第9話 深夜の公衆電話

 深夜の公衆電話は、ひっそりと佇んでいた。ここはよく、片思いだった人と待ち合わせをした場所で、今でもこの場所を通ると胸が心なしか熱くなるのを感じる。

 今も相変わらず、あのときのまま彼は生きているのだろうか。私は世界でいちばんに愛し合っている人ともうじき結婚する。


 彼との出会いは10年前にさかのぼる。自分のことを「私」ではなく、「あたし」と呼んでいた頃。彼は-今すぐ逢わなきゃ嫌だ。という無謀なあたしのわがままを聞いてくれた。あたしたちは毎日会い、まるで付き合っているかのような錯覚に陥ったけれど、だけど、ずっとあたしの片思いで、その片思いはその後、数年のあいだ続く。よく彼は星がきれいに見える場所へ連れて行ってくれて、そこで何時間も語り合った。あの頃のあたしを夢中にさせていたものは、可愛い雑貨でも、同年代の人が追いかけていたアイドルのグループでもなく、ただ、彼だった。

 彼と会えるのが楽しみで、彼と会えることが嬉しくて、10歳年上の人だったので、あたしなりに精一杯努力はした。服装も子供じみたものではなく、シンプルに揃え、メイクもきちんとしていたし、自分に合う香水までふりかけていた。


 今考えれば、「あたし」はかなり的外れな女の子だったと思う。彼の好きな洋楽のアーティストのどこが良いのか解らないのにも関わらずに、-タンバリンの音が素敵だね。と言ってみたり。彼と会っていた4年の年月の中には様々な出来事があった。真夏の花火大会で初めて手をつないだときの胸の高まり、線香花火をふたりでやった夏の終わり、オリオン座を見つけてはしゃいだ真冬の夜空も、桜を見に行って休憩した春の木漏れ日の下も。

 結局のところ、何度告白をしても、いい返事も貰えなくて、ずっとあたしの一方通行の片思いだったけれど彼を好きになって良かった。と今こうして思えるのは、彼と過ごした日々が全てを物語っている。


 こうして、深夜の公衆電話に、ひとりで来たのは、私の区切りであり、彼に対するお別れでもあった。彼も今もあの頃と変わらない部分を持ち合わせて生きているだろうし、私も私であの頃と変わらず生きている部分があるから、それだけで十分なのだ、きっと。

 私は深夜の公衆電話をあとに闇にまぎれないように、自分の歩くべき道をしっかりと歩いた。

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