第8話 波打ち際の君と僕
夏の海は人を開放的にさせるが、冬の海はどうやら人を孤独にさせる場所らしい。
今、僕は後悔していた。彼女の美耶が海に行きたいと言うので、車で1時間以上かかって来たのはいいけれど、予想以上の寒さに参っていた。やはり、真冬の海には来るものではないのだ。砂浜はゴミだらけで、波の音は怖いくらいに大きいし、何よりも今日は天気の良い昼下がりだというのに、砂浜には僕等の姿しかない。
しかしながら、そう感じているのは僕だけであって、むしろ彼女には好都合なようだ。波打ち際でくるくると回りながら楽しそうに歌っている声がテトラポットに座っている僕のところまで聞こえてくる。しかも夏でもないのに、夏の曲ばかりを選曲して。
真冬の海に来たいという、美耶は変わっていると思う。
このことだけではない。例えば、夜中に突然電話が鳴ったので何事かと思えば、-手打ちうどんが食べたくなって、自分で作ってみたの。圭くんも食べにおいでよ。意外と美味しいわよ。とか(あのうどん、想像以上に美味しかったので、僕はおかわりをしてしまったけれど)
それから、近所のコンビニで偶然会ったときも、僕は車で、彼女は自転車で来ていたにも関わらず、-私の家までどちらが早く着くか競争しない?なんてふざけた勝負を挑んできたりとか(美耶は細い路地に入っていき、結局、先に着いていて勝ち誇った顔をしながら笑っていたけれど)
だけど、彼女がやること、言うことは何でもそれが当たり前のように、すんなりと納得させられるような不思議な力を持っている。それは僕だけではなく、周りの友人なんかにも「美耶はそんな子だからね」その一言で済まされてしまう、得した性格の持ち主なのだ。
「圭くんもこっちにおいでよ」
波の音に負けないくらいに、大きな声で僕を呼ぶけれど、それには応じずに首を横に振り、僕はデニムパンツのポケットからたばこを取り出した。風でなかなか火がつかず、やっとついた小さな火種を思いっきり吸うと、たばこまで海の味がするような気がして、困り果てて首を左に傾けた。
思えば、彼女は高校生の頃から変わっていた。お昼休みに中庭の芝生の上で寝転がっていたり、首からペットボトルホルダーでペットボトルをぶら下げているのをよく見かけた。見かけたというより、僕は彼女を姿を捜しては見ていた。少しクセのある猫毛の髪の毛をふわふわと揺らしながらいつも笑っている彼女が可愛いとひそかに思っていた。
お互いが名前を知るずっと前から。
「ねぇ!貝殻がいっぱいあったよ」
「ホントだ、結構拾ってきたね」
ちいさな手のひらの中には、いくつもの小さくて色々な形や色をした貝殻を僕に見せながら嬉しそうに笑った。
「圭くんもあっちに行こうよ」
波打ち際を指差して彼女は言うけれど、それにも応じず
「いいよ。寒いから僕はここいいる」
そう言うと、いつでも笑っている様な瞳(そう言うと彼女は怒るけれど)で僕を睨むと、スニーカーのつま先で僕に向かって砂を蹴り上げた。その砂が僕のお気に入りのスニーカーにかかる。
「いい加減、こういうことやめようよ」
-ああ、もう、まったく。そう言いながら、しゃがんでスニーカーにかかった砂をはらっていると、彼女の足先が向きを変え、再び波打ち際へと無言のまま歩き出した。
僕の吐き出したたばこの煙が彼女の後を追うようにして消える。まるで追いかけろとでも言っているみたいに。それに、美耶もさっきから何度も後ろを振り返りながら歩いている。振り返るたびに、面白くないのでわざと違う方向を見た。それでも、何度も何度も振り返る。ふわふわと風で髪の毛をなびかせながら。
つまり、そういうことなのだ。
僕は立ち上がったのを見た美耶が笑ったのを見逃さなかった。まるでこうなることを予想していたかのように。波打ち際へと歩きだすと、彼女は走り出した。
美耶は何を期待しているんだ?僕等はもう高校生ではないし、それに付き合いたての恋人でもない。わざと僕はゆっくり歩く。すぐに追いついたらなんだか負けな気がして。僕も僕で何を期待して歩いているのだろう。お気にいりのスニーカーを砂まみれにしてまで。こんなシーン、今どきのドラマにも、映画にも、アニメにだって出てこない。だけど、僕は今こうして追いかけているのは現実であり、事実だ。
こうして、彼女を後ろ姿を見ていると今でも鮮明に思い出す。
僕等がまだ高校生だった頃のことを。休み時間や移動時間にこっそりとふわふわの髪の毛を目印に捜していたこと。友だちに呼ばれて初めて名前を知った時のこと。美耶と同じテニス部だった田中に頼みに頼んで、数人のグループで花火大会に
行ったとき、初めて彼女のくちから名前を呼ばれた時なんかは今までに味わったことのないくらいとても嬉しく感じたんだ。
そんなことを思い出しているうちに、もう一度、美耶をこの手で掴まえたい衝動に駆られて、砂を思いっきり強く蹴り上げた。スニーカーに砂がかかっても構わない。そんなことは後から洗えばいいだけの話だ。僕が強く砂を蹴り上げる度に、彼女との距離がどんどん縮まる。ほら、やっぱり笑っている。いくら彼女が全力で走ったって、僕の足の速さには勝てないことくらいお互い解りきっている。だけど、このまま、追いついたら、どうしようか。何て言葉を言おうか、どうしてもしっくりくる言葉も場面も想像つかずに、僕の頭が焦り始めた頃、とうとう彼女と10メートルほどの距離になってしまった。すると、彼女は急に立ち止まり、振り返って僕の方向を向くと、満面の笑みで両腕をいっぱいに広げた。両手にあった貝殻が一瞬で砂浜に落ちる。どうして美耶が両手を広げたのか、一瞬解らなかったけれど、それはすぐに解った。やはり、僕は美耶には勝てないらしい。
彼女の髪の毛は海の香りがした。
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