第7話 ソルティードッグ

 金曜日のダイニングバーは混んでいた。

 改めて、店内を見渡すと、自分と同世代くらのひと、仕事帰りのひと、男女の二人組が何組か。普段は関わることのないであろう、様々な年代のひと、職種のひとが、ひとつの空間で同じ空気を吸い、同じ雰囲気のなかで楽しんでいるということがこの場所の独特で面白いところ。

 交じり合う笑い声、漂う煙草の煙の行方、活気のある店員さんの掛け声をつまみに、私は4杯目にモスコミュールを、一緒に来た友人のミナカはテキーラサンライズを飲みながら、今度の休日に行くテーマパークの計画を立てていた。きっと、この店内で最も熱いのは、あの角のテーブルで合コンをやっているグループでも、カウンターで仕事の愚痴をこぼしあっているOLでもなく、きっと私達だと思う。

 何故ならば、テーマパークの話題だけでこんなにも熱くなれるのだから。それくらい私達はそのテーマパークが大好き。


 そして、この店内には、私を熱くさせることがもうひとつある。


 ミナカにバレないように、私は先ほどから彼を見ていた。ミナカが煙草に火を点けるちょっとした隙間の瞬間、スマートフォンの画面を見ている時なんかに。こっそり見ていたんだ。

 彼は、子どもみたいに笑うひと。

 名前はコンドウ君。下の名前は知らない。私達と同じ21歳で、普段は大学生で、週末になるとここでバイトをしているらしい。この情報は、私が聞いたものではなくて、ミナカが全て訊いたもの。ミナカは誰とでもすぐ仲良くなれちゃうし、人見知りもしない。私は正反対で、意識してしまえばしまう程に、頭のなかを無数の単語が駆け巡り、結局何も話せなくなってしまうんだ。気になるひとなら、なおさらのこと。

 コンドウ君は身長が175センチメートルくらいで、程よくスリム。目は大きな二重で、ラクダみたいな瞳をしている。あえて言うのならキリンでもいいけれど。ともかく動物の様な瞳をしている。髪の毛はさらさらとしていて、紅茶のような明るめの茶色に染めている、そして、ほんの少し、男性にしては声のキーが高め。その声がきこえる度に、私は恋焦がれているのが自分でも感じてしまうくらいに、ドキドキし、胸がキュッと引き締まる。ミナカの話を聞き逃してしまうほどに。

 先ほども言った通り、子どもがふざけて笑うような顔で、顔をくしゃくしゃにして笑う、その笑顔がたまらなく好き。


 だけど、コンドウ君には多分彼女がいる。先日、街中で女性と手をつないで歩いているところを見かけた。同じように紅茶のような明るく染めた髪の毛、つけまつげをつけて、今風のメイクにファッション。程よく細見で、とてもキレイな子で、コンドウ君と歩いているとお似合いで、とてもじゃないけれど自分と比べられるほどの女性ではなかった。


「ねぇ?エリ?酔った?」

 ミナカが何度か話しかけていたのに、全く気付かずにいたようだ。

「ううん、大丈夫だよ」

「ここのホテルの方が安いから、こっちにしよっか?」


 スマートフォンの画面を指差したミナカの指先はきちんと爪が整えてあって、とてもきれいだ。

「うん、いいね」

「じゃあ、ここにしよっか」


 そう言いながら、スクリーンショットを撮る。やはり、ミナカはすごいと感じる。的確に物事を決められるし、どんなときも自分の意見をきちんと述べることができる。私が初めて、コンドウ君を「あの店員さんいいね」と言っただけで、名前を訊いてくれた。私ならいくら酔ったとしても決して訊くことは出来ないだろう。

 初めて、このダイニングバーに来たときから、コンドウ君の印象は良かった。店内への扉を開けると、そこにコンドウ君が居て、接客するときの笑顔だとは知っているけれど、一瞬で見惚れた。もしかしたら、あの瞬間に恋したのかもしれないけれど、実際に自分のその感情に気付いたのはもう少し後の話。

 そして、好きなテキーラ系のカクテルが豊富だから、とか、内装がきれいだから。とか、色々と理由をつけてミナカと飲みに来るようになった。多分、彼女のことだから、本当の理由を勘付いているかもしれないけれど、そのことを話題にしたり、冷やかしたりしないところがミナカのいいところ。

 コンドウ君のことが好きだと自覚したのは、今から4か月くらい前のことで、仕事のミスが続き、落ち込んでいたとき、ふいにあの笑顔を見たいと思った。その日から私はこの気持ちを温め続けている。


「あたし、最後にカルアミルク飲みたいから頼んでもらってもいいかな。ちょっとお手洗いに行ってくる」

 ミナカがそう言うとふらつきながら立ち上がった。

「うん、いいよ」

 店員さんを呼び出すボタンを押すと、コンドウ君が来たので、可笑しいくらいに鼓動が速くなってしまう。お店の中とは言え、ふたりきりになるのはこれが初めてで、顔が熱くなってきたのは、決して酔っているだけではない。

「お待たせいたしました。ご注文は?」

 -カルアミルクとテキーラトニック。そう言おうと思っていたのに、実際に出てきた言葉は違っていた。

「あの、私。コンドウ君のことが好きです」

 壊れ物を扱うように、ゆっくり一文字ずつ丁寧に言った。それに対し、驚いた表情で見つめられたが、それ以上に驚いているのは自分自身だった。なぜ、このタイミングでこのことを言ったのか解らない。ふたりの間に沈黙が続く。時間がどこかで止まってしまったかのように、笑い声や話し声がどんどん遠ざかってゆき、私とコンドウ君だけの空間がそこに出来た。しかしながら、鼓動の音が高まる。一体、彼はどこまで熱くさせる力を持っているのだろうか。

 

「ありがとうございます、でも僕、彼女いるのですみません」

「いえ、ただ私が勝手に伝えたかったので」


 -カルアミルクとソルティードッグをお願いします。そう注文したあと、彼はその通りに繰り返し、去り際に

「ありがとうございます」

 もう一度、そう言って、まるで子どもが笑う時にするような笑顔をしてみせてくれた。私はそれだけで満足だった。

 自分のしたことに現実味がないまま、時間は再び、動き出し、再びノイズと煙草の煙に埋もれた。陽気に戻ってきたミナカに対し、-カルアミルク頼んだよ。とだけ伝えた。先ほどのことについてはまだ言わない。言ってしまったら、現実となり、感情が粉々に砕けてしまいそうだったから。そうしているうちに、テーブルに運ばれてきたソルティードッグは、グラスのふちに塩がキレイにふちどられていて、グラスを揺らすと、塩が照明に反射して、キラキラと輝く宝石の粒のように感じた。


「あれ?珍しいね。ソルティードッグにしたんだ」

「うん、たまにはいいかなって思って」


 ミナカがくるくるとグラスをまわすときに奏でる、カチャカチャと氷がグラスにぶつかる音のリズムを聞きながら、そっと舌先で塩を舐めると、それは思った通り、涙の味がした。

 

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