第5話 空を掴む

 -先月受けた模試の結果が、あまり良くなかった。

  

 だからと言って、私はそのことについてそれ程あまり深くは考えはいなくって、気にしているのは、この薄っぺらい紙をママに見せただけで、眉間にしわを寄せながら怒るんだろうな。とハズレのない予想のことだ。

 きっと、こんなことを言うに決まっている。


 「1か月間、何をやってきたのよ。だからあれだけ勉強しなさいって言ったでしょ?この成績ではどこの大学にも入れないわよ」

 このようなことを一気に喋りたくる。そして、最後には必ず

 「紗希はパパに似てのんきで困るわ」

 そうため息混じりで言うお決まりの台詞で締めくくられる。

 私はパパに似ててよかったと思う。こういう時は特に。眉間にしわを寄せながら怒るママの姿は怖い以上の何よりもない。だけど、ママが怒るのは私の為だってこともほんの少しうっとおしくも思いながらも知っている。だけど、私がここまで気にしていないのは、のんきだから。というわけでもなく、ただ単にママの言う大学ではなく、美容師の専門学校を受験したい。そのことをまだ言えずにいるのが模試の結果とか、怒られるとか以前の大問題なのだ。

 

 今日こそ言わなければいけない。わかっている。わかっているんだけど、その為にはママの話す速度よりも速く話さなければいけないし、ママの声よりも大きな声を出さないと負けてしまうことは目に見えている。だけど、私の声はママの声になんて到底勝てそうにないくらいに小さい。

 中学生の頃から愛用している、傷だらけの自転車には乗らずに、押してゆっくりゆっくりと歩く。普段の歩く速度よりもかなり遅く。カラカラとタイヤのまわる音が鳴り響く中、私は心構えをする。だって、あのママに反抗するのだから、それなりの度胸と覚悟が必要だ。

 グラウンドに目を向けると、様々な部活が、そう大きくないスペースで練習していた。とても活気のある声が、私の心を刺激する。最近、サッカー部が県大会に出場していているから、グラウンドのまんなかで練習していて、そうしたら今度は野球部が満足な練習が出来ないと苦情が出たらしい噂を聞いた。

 そんな問題とは関わることもなく、グラウンドの片隅で陸上競技の高跳びをやっている彼がいる。それが誰なのか、この学校に通っているひとならすぐに解る。

 私と同じクラスの斎藤くんは、高跳びで何度も全国大会に出場しているから、ちょっとした有名人で、それに性格も明るくて、顔立ちも整っているから、女子たちの間で結構人気があるんだ。

 斎藤くんとは1年生のときも、2年生の今も同じクラスだけど、「おはよー」とか、「バイバイ」とかたまに彼から「英語のノート見せて」って言われるくらいのクラスメイト的な仲でスマートフォンで連絡先を交換する程の仲ではない。


 彼は最近、スランプ気味らしく、今日も跳ぶたびに、カラン。とバーが地面に落ちる音がする。それでも、何度も繰り返し走り、跳び続けるんだ。

 私は自転車を停め、リュックの中を見るふりをしがら、横目で彼を見る。

 -ねぇねぇ。上手に跳べないのは、手のひらがパーになっているせいじゃない?

 気のせいかもしれないけれど、彼が成功するときは、いつもジャンプして、空に体を向けた瞬間、手のひらをグーの形にするんだ。

 まるで、空を掴むみたいに。


 止まっていた足を再び動かし、カラカラ、カラカラとまわるタイヤの音を聞きながら、歩いていると、後ろから名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返ると、斎藤くんが走って向かってきていたので、どうしていいのかわからずに、立ち止まる。

「みかちゃん、どうしたの?元気ない感じがするけど」

「あー…。」

 どう説明すればいいのか、一瞬迷ったけれど、斎藤くんのポジティブな意見が聞きたくなって言葉にしたんだ。

「美容師になる為に専門学校に行きたいんだけど、親にまだ言えてなくってさ」

「そっかあ、本気でやりたいと思うなら、オレなら親に相談するかな」

「そうだよねぇ」

「大丈夫だよ、みかちゃんなら、きっと言えるよ」

 心地よい風が頬をかすめ、斎藤くんの大丈夫。という言葉に背中を押され、今日は言える。そんな気がしたんだ。

「ありがとう。頑張ってみるね!」

 遠くで、陸上部の顧問の遠藤先生が呼んでいる声がきこえた。


「あ、やばい、先生が呼んでいるや、じゃあ、また明日!」

「あ、ちょっと待って」

「うん?」


「えっと、跳ぶときに、手のひらをグーにしてみたらいいかもしれないよ」

「え?どうして?」

「いつも成功するとき、斎藤くんは手のひらがグーなんだ。空を掴んでいるみたいに」


「んー空を掴むかぁ。」

 斎藤くんがひとりごとみたいな呟きを発したとき、自分の発言が急に偉そうに思えて、いつも見ていることを自分でばらしたことも重なって。恥ずかしくなってうつむいた。


「みかちゃん、ちょっと待ってて。やってみてくる」


 グラウンドの隅まで駆けていき、そうして、いつものスタート地点から、助走して、右足で力強く地面を蹴り上げて、体が空に向けた瞬間、手のひらがグーになって、カラン。という音が響かなくて、それは上手に跳べたことを意味していた。私はくちを手で押さえ、ーすごい。そう思わずくちに出した。斎藤くんが起き上がって、手のひらをグーにして首をかしげたので、私も手のひらをグーにして3回頷いてみせた。


 -よし、私も頑張ろう。


 そう思って、力強く、歩き始めた途端に、また名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返ると、またもや斎藤くんが私に向かって走ってきていた。どうしたんだろうと、待っていると、私の前で立ち止まり、息切れのするなか彼はこう言った。

 

「ずっと前からみかちゃんのこと、好きなんだ」

 今度は斎藤くんがうつむく番だ。

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