第73話 体がうまく動きません

 気が付くと、鏡には中学時代の私が映っていた。

 表情はなく、義務的に手を動かし、髪を結んでいる。

 肩についた髪は校則で結ばなくてはならないから。

 そんな私に鏡越しに映った母がため息を吐きながら声をかけた。


「ちゃんと学校に行きなさいよ。困らせないで」

「……ごめんなさい」


 そう一言返せば、母はまた、ため息をついて、通り過ぎていった。

 私はのろのろと体を動かし、廊下に置いていた鞄を背負う。大量に入れた教科書の重量で、肩紐が食い込んだ。

 靴を履き、俯いて歩き続ければ、学校へとたどり着く。

 一週間ぶりに入った教室は、なにも変わりもなく、私は自分の机まで近づき、椅子に座った。

 カバンを置き、空っぽだったはずの机の物入を探る。そこにはプリントが乱雑に入れられていたので、とりあえず一まとめにした。

 そうしているうちにチャイムが鳴り、授業が始まる。

 とくになにもない。

 私が休もうと学校へ来ようと、他人には関係のないこと。学校は授業を受けて勉強する場所なんだから、それぐらいなら私にもできる。

 そう思っていたら、一時間目と二時間目の間に声を掛けられて――


「あのね、あなたが休むと私たちのグループが一人少なくなるの」

「……うん」


 声を掛けてきたのは、出席番号が二つうしろの女子。私は机に座ったまま、三人の女子に囲まれていた。


「掃除とかいろいろ困るんだよね。役割とか分けてるから、あなたが来なかったら、私たちのグループだけ役割を二つやる人ができるの。わかるよね?」

「……うん」


 言っていることはわかる。私たちのクラスは掃除当番などを出席番号で分けたグループで持ちまわっている。七人の五グループなんだけど、私が休んでいると、六人のグループになり、同じグループの人に迷惑がかかっているということなんだろう。


「……ごめんなさい」


 カラカラになった喉でなんとか言葉を発する。

 目の前の女子たちがどんな顔をしているのかが怖くて見れない。だから、顔を上げることができずにいると、はぁという大きなため息だけが聞こえた。


「なんかいじめてるみたいだから、そういう感じはやめてほしいんだけど」

「ごめんなさい……」

「来るなら来る、来ないなら来ないで先生に言って欲しいだけだからね。そうしたら先生も六人グループってわかって振り分けるから。七人だと思われてると困るってだけだから」

「……ごめんなさい」

「ちゃんとしてほしいだけだから」

「……ごめんなさい」


 はぁ、とため息の音がして。

 女子たちは私の机から離れていった。

 向こう側で会話が続いている。


「ありがとうー困ってたから助かった!」

「これで先生に言ってくれればなんとかなるね。本当にありがとう」

「いいよ。私も困ってたから」


 そこから先は授業にも身が入らなくて……。おなかの底のほうが重くて……。

 それでも、なんとか一日の授業を終えたところで、先生に声をかけられた。


「帰りに職員室に寄ってくれるか?」

「……はい」


 行きたくないけれど。でも、今日のことを相談できるかもしれない。

 私のせいでグループの人が困っているから、役割を軽くして欲しいって。

 だから、おなかの重さを我慢して、職員室へと向かった。

 先生は私を中へ入れて、自分の席へと着く。そして、立ったままの私を見上げた。


「ちゃんと学校に来ないとダメじゃないか」

「……ごめ、なさい」

「勉強もついてこれなくなるし、クラスの役割もできないだろ」

「ごめ……なさい……」

「別に先生は怒っているわけじゃないぞ。ちゃんと学校に来て、ちゃんとクラスのこともやっていかないとな」


 おなかが……痛い。頭が……ガンガンする。


「明日からもちゃんと来るんだぞ」


 そう言って、先生は私を職員室の外へと出した。

 結局、グループの人の負担を軽くする話はできないまま……。

 私は重い鞄を背負って、俯いたまま、家へと向かった。


「ちゃんと学校へ行く……」


 たったそれだけ。みんなができていること。できて当たり前のこと。

 学校に行けさえすれば、だれも困らないんだろう。


「神様……」


 神様。神様。神様。

 私はちゃんとしたいと思っています。ちゃんとできればいいって、いつもいつも思っています。

 でも――


「……できない」


 普通がわからない。ちゃんとができない。

 今日一日、人とした会話で「ごめんなさい」以外、返せなかった。


「疲れた……」


 一日中、気を張って。一日中、謝って。

 なにもしていないのに、もう動く気力がない。

 制服のままベッドに潜り込んで、そのまま目を閉じる。

 明日も明後日も、これからずっと。私は他人と関わる度に謝って生きなくてはならないのだ、と。できない自分を責め続けて生きなくてはならないのだ、と。

 黒いぐるぐるとした渦に飲み込まれていく。

 すると、遠くから声が聞こえて――


「――っニ様、レニ様っ」


 必死な声。涙混じりに呼ばれているのは――私の名前。

 すると、黒い渦の中に光があふれた。


「レニはすごいな! なんでもできるんだな!」

「……ぱぱ」


 そう言って、ぎゅうっと抱きしめてくれる。

 小さな私の視点は高くなって、ここから見る景色は特別に見えた。


「レニ、大好きよ」

「まま……」


 ふふっと笑って、優しく撫でてくれる。

 小さな私の頭に載せられた温かな手。そこから伝わる温度は心にすっと染みていった。


「レニ様っ、ここです! こちらです!! 消えないでください……!」

「レニちゃん、こっちよ。戻ってきて!」


 さっきより鮮明に、必死な声が聞こえる。今度は二つ。

 その声に答えたいと思うけれど、どうしていいかわからない。


「ええいっ! このままでは【宝玉】とともに消えてしまうぞ! 余を自由にせよ! 余に任せるのじゃ!」


 もう一つ違う声がして、トンッと胸の中心に衝撃が走った。


「ここじゃ。ここに意識を向けよ」


 澄んだ声。

 その言葉の通りに、胸の中心に意識を向ければ、そこに大きな光があって……。


「この世界が好きじゃろう?」

「うん」

「この者たちが好きじゃろう?」

「うん」

「ならば、力を発散させるんじゃない。集中させよ」

「しゅうちゅう……」

「光を集めるんじゃ」


 そう言われた、よく見れば、光がどんどん外へとあふれているのがわかった。

 これを……こう、ぎゅっと丸くする感じにして……。


「そうじゃ。その調子ぞ」


 集めた光を球にするように、最後にぎゅうっと力を込める。

 瞬間、パチッと目が覚めた。


「あ、みえた」


 最初に見えたのは、ドラゴンの女の子。黒い髪に紫色の瞳。

 そのうしろには泣き顔のサミューちゃんと、心配そうなハサノちゃんの姿があった。


「れ、れ、レニ様ぁぁあっ、良かったですぅぅうっ!」


 サミューちゃんがぐっと私を抱きしめる。

 力が強くて痛いぐらい。その強さがサミューちゃんの心を現しているようだ。


「れに、どうなってた?」


 はて? と首を傾げる。

 中学時代のあまりいい記憶ではないものを見ていたのはわかる。けれど、それにしてはみんなが必死だ。

 私の質問に、ハサノちゃんが苦しそうな瞳で答えた。


「今、レニちゃんは力を使いすぎて、【魔力暴走】で消えかけていたのよ」

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