17 幼女魔王、魔法基礎を教える②

 コーレンの宿二階にある二○三号室。

 その部屋の中からは時折、少女の荒い息づかいが聞こえてくる。


「……きゅうじゅうきゅう! ひゃくっ! ぷはぁ……」


 部屋の中では少女が一人の幼女を背中に乗せて腕立て伏せをしていた。


「ふむ、一旦終わりにするか」


 サキは床に這いつくばった少女──レイラの背中から退くと今度はベッドの上に腰を下ろした。


「……サ、サキちゃん! これって本当に魔法の練習なのかな?」


 レイラはハァハァと息を吐き、今にも死にそうな顔でサキに問いかける。


「魔法において一番大事なのは体、体が弱ければ自分の発動する魔法にすら耐えることも出来ない」


 そのときサキは封印が解かれた直後のスライムとの戦闘を思い出していた。

 彼女にとってスライムに敗北しそうになったあの戦闘は今まで生きてきた中で最も屈辱的なこと、二度と経験したくないことだった。

 こうしてレイラに腕立て伏せをさせているのも腕全体に負担のかかることが多い魔法をいざというとき発動させることが出来ずに敗北するという経験をさせないため。

 いわば、この練習はサキと同じ過ちを犯さないための彼女の気づかいだった。


「サキちゃんが言うならその通りなんだろうね……でも今だけは私に一時の休息を……」


 レイラは床に這いつくばりながらサキへと手を伸ばす。

 彼女の必死に休憩を求める姿を見て仕方ないと思ったサキは彼女に休憩を許可した。


「よし、では三十分間休憩しよう。そのあとは今と同じのを二セットだ」


 サキの休憩という言葉を聞いたか聞いていないか怪しいところでレイラは伸ばしていた手をバタッと下ろし、そのままピクリとも動かなくなった。

 どうやら今の練習がかなり体にこたえていたようだ。

 それはサキの目からでも分かったようで彼女は今言った発言を取り下げる。


「……と言いたいところだが無理そうだな。代わりに俺がやっておくか」


 サキは増強魔法『フィジカル・アップ』で一時的に自身の体を強化してからレイラを持ち上げベッドに寝かせた後、自分にかけた魔法を解除すると今度は彼女自身が空いたスペースで腕立て伏せを始める。

 彼女もまた鍛える必要性を感じていた。

 今のままでは杖なくして上級属性魔法、暗黒魔法、それに加えて古代魔法が使えない。

 それではいざという時に自分に危険が及ぶかもしれないのだ。

 サキは自分が現在弱体化しているという事実を再認識していた。


◆◆◆


 日の光が木葉の隙間から射し込むコロッコの森。

 その森の入口から数十分歩いたところにある木が一本も生えていない直径約三十メートル程の円形の広場ではサキとレイラが魔法の練習に勤しんでいた。

 現在サキがレイラに魔法を教え始めてから既に四日が経過している。


「レイラ、今から魔法を発動させるから見ていろよ? 『フィジカル・アップ』!」


 サキが魔法を発動すると彼女の体を透明な膜が覆った。

 膜の表面が光を反射してキラキラと光っており、どこか神々しささえ感じる。


「うん、魔力が腕に集まってから全身に広がっていくのが見えたよ。多分魔力を腕全体に集めてパッと放つ感じだよね」


 レイラはこの四日の間で完全に魔力の流れが見えるようになっていた。

 これも毎日の討伐依頼でサキが魔法を見せ続けたおかげであろう。


「そうだな、良く見えるようになってきたじゃないか」

「まぁこれくらいなら任せてよ!」


 レイラはどこか誇らしそうに胸を叩く。

 そんな彼女を見てサキはそろそろかと彼女の肩に手を乗せた。


「レイラ、そろそろやるか」

「やるって何を? 新しい基礎練習とか?」

「いや違う。魔法の練習だ」

「魔法の練習……ってえ!? 魔法の練習!?」


 レイラはサキから飛び出した予想外の発言にその場で尻餅をつく。


「そんなに驚くことか?」

「そりゃ驚くよ! だって今までそんなこと一度もしなかったもん!」


 レイラは尻餅から復帰した後、お尻についた土を払い落とすと少々興奮気味でサキに詰め寄る。

 その顔はどこか嬉しそうで、それでいてこれから学ぶことを全て吸収しようという熱意に溢れていた。


「とにかく驚いたのは分かったから離れてくれ。近くて話しづらい」

「おっとごめんね、サキちゃん」


 レイラは謝りつつサキから顔を離すと彼女の頭を両手でよしよしと撫で回す。


「おい、一体何をしているんだ?」

「何って謝った後のスキンシップだよ。なんかこう、サキちゃんの頭は私を惹き付ける何かがあるんだよね」


 レイラは目をつむりしみじみとサキの魅力について語り出す。

 その姿はさながら悟りを開いた仙人のような落ち着きがあった。

 しかし、この間もサキを撫でる手は止まっていない。

 そんなレイラの行動にサキは納得する──はずもなくいつものように自分の持っている杖でレイラの顎をコツンと小突いた。


「あいたっ!? どうしてなの、サキちゃん……」


 サキに顎を小突かれたレイラは顎を手で押さえてヨロヨロとよろめきながらもサキを悲しそうな目で見る。


「また始まったか……」


 レイラのその行動を見たサキは深くため息を吐く。

 というのも彼女は今レイラがしている行動と同じような行動を過去に何回も見ていた。


 『泣き落とし攻撃』


 サキが勝手に命名したその攻撃は彼女がレイラを小突いたときに必ず発動するレイラの最終必殺技である。

 具体的にはただ悲しそうな目でじっと見つめるだけなのだが、これが意外とサキの心に刺さっていた。

 何もしていない、寧ろ何かをされた立場であるのにこの攻撃を受けるとまるで何か悪いことしてしまったような感覚に陥るのだ。

 まさに最終必殺技に相応ふさわしい攻撃であろう。


「サキちゃーん……」


 レイラによる攻撃は未だ継続中である。

 いつもなら黙って耐えるしかないこの攻撃だが、このときだけは攻撃を回避する手段をサキは持っていた。


「よし、魔法の練習をしようじゃないか。レイラがずっと教えて欲しそうにしていた『ファイア・アロー』も今日は教えるぞ」


 回避する手段とは魔法の練習、そう魔法の練習は今のレイラにとって最も大事なことなのだ。

 その証拠にレイラは悲しそうな表情から一変、すぐに明るい表情へと切り替えた。


「そうだったね、ついに魔法を教えてもらえるんだよね! 楽しみだなぁ」


 レイラの急な変わりようにサキは少々驚きつつも、例の最終必殺技から逃れられたことに安堵するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る