第9話

 ✿―✿―✿


「カランカラン」と、幽霊喫茶探偵事務所のドアベルが鳴る。アリサは扉を開けてお店に入ると、カウンター席に座っている美琴が椅子から立ち上がった。



「あの、祐希は!? 俺、深海さんから連絡あって慌てて来たんですけど!」



 アリサが帰って来るとキョロキョロとお店の中を見回す美琴。しかし、美琴の目からは祐希の姿を捉えることは出来なかった。

 アリサは微笑みながら美琴を落ち着かせる。



「大丈夫です。ちゃんとここにいますよ。さぁ、お座り下さい」



 アリサにそう言われて美琴はカウンター椅子に渋々座り直す。アリサはカウンターの奥に入ると腰にエプロンを巻き付け冷蔵庫から牛乳を取り出し機械で泡立てる。すると、泡はきめ細かくなりメレンゲのようにふんわりとなった。

 アリサは手慣れた手つきでカップの中に珈琲とスチームドミルク・フォームドミルクを入れていく。そうして出来上がった物は真っ白な泡がフワリと揺れるカプチーノだった。

 アリサはそのカプチーノを美琴の隣の席にソッと置くと、美琴がキョトンとした表情でアリサの顔を見る。アリサはそんな美琴に黙ったまま微笑む。



「これは祐希さんが注文した物です」

「祐希、が?」

「はい」



 アリサはカウンターから出て美琴の隣に座り手にそっと触れる。美琴はアリサの突然の行動に驚き手を引こうとしたが、アリサは美琴の手をギュッと握り離さなかった。



「すみません。祐希さんを見るには私が斎藤さんの手を少し握らないといけないんです」



 そう言いながらアリサは苦笑する。そして、カプチーノが置いてある席を見つめて「だから、安心してくださいね」と言いながら微笑んだ。

 アリサがその言葉を自分ではない誰かに言っている事に呆然とすると、美琴はアリサとは反対の隣の席を恐る恐ると見た。



「っ!?」



 さっきまでその席には確かに誰もいなかった。だが、今は違う。今、美琴の隣には、美琴の彼女――立花祐希が座っていたのだ。



「ゆ、祐希……」

「美琴」



 祐希は美琴に微笑んだ。美琴は、そんな祐希の頬に触れようと手を伸ばす。が、その手は祐希の頬に触れること無くそのまま通り過ぎてしまった。

 目の前に居るのに触れることができない現実に、美琴は唖然となり眉を顰めた。



「祐希……やっぱり……」

「――美琴」



 祐希は美琴の言葉を遮るように美琴を呼ぶ。



「私ね、美琴に言いたい事があるの」

「っ!! 俺だって言いたい事がある!」

「ごめんね」

「ごめん!」



 それは自然と重なり合った。

 美琴も祐希も同じ言葉を言った事に驚いた顔になる。そして、同時に笑い始めた。



「あははっ」

「はははっ。私達、名前以外にも似てる」

「だな」



 クスクスと可笑しそうに笑い合う美琴と祐希。 すると、祐希が美琴と目を合し申し訳なさそうな表情になった。



「……あの時、最後まで喧嘩しちゃったでしょ? 私ね、それがずっと心残りだった。分かれた後、素直に謝ればよかった……」

「俺だってそうだよ……。喧嘩して気まずいからって、祐希を引き止めることもしなかった。あれが最後だなんて思わなかった……。俺、お前が悩んでることにも気づけなかったし」



 美琴の言葉に祐希がハッとなる。



「美琴……もしかして、聞いたの? 学校のこと……」

「あぁ。お前に会う前に刑事さんがここに来たんだ……。その時に聞いた」

「……そっか」



 自分の不手際で命を落としたこと、美琴に何も相談しなかったことに気まずいのか、祐希は美琴から視線を逸らし苦笑した。



「あはは……私、馬鹿だよね。自分でも、美琴や後輩達皆に話していたらこんな事にはならず、もしかしたら別の解決策が見つかったかもしれないって思ったんだよね」

「本当にそれだよ……馬鹿野郎。お前はいつもそうだ。一人で何もかも考え込んで突っ走って……俺だって……俺だってっ」



 自分を責めるように膝の上にある手をギュッと強く握る。祐希は美琴のそんな表情を見て微笑んだ。



「私ね、美琴と出会えて幸せだよ? 美琴の恋人になれて幸せだった。……だから、そんなに自分を責めないでほしい。これは私が悪いんだから。あ、だからって私のこと忘れろって言ってるんじゃないよ? 私のことで、いつまでもウジウジするなってことね」



 そう言うと祐希はテーブルに置いてあるカップチーノのカップを持ち上げ口を付ける。カプチーノを祐希が飲むと、コクリと祐希の喉が鳴った。

 祐希はカプチーノの美味しさに驚き「美味しい!!」と、言った。

 美琴は幽霊である祐希がカプチーノを飲んだことに驚愕し、口をあんぐりと開け唖然となっていた。



「祐希……お前、その体での、飲める、のか?」

「そうなの! これには私もビックリ! 深海さんから聞いた時はやっぱり少し疑っていたんだけど、まさか本当だったなんて。凄いよね!」



 そう言いながらカプチーノを飲み続ける祐希。余程美味しいのか、カプチーノはあっという間に空になってしまった。

 祐希は一気飲みしたので「ふぅ」と、小さな息を吐くと椅子から立ち上がり腕を伸ばした。



「ん~、美味しかった〜!」



 最後の最期で好きだったカプチーノを飲めたことに嬉しく満足した祐希。

 祐希は美琴の方を向くと「……美琴、私、そろそろ行くね」と美琴に言った。

 美琴は「祐希」と、祐希の名前を呼ぶ。



「ん、何?」

「俺もお前に会えて良かった。幸せだった。楽しかった」

「え……? なっ、なに突然、えへへ……。何だか恥ずかしいなぁ」



 祐希は恥ずかしそうにしながらもハニカム。頬はほんのりと赤くなっている。

 すると突然、祐希の足元から淡い光が現れた。その光は少しずつ上へ上へと上っていく。それと同時に祐希の体も下から少しずつ消えていっていた。

 美琴は、消えていく祐希の体を見て慌てて椅子から立ち上がる。



「祐希!」

「美琴、私、美琴のこと好きだよ」

「そんなの……そんなの俺もだよ! 俺は、祐希が好きだ! 今も、これからも!」

「えへへっ、やっとそれ聞けた。……ありがとうね。私、最後に美琴に会えて良かった。最後にこんなに美味しいカプチーノを飲めて良かった。……これからも応援するから頑張ってね」


 ――大好きだよ。



 その言葉を最後に祐希の姿は完全に消えてしまった。

 蛍の光のように、淡い光が空に向かって飛んで行く。やがてその光も消え、残ったのはカウンターに置かれているカップだけだった。

 美琴は無言で椅子に腰を下ろす。顔は俯いていてどんな表情をしているのかわからない。アリサはそんな美琴に何も言わず、そっと手を離すとカウンターの奥へ戻って行った。

 そして、アリサは新しいカップを取り出し何かを作ると、それを美琴の前に置く。それは、祐希が飲んだのと同じカプチーノだった。

 美琴は置かれたカプチーノをジッと見ると、カップを持ち一口、二口と飲んだ。



「うっ、うぅ……やっぱりこれ、俺には甘いや」



 そう言いながら美琴は涙を流し、泡が乗っているカプチーノを飲み続けたのだった。

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