シェーラザードの朝

『起きてー!』


 朝っぱらからそう叫ぶのは、私ことシェーラザードです。ご主人様がまだ寝ていらっしゃるので、起こさねばいけないのです。

 なんたって、今日は学園の入学式なのですから!


『起きろーっ』

「ん……シェーラ…?」


 夢の世界からご帰還なさったご主人様がこちらに視線を向け、私の愛称を呼ぶ。

 それにこくりと頷くと、ご主人様はおもむろに自分が掛けている毛布を捲った。


「…おいで、シェーラザード」


 ご主人様はそう言って、美しい微笑みを浮かべた。私はそれに無意識に頷きかけ、


『こんな事をしている場合か──!!』


 吠えた。


『起きてくださいご主人様! 昨日、教科書類とか鞄とか(部屋に)届いていたじゃないですか!』


 正確に言うと今日の夜中に、手紙と共に部屋の中に投げ込まれた(といっても過言ではない)ものたちを尻尾で指しながらそう叫ぶ私を、ご主人様はぼーっと見つめている。

 察するにまだ寝足りないようだけれども、いつものように心行くまで寝ていたら遅刻するので、ここは心を鬼にして起こしにかかることにした。


『起きなさいってば!』


 散々揺すっても起きる気はおこらないらしい。

 人間であれば溜め息を吐きたいところだけれど、今は狼だからそれは不可能なので、代わりに尻尾をパンッとベッドに打ちつけることで感情を表す。

 入学式はいつもと違う準備をしなければいけないから、その分時間の猶予が必要だ。

 日本と違って制服を着ていく必要性は無いけれど、それでも身仕度云々に最低一時間はかかると思う。慣れれば時間短縮できると思うけど。

 …だって、遅刻は厳禁でしょう? 言うまでもなく、入学式当日に欠席なんて以ての外だ。体調が悪いのなら仕方がないけど、そうでもない限りは行くべきだと思う。学園生活デビューを失敗したら、後が大変なのですから。


『あーもうっ!』


 何で今日はこんなに寝起きが悪いのでしょうか。

 もう知りません! 我慢の限界です!


『(寝坊してしまえば良いんです)』


 もう知ったこっちゃありません。いや、おそらく体内時計が狂ってるからなんでしょうけど。

 ……そもそも何で、ご主人様をこの部屋からほとんど出してくれないんですか、この家の人たちは! ちゃんと陽を浴び(させてくれ)ないから体内時計が狂うんですよ? こういう風に。遅刻したらお前らのせいですからね!?

 後半は心の中で日頃の不満と責任転嫁をしつつ、彼女は出された食事の元へと向かった。


『(いい加減に鶏のささみ飽きたんですが…)』


 まれに他の肉が出てきますが、いずれにせよ味が何も付いていないので、何とも言えない気分になります。

 ですが、飽きたとばかりも言っていられません。食事は日に二度しか出てこないので、これを食べなければ飢え死にするんですから!


『(……。やっぱりご主人様も食べるべきです!)』


 潔く前言撤回したシェーラは、今度こそ負けるものかと決意を固めてベッドへと方向転換した。


『ご主人様ー』


 シェーラは再びふかふかのベッドへと飛び乗ると、アレンの腕の辺りをぱしぱしと叩き始めた。

 起きろ起きろと唸る彼女に根負けしたのか、数秒後に彼はむくりと起き上がる。

 そうした直後にシェーラの方を向くと、それはもう満面の笑みで「おはよう、シェーラ」と挨拶をしたのだった。


 漸ようやく起きたアレンに大人しく頭を撫でられながら、シェーラはいつもの寝起きの良いご主人様だと安心したようにベッドに伏せた。


『ご飯ですよー』


 暫くされるがままになっていたシェーラは、アレンが満足した頃合いを見計らって、頭をもたげてそう鳴いた。


「ん? …あぁ、ご飯?」


 食べないといけないかなぁとぼそりと呟いた彼に、勿論だとシェーラは大きく頷いたのだった。




◆◇◆◇




『御馳走様でした』


 手を合わせることは出来ないので、代わりにぺこりと頭を下げておく。

 そーっとテーブル越しに座っているご主人様を見るとまだ食べている最中だったので、先に教材とかを物色することにした。学園から郵送されてきたらしい詳細事が書かれた冊子を、肉球で苦労してペラリと捲る。

 一ページ目は入学式の概要と持ち物が記されていた。


─────────────────

●入学式の流れ

1 新入生入場

2 開会宣言

3 学園長による祝福の言葉

4 生徒会長による祝福の言葉

5 在校生による校歌斉唱

6 閉会宣言

7 新入生退場


●入学式当日の主な流れ

 入学式(上記)

 各教室に移動(クラス発表は体育館脇に掲示)

 各教室にてホームルーム(学校生活における諸注意、イベントについて等)

 各々解散・帰宅


─────────────────


『(明日は午前中にオリエンテーションで、午後から授業。そして二日間の休みを挟んで翌週からは普通登校──)』


 文字は以前、ご主人様から教えて貰っていたので読めます。

 ある日ベッドで本を捲っていたご主人様の元に行ったら、相当暇だったようで色々と教えてくれたのです。普通文字の書き方や読み方に始まり、挙げ句の果てには古代魔法文字と呼ばれるものまで。…何で、ご主人様はそんなものまで修得しているのでしょうか。学校に行く意味ってありますかね…?

 そういえば、話し言葉もどうやって学んでいるのでしょうか? 私は人間の言葉を理解できてはいますけれども喋れませんから、私が教えているわけではないです。

 子供は大人を真似して育つと言いますけど、ご主人様は幼い頃からあまり大人の方と接触してはいないので、それは不可能ですし。


『(うーん…?)』


 謎は深まるばかりです。

 それはそうと、ご主人様の方をちらりと見ると、既に食べ終わって食器をさげているところでした。

 本日の予定を頭の中にインプットした私は、じーっとご主人様の動向を凝視することにしました。これは、ただ単にすることがなくなって暇だったからで、特に深い意味はありません。


「シェーラ、これどうやって付けるか分かる?」

『はいー?』


 ご主人様が私に見やすいようにと持ち上げたのは、学校道具一式の中に含まれていたブレスレット。

 説明文によると、魔力の拡散を抑える効果があるのだとか。つまり、これを付けることによって、ご主人様も、そこそこ普通の学校生活を送れるようになるようです。


『どうやって付けるって……こう、腕に通すんですよ』


 受け取ったブレスレットをくわえたシェーラが、アレンの手首へと通すように行動で示す。

 アレンはそれで分かってくれたようで「ありがとう」と謝礼を述べ、シェーラが想像した通りにしてくれた。


『(ご主人様の髪色と意外と似合いますね)』


 そんなアレンの姿を見て満足したらしいシェーラは一つ頷くと、先ほど一読したブレスレットの説明文を頭の中で繰り返した。時折分からないところは自分が分かりやすい例を挙げたりして、どうにかその説明文を消化する。

 このブレスレットは、普通の学校生活が送れるようにと、今年のご主人様の誕生日に送られてきた(部屋の中に入れられた)もの。

 ──ただ、完全に魔力が洩れるのを抑えることはできないらしく、長時間連続でご主人様の側にいると魔力に中あてられてしまうらしいのですが。長時間とは、具体的にいえば最高でも八時間、だそうです。学校生活を送るのにもギリギリなタイムリミットですね。

 ですが、ぶっちゃけ、この数字はアテにならないでしょう。

 ……これは、ご主人様の魔力量に換算し、なおかつ一族(本家のみ)の者たちの平均を対象としたした数字です。

 ──ここで対象となった本家の方々は皆、普通平均以上の魔力量を有しています。つまり…桁外れ集団の本家の者たちでも八時間耐久が限界だというのに、学園に通う普通の貴族のご子息たちが八時間も保つわけがないんですよ!

 まぁ、ご主人様にずっと触れていなければ、そこまで酷くはならないらしいですが。

 えーっと、具体的に説明しますと、身も蓋もない言い方ですが──同じ教室内で普通に授業を受けるのは全く問題なし。けれども、一定時間ご主人様に触れるのは問題あり(一定時間とは、一日換算で一時間以上。耐性が高い=自身の魔力量が多ければ「多分」問題ないとの見立て)。一緒に寝るのなんて自殺行為、と。

 これも絶対的な基準ではなく、それぞれの人の耐性やその日の調子によってだいぶ異なる、とのことだが──


『(──ご主人様を、まるで腫れ物のように扱うだなんて……っ)』


 許すまじ、と苛々を募らせるシェーラに、アレンからの声がかかった。


『何か用ですか?』


 彼を見上げた銀狼は、全身全霊で不快感を露わにさせていた。

 ぶわりと尻尾は膨らみ、臨戦態勢である。


「シェーラ、これについて怒っているの?」


 これ、と言ったアレンが左腕を振る。そこにはさっき通したばかりのブレスレットがあった。

 当然だと大きく頷き尚も唸るシェーラに、アレンは微苦笑を向けた。


「こんなの気にしなくて良いよ。……シェーラは本当に優しいね」


 ありがとう、と微笑むアレンを見たシェーラは、渋々ながらも了承の意を示した。ご主人の意見を尊重したためだ。


「──お迎えに上がりました、アレン様」


 その雰囲気をぶち壊すかのように、知らぬ他者の声が聞こえてきた。

 シェーラは一瞬だけピクリと耳を動かすと、首だけを動かして時計を見た。

 ──七時半。約束の時間だ。


「……あぁ、時間だっけ?」


 とは言うものの全く急ぐ気配がないアレン。

 もう身仕度は済ませているんだから早く行こう、無駄に待たせるわけにはいかないと急かすシェーラとは対照的だ。自分の言っていることが(何となく)分かっているくせに、全く焦る素振りすらない。

 外では再度名を呼ばれているというのに……


『っ……いいから早く出てくださいご主人様ぁあ!!』


 そんなご主人様に、銀狼はありったけの声で吠えたのだった。

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