シェーラザードと入学式

 そして、馬車に揺られること一時間弱。

 この、目の前に聳え立つ建物こそ、これから通うことになるナーヴァスリア学園だった。


『(ヨーロッパの古城みたいです!)』


 建物をお城、学生を観光客と置き換えれば、正にヨーロッパ旅行をしている気分になれる。

 あ。お城の外見が白ではなく茶色なのは、レンガ造りだかららしいですよ。


『ご主人様、楽しみですね!』


 きゃんっと甲高い声で鳴き、興奮を抑え切れない様子ではしゃぐシェーラ。

 馬車の外には馬と御者がいるけれど、馬車の中にはアレンとシェーラだけだから、けっこう自由にくつろげるのだ。

 ──話は逸れるが、この馬車は特別製である。今はブレスレットをしているから問題ないが、もしブレスレットをしていない場合でも外へと魔力を漏らさないような造りになっている。本当に耐性のない者たち──一般民衆に対する配慮である。

 それでも、ごく微量は漏れ出てしまうのだが……いくら耐性が無い者であっても、馬車が通り過ぎる一瞬触れたくらいであれば問題ないらしい。


『(今この馬車の中は、ご主人様の魔力が充満しているというわけですか)』


 魔力には色も匂いもないから、そうと感じることは出来ないが。


「シェーラ、学校が楽しみ?」

『もっちろんですよ! 魔法ですよ。ファンタジーが目の前に!』


 アレンの質問に全力で頷くシェーラ。


『(ご主人様の魔力量はけっこう多いらしいですから、いつでも魔法を撃ってもらえるはずですし)』


 他の者とは違って枯渇する心配もほぼないから、撃ち放題だ。

 まだ見ぬ魔法と学園生活にむねをおど胸を躍らせるシェーラを不意に抱きかかえたアレンは、『ん?』と不思議がる彼女を抱きしめた。


「……ずっと、一緒にいられるね」


 そう言ってふわりと微笑む。

 シェーラの背中に顔を埋うずめるようにしていたから、残念ながら彼女にその表情は見えなかった。だが、シェーラにとっては、今の主がどんな表情をしているかを当てるのは、そう難しいことではなかった。


『(きっと、ご主人様は今、とろけるような笑みを浮かべてるのだと思われます!)』


 伊達に、生まれたときから一緒に時間を過ごしているわけではないんですよ?

 しかし、だからといって、その笑顔を見飽きたと言うわけではない。

 巷では美人は三日で飽きると言われているが、それは彼女には当てはまらなかった。それが該当するのは、相手が外見だけで中身がない場合だからだ。


『その笑顔見たいですっ』


 一応願望は叫んでみたが、この体勢では到底無理なことだろう。それに、ご主人様には言葉が通じるのでもないのだから。

 一瞬手足をばたつかせようかとも思ったが、ご主人様も幸せそうなことだしここは我慢しようと潔く諦めた彼女は、ふっと脱力して──不意にぴくっと尻尾を動かした。


『花の香り?』


 彼女──獣の敏感な嗅覚が、抱きしめてくるアレンから仄かに香る、甘くて爽やかな香りを捉えた。あの部屋に居たときは、まったく気が付かなかった。…嗅覚が麻痺していたからだろうか?


『(前世では嗅いだことのない香りですけど、この世界の花の香りでしょうかね…?)』


 ならば香水だろうかと首を傾げるシェーラ。


『(だけど、ご主人様って香水付けてましたっけ……?)』


 もしかして貴族の身嗜みの一環でしょうか?と、またもや反対側に首を傾げるが、いくら考えても分からない。

 小さく唸る彼女と、そんな彼女を抱きしめたままの彼を乗せた馬車は、やがて緩やかに停止したのだった。




◆◇◆◇





「シェーラ、こっちだって。行こう」

『あ、はい!』


 ご主人様が、手元の地図を見ながら校舎の中を進みます。私は、首が痛くならない程度にご主人様を見上げつつその後に従います。

 …はぐれないようにしないとですね! まぁ、もし迷子になってしまっても、獣(しかも狼)の鋭い嗅覚があるから大丈夫でしょうけど……。

 あ、初め、ご主人様から「肩に乗る?」との打診があったのですが、丁重にお断りしておきました。だって、こんな時でもないと、身体を動かす機会がありませんからね。

 本格的な学園生活が始まる前に少しでも体力を付けておかねば!という心構えなのですよ。…い、今さらだとか言わないでくださいね?

 これでも女の子ですから、あんな生活送ってたせいで太っていないか心配なんですよ? 食っちゃ寝していましたからね。体を動かす事もあまりありませんでしたから、筋肉も無いでしょうし……。で、ですからこれから頑張るのです! ファイトなのですよ!

 さて、我々が目指すは体育館です。本当であれば、上級生が声をかけてきてくれて、体育館まで道案内をしてくれるようなんですけど──こんなに広い学園なので、私たち新入生は地図があっても道に迷うのが大半なんだそうです──私たちの周りには上級生がいらっしゃいません。

 あ、いや、最初のほう(校舎に入った直後くらい)は、けっこうな人数の先輩方が声をかけてきてくれたんですよ? それこそ男女問わず。

 でも、ご主人様は、そんな数多くの申し出を辞退したのです。

 理由は分かりませんけど。

 ──という経緯で、私たちは今、地図を片手に無謀な冒険をしていま──


「……多分、ここかな?」


 そんなご主人様の声に反応して辺りを見回すと、いつの間にか周りは新入生ばかりになっていました。

 周りの子どもたちも、ご主人様と同じく雰囲気がどことなく初々しい感じがいたしますから、彼らは新入生で間違いないと思われます。


『(………あれ? ちょっとすると、本当に自力でたどりついちゃいました?)』


 有言実行ですね。


『(しかも、ご主人様は、迷う素振りすらありませんでしたよ…?)』


 迷うのが通例だと言われる新入生だというのに案内なしで、しかも、知らない道だというのに一度も迷わずにここまで辿り着きましたよこの人。

 顔良し性格良し家柄良しって既に三拍子揃っているのに、そこに頭脳明晰もプラスされるって……どんだけハイスペックなのでしょうか、我がご主人様は。


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