第8話 宿神の御先

朝が来て目が覚める。

いつもと変わりない天井が目に入る。


「あれ……ここは……」

「目が覚めたか?」


横に顔を向けると、窓際にはミサキの姿があった。

昨日までと同じ袴姿だ。

その表情も、いつもと変わらない。


「覚えているか?」

「え?」

「私の名前はお前がつけてくれたのだ」

「俺が?」


何も覚えていない。

しかし、俺に話をさせないと言うようにミサキは喋り続ける。


「ミサキというのは、”御先”という字から来ているのだ」


結露した窓に、少女は字を書く。

その手は細く美しい。


「御先とは、神霊の出現前に現れる霊的存在のことだ。正確には私とは違うのだがな」

「そうなのか?」

「神好きの父親に毒されたのか、そんな言葉ばかりお前は言っていたからな」


ミサキは、少しだけ笑みを浮かべている。

ふとその手に本が握られていることに気付く。


「あれ? その本は?」

「これは、お前の親父が書いた”ひとりの旅路”だ」

「どうして君が?」


その瞬間、母さんの声が1階から聞こえる。


「早く降りてきなさ~い」

「あっ、はぁ~い!」


俺は勢いよく返事をして、慌てて起き上がる。

いつもなら着替えてから降りるのだが、今日は休みなのだから大丈夫……

ん? んん? あれ?

あれから1日経ってるなら、今日は火曜日のはず……


「大丈夫だ。母君が連絡してくれていたぞ」


ミサキは、サラッとそう言うと先に1階に降りていく。

俺も慌てて後をついて行く。

袴姿のミサキは、階段を下りるのも一苦労だ。

1階に降りると、母さんが食事を用意してくれていた。


「美味そう~」

「和食というのは、素晴らしいものだな」

「というか、何当たり前のようにミサキの朝ごはんまで並んでるんだ?」

「それは、私が守り神だからだ」


母さんが何も言わないということは、もう受け入れているのだろう。

昔から俺たちのことを見守っていてくれた神様……

子供の頃の俺が、神様好きの親父に影響されて、想像で描いた神様。

それが、実際に目の前にいる。

何だか不思議な気分だ。


「お兄ちゃん……近すぎだから」


不意に階段の方から声が聞こえた。

この声は間違いない、俺の妹だ。


「ほぉ~大きくなったなぁ。奴の子とは思えぬ可愛さだ」

「何か馴れ馴れしいんだけど……」


そういえば、妹はミサキと会うのは初めてだった。

ミサキ自身も、成長した姿に驚いているようだった。

これから、今の家族とも馴染んでいくのだろうか?


「ところで、そろそろ恩返しをしなければならないな」

「え?」


急にトーンが低く真面目な表情を浮かべる。

今までの和やかな雰囲気が、最初から無かったかのように感じる。


「お前の親父のことだが、そろそろ見つかると思うぞ」

「え?」

「奴の思いが籠ったこの本を使って、何処にいるのかを探してみた」

「何、そのオカルト」

「失敬な。私は神だ。力の戻った私には、これくらい朝飯前だ」


胸に手を当てて、これでもかという程に誇る。

神様の威厳など微塵も感じないほど幼く感じる。

本当かどうか疑わしく思ったが、その結果は意外にもすぐに分かることになった。

そう…あの後、親父が見つかったという知らせが耳に届いたのだった。


***


「いやぁ~、参った参った~」


いつもと変わらない親父の姿がそこにあった。

懐かしくて涙が溢れる。

親父の姿を一目見た時から、母さんはずっと号泣していた。


「心配かけてすまんな」

「本当だよ……何してたんだよ」

「悪いなぁ~ 太田山神社に行こうと思ったんだが、転げ落ちて大怪我してしまってなぁ~」

「太田山神社?」

「最も参拝するのが険しいとされる神社さ。神様の試練と言われてるらしくてなぁ。その試練を乗り越えれば、何か得られるんじゃないかってなぁ、ハッハッハッ」


親父は人事のように笑いとばす。

いつもの親父過ぎて、何も言えなくなる。


「全く、相変わらずだな」

「幸哉、よくやった!流石、俺の息子だ!そしてミサキ、良かったなぁ」

「何か照れる……」

「あぁ、ありがとう。感謝する」


俺は久しぶりに親父に会うことができた。

話したいことは山ほどある。

でも、話す時間はいくらでもある。


「そういえば、俺の古書店はどうした?」

「実は、あれから整理して奇麗になったよ」

「おぉ、それはありがたいなぁ。明日から、また開くぞぉ~」

「俺も手伝いに行くよ!」

「おぉ、そりゃあ心強い! ん? その本は?」


親父は机の上に置いてあった本を手に取る。

その本は、"精霊の国"だ。

あの大男が持って来た本……


「ほぉ、ということはアイツ上手くいったんだな」

「上手くいったって?」

「あいつあんなガタイいのに奥手でよぉ。初めて女性にアタックするっていうからさぁ」

「へぇ……」

「ファンタジー好きな女性って言うから、これ使えって渡したのよ」

「なるほど」

「それでそん時、アイツよぉ……」


***


「久しぶりの家族の会話は盛り上がっているな」


家族水入らずを邪魔するほど邪推ではない。


「私は、もともとこの町の守り神だった。だが、徐々に廃れていき信仰されなくなった」


今では、見知らぬ建物や人々が行き交う大きな町だ。


「最後の最後まで信仰してくれていたのは、お前たちだけだった」


家から漏れ出る空気は、周囲に暖かさをまき散らす。


「隆、幸哉……ありがとう」

「おーい!お前も来いよ!」


これからも、私はお前達を守り続ける。

だから、私の事も守ってくれ。


「わかった。今行く」


今日は晴れ渡り、春の訪れを感じさせる暖かさだ。


『私の思いを乗せた風は、今なら伝わる』


春の風は、やさしく吹き抜けて行った。

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宿神の向くままに 城屋結城 @yuki-jyoya

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