第3話 父を元気にします

 がっかりだ。自分にがっかりである。父を助けられると意気揚々と【回復薬(神)】を取り出したのに、全部こぼしてしまった……。こんな、こんな絶望ってある? ただ、父をびしょびしょにし、母の仕事を増やしてしまっただけだなんて……。

 でも、私はめげていない。なぜなら、こんなことはゲームでは日常茶飯事だからだ。一度の失敗でくじけてはメインストーリーは前に進まない。倒せないボスがいるのなら、レベルを上げてまた挑戦すればいい。

 それにこの結果から、おもしろい考察を得ることもできたのだ。


「昨日はびっくりしたけど、今日は体調がいいみたいね」

「ああ。レニにまた水をかけられてはたまらん」


 なんと、昨日まで寝たきりだった父が、今日はベッドに体を起こし、座った状態で母と会話をしているのだ。

 こうして父が体を起こせたのはどれぐらいぶりだろう。母の目に涙が浮かんでいる気もする。

 私はそんな二人の様子を見ながら、ふむ、と考え込んだ。

 これはどういうことだろう。

 やはり【回復薬(神)】の力が効いたと思うのが正解ではないか。

 つまり、回復薬は経口で効果を発揮するが、経皮でもそこそこ効くということだと、私は考えた。

 ただ、やはり効果は少なくなるから、一瞬で全回復するはずのものでも、これぐらいの効果しかなかったのだろう。


「ちゅかえる」


 これは使える。

 父にこっそり服用させるために、寝ているときに飲まそうと思っていたが、よく考えれば、寝ているときに飲ますのは難しいと思う。

 びしょびしょにするのはなしだが、少しずつ肌に塗る感じにすれば、こっそりと父を治すことができるのでは……?

 我ながらナイスなひらめきに、思わず、くすくすと笑ってしまう。


「レニ、なにかいいことがあったの?」


 いつも美人な母。最近はすこし疲れが出てきたように見える。

 そんな母が私を見て、そっと頭を撫でた。

 大丈夫。私にお任せあれ! 父を元気にし、母の疲れを吹き飛ばしてみせましょう!


 ――と思ったんだけど。


 結果、私はあと五回ほど、父をびしょびしょにすることになった。

 一歳の筋力の無さ。これはいかんともしがたかったのだ。仕方ない。

 父と母は、水分という水分を私の手の届かない場所に置き、私から水分を遠ざけた。私が水を飲むときも、傍を離れることはなく、じっと見ていた。

 が、父は濡れる。毎回びしょびしょ。


「レニはどこから水を持ってくるんだろうな……」

「不思議よね……」


 私が父をびしょびしょにしたあと、父と母がそう言って首をひねっていたのを見たことがある。

 やはり、アイテムボックスという概念はないのだろう。父と母は私がどこから【回復薬(神)】を出しているかわからないようだった。

 うっかり母の前でステータスを開いてしまったこともあったが、母にはステータス表示は見えていないようで、私になにかを言うことはなかった。ついでに、アイテムボックスも開いたが、その表示も見えている様子はなかった。

 やはり、このステータスとアイテムボックスは、転生者である私しか持っていない概念で、まあ固有スキルみたいなものなのだろう。

 人前で使っても大丈夫という観点からみると、非常にありがたい。


「たぶん水属性の魔法使いなんだろうが、俺ばかりを濡らすのは俺が嫌いだからだろうか……」


 すっかり元気になり、朝食をテーブルで摂れるようになった父が切なそうに声を漏らす。母はそんな父を見て、あらあらと笑った。


「あなたのことが好きだから、悪戯をしているんじゃないかしら」

「……そうか?」

「そうですよ」


 母のその言葉に、自信を取り戻したのか、父がそうだな、と頷く。

 そして、椅子に座っていた私を膝の上へと抱き上げた。


「レニも大きくなったな」

「もう二しゃい」


 二歳ね、二歳。

 父に【回復薬(神)】をぶっかけ続ける間に、私は二歳になったのだ。

 にしても、相変わらずのサ行の弱さ。最初に『ちゅてーたちゅ』とか言っていた一歳から比べれば、各段の進歩をしたと思うが、二歳になったのに、まだまだ発声ができていない。サ行恐るべし。


「それじゃあ行くか」


 父はそう言うと、膝の上に乗っていた私をしっかりと抱きしめたまま、椅子から立ち上がる。そう! 父は仕事ができるまで回復したのだ。


「気を付けてくださいね」


 私を抱っこして、玄関へと移動する父の後を、母が心配そうについていく。父の体は良くなったとはいえ、そもそもの発端が魔物狩りの失敗。その傷が元で病気になったのだから、母の心配はひとしおである。

 でも、母が朝から夜遅くまで働くより、父が猟師の仕事をしたほうが、稼げるため、やはり父は猟師に復帰したのだった。


「レニ。ママを頼んだよ」

「だいじょーぶ。おまかしぇあれ」


 父が私の体を母に預けながら、私に言葉をかける。なので私はそれに力強く頷いて返した。最強の二歳児がついていますので、心配には及びません。


「まま。ぱぱはだいじょーぶよ」


 そして、私を抱きしめる母にも、安心していいよ、と話しかけた。

 実は父には、状態異常無効や常時体力回復のアクセサリーをこっそりと贈っているのだ。父自身は気づいていないが、左腕に巻いた飾り紐がその役目をしてくれている。さらに父の上着のポケットには、戦闘不能状態に陥ったときに一度だけ身代わりになってくれる木でできた人形も入れておいた。

 どちらもこっそりとしておいたので、効果についてはバレていない。父が魔物からの攻撃で、前のような状態になったり、命の危険に晒されることはほとんどないと思う。


「そうね。レニ、ママと一緒に待っていましょうね」

「あい」


 父の背中に母と一緒に手を振り、父が仕事へと出ていく。母はそっと私の頭を撫でると、床へと降ろした。そして、すぐに家事に取り掛かる。

 現在の母の生活は早朝にパン屋で働き、そこからは家事全般。畑仕事もこなし、さらに伝手で紹介してもらったという、縫製の仕事を家でしていた。

 街まで歩いていって、宿屋で働いていたころに比べれば、少しは楽かもしれないが、それにしても相変わらず、寝る間を惜しんで働いているようにみえる。

 父のほうも、朝に家を出て、夜遅くまで帰らない日々が多い。遊びに行っているからではなく、本当に朝から夜遅くまで魔物を狩り続けているのだ。


 ――貧しさがなかなか改善されない。


 父が元気になれば、あるいは……という思いもあったが、案外、この世界では生活をするのにお金がかかるのかもしれない。

 この世界については、前世で知り尽したと思っていたが、生活費や食費の観点はなかったので、新しい発見である。

 というわけで。


「まま、れに、おしょとにでる」

「畑に行くの?」

「あい」

「ママもこれが終わったらすぐに行くから、レニはいい子に待っておける?」

「あい」

「なにかあったらすぐにママを呼べるよう、扉は開けたままにするのよ」

「だいじょーぶ。おまかしぇあれ」


 忙しそうに働く母に、笑顔で頷き、そのまま玄関へ向かう。母に言われた通りに扉は開けたままにしておき、家の中にいる母が私の気配を感じられるようにしておいた。ただ、気配はわかるものの、実際に私がなにをやっているかを母から見ることはできないだろう。


「ちゃんしゅだ」


 チャンスだ。

 貧しくて忙しいわが家のために考えた計画第二弾を発動できる!


「ままも、がんばってりゅけど……」


 玄関を出たすぐのところにある、あまり大きくない畑。

 それがわが家の畑なんだけど、なんとなくどれも元気がない。狭い土地で連続して野菜を作っているから、土地が痩せてしまったのだろう。

 ここでS素材ががっぽがっぽ出て、芋と人参が大豊作になれば、わが家の貧しさも解消するはずだ。

 最強二歳児の私にお任せあれ!


 ――畑に【肥料(神)】を撒いていくよ!

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