第10話 かけちがい

 シャツのボタンをかけ違えた。

 それは最近、しょっちゅうあることなのに、私はいつもそれを忘れてしまっていて同じ失敗をする。今度はゆっくりとしたから順番にボタンをかけてゆき、-これで大丈夫よね?と鏡越しに自分を映し、確認した後に、家を出た。

 

 彼に会うときはいつも、どこか自分ではない自分がいる。なんというか、つまりヨソユキの私がいる。笑うときはくちもとに手を添えて声を小さくして笑うことや、ミルクを入れたコーヒーが好きなのにブラックで飲んでいる私がいることが苦痛ではないけれど、自分の部屋に帰ると何かから解き放たれた解放感があることも確かなこと。


 駅前で待ち合わせをし、約束の時間ぴったりに合わせて私は行くのに対し、彼は決まってもうそこに居た。それはいつものことだし、私は待ち合わせの時間に遅れたわけではないのでそれを悪いと思ったことは一度もない。


「こんばんは。今夜は冷えるわね」

「今日の君のコート似合っているね。素敵だよ」

 そういう恥ずかしいことを恥ずかし気もなく言う彼の対応も私は学んだ。


「そう?ありがとう。あなたに言ってもらえると嬉しいわ」

  下手に自分を卑下したりするよりも、褒めてもらったことを純粋に嬉しいと言葉にする。そうすると彼が微笑む。だから私も似たように微笑む。オーバーにリアクションはこの付き合いにはご法度だ。


 他愛もない話をしながら夜の街を歩いていると不意に彼が切り出した。


「今日、僕の誕生日なんだよね」

「え?そうなの?」


「そうだよね。言ったことなかったし」

 -それに訊かれたこともなかったし。そう言ったときの彼のどこか淋し気な笑顔を見て、私は初めて申し訳ない気分になった。


「これから、プレゼント買いに行かない?」

「そういうつもりで言ったわけじゃないよ」

「でも、何かしたいわ」

「そういうことではないんだ」


「ごめんね。来年はきちんと憶えているからね」


 一緒に並んで歩いても、ヨソユキの私がお店の窓に映っていた。前が空いたコートからは本当は来たくないけど、彼が好きだと言うシャツに身を包んでいる私。彼の腕にそっと手をまわすその仕草も、すべて自分ではない自分に見えた。

 

 今日、彼の誕生日だった。私はそのことを知らなかったし、これまで訊きもしなかった。誕生日を知らない人は沢山いるけれど、彼に対してそこまで興味がなかったと言えばそれはそれまでのことなのだろうけれど、この感情のかけ違いはどうすれば上手にはめることが出来るのだろうか。シャツのボタンをかけ違えるよりも、もっと難しいものだとは考えている。かじかむ指さきを温めながら、彼に気付かれぬよう、短いためいきを吐いたときにできた白い息の不確かな行く先がこれらの全てを物語っているかのように感じた。

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