンと呼べばいいのでは?」
「いやいやいや、おかしいじゃろう。それでは余の高貴さが伝わらんわ! ほれ、言うてみろ、幼いエルフよ。余にはどんな名前が似合う?」
わくわくわくと【
……どうしよう。すごくいい案があるわけじゃないんだけど。
『ブラック』だとちょっと安直すぎるし、『ドラゴン』だとダメらしいし。……バハムート……。バハムート……。
必死に頭をひねって考える。そして――
「むーと、ちゃん?」
【
首を傾けて、紫色の目を見つめる。するとその目はニッと細くなった。
「ムート。そうかムートか! うむうむうむ、バハムートから取ったのだな! 多少安直だが、まあ良い! 許す! うむうむうむ! まあ幼いエルフにはそのあたりの語彙が限界だろうからな!!」
ふははははっ! と高笑いをすると、次はぐふぐふぐふと含み笑い。そして、またふははははっ! と高笑いをした。
「よし、では、行くぞ! 湖まではまだ遠い!」
「……私はドラゴンと呼びます」
「なんじゃお前は! ムートと呼べ!」
「ドラゴンと呼びます」
また飛び始めた【
たぶんだが、ムートちゃんは名前を気に入ってくれたようだ。……サミューちゃんはすごく不服そうだが。
そうして、サミューちゃんとムートちゃんの言い合いを聞きながら、【涼雨の湖】を目指す。
途中の街で宿泊しながら、だいたい三日。エルフの森より北東の場所にそれはあった。
「着いたぞ!」
ムートちゃんがそう言い、羽ばたきを止めた。
私もそこで止まるべきだったのだろうが、ムートちゃんの言葉にテンションの上がった私はそのままムートちゃんを追い抜いた。
だって、この先にはゲームで憧れたあの湖があるのだ……!
湖は森の中にあって、私は木を避けるように進みながら、湖面へと近づいた。
ゲームで見たきれいな水のエフェクト。実際に見るとどんな色? どんな光が当たっている?
わくわくが抑えられない。
走って行けば、すぐに木がない開けた場所が広がる。
ここが【涼雨の湖】。転生してからずっと、見たかったあの景色。それが今、私の目の前に――
「え……」
歓声を上げるべく吸い込んだ空気。
だが、出たのは唖然とした声だった。
「どうしたのですか、レニ様っ」
そんな私にサミューちゃんが追い付く。
だが、それに答えらえず、私は呆然と湖を見つめた。
「みずが……」
そこまで言うと、さらにムートちゃんも追いついたらしい。
バサッと羽ばたく音がして、そして――
「なんじゃこれは!!」
――出たのは悲鳴。
「水が枯れているではないか!!」
そう。そこにあったのは水のない、ただの大きな窪みだった。
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