第5話

 ✿―✿―✿


 バーテンダーの服を着た少女に席を案内される美琴。可憐で美しい少女に微笑みかけられ、自然と足はカウンター席へと向かっていた。

 美琴は七席のカウンターの中の一つ向かって右側の端から二つ目の席に腰を下ろし、少女は微笑みながら、そっと温かいお絞りと冷えた氷水をテーブルに置く。

 見た目は確かに少女なはずなのに、その手慣れた仕草とバーテンダーの服装は少女を大人っぽく見せていた。

 次に美琴が驚いたのは、お店の外観と内観の違いだった。

 外の小汚く薄暗い雰囲気とは異なり、タイムスリップしたようなレトロでヨーロピアンを思わせる内観。天井には小さなシャンデリアが飾っており、店内を明るく灯している。壁には大きな風景画。海辺が描かれている絵からは海の音が聞こえてきそうだ。

 それに対して反対の壁には、木製の本棚がいくつもあった。その中には、英語で書かれている洋書や和書の本が並べられている。シンプルだけど昔のヨーロッパを思わせるような内観だった。

 こんなお店でパリの人達は朝の一杯を楽しむのだろう……と、美琴は思った。

 美琴はカウンターの中にいる少女をチラッと見る。

 つい身惚れてしまいそうなぐらい美しい少女。色素の薄い長い髪には、ウェーブがふんわりとかかっている。まるで、キャラメルを上から落とし、ふんわりとしたお菓子のようだ。

 肌は降り積もったばかりの雪のように白く、瞳はまるで、海底を思わせる深い色だけど澄んでいるようにも見える蒼い瞳をしていた。

 見た目は十代に見えるのに、大人の雰囲気も持っている不思議な少女だった。



(この人、ハーフだよな……? 目が蒼いし)



 もしハーフなら納得のいく顔立ちだ。そんなことを思いながら少女を見ていると、バチッと目が合った。



「――っ!!」



 美琴は急に恥ずかしくなり、目の前にあるメニュー表を慌てて手に取る。

 焦げ茶色の皮で出来た長方形のメニュー表。中は朝食用の軽めのサンドイッチやガッツリ食べたい夜食用のシチューやグラタン・喫茶店には必ずあるナポリタン、そして、食後のデザートとソフトドリンク・珈琲の欄があった。

 ここは珈琲がメインなのだろう。メニュー表には美琴が知っているアメリカン珈琲やキリマンジャロと言った珈琲はもちろん、ブレンド珈琲等も記載されていた。他にも、聞いたこともない珈琲豆や珈琲についての雑学も載っている。

 ここの店長は余程の珈琲好きらしい。



「…………」



 メニュー表を見て苦い顔をする美琴。しかし、それも一瞬のことだった。

 美琴はメニュー表を閉じ顔を上げると、カウンターの中にいる少女に向かって注文をする。



「すみません。カプチーノを一つ下さい」

「かしこまりました」



 少女はニコリと微笑み注文を受ける。その微笑みに思わずドキリと胸が鳴る美琴。

 自分にその気は無いとわかっていても、天使のように美しく可愛らしい少女の笑みは、とても心臓に悪かった。



(バイトの子なのかな?)



 美琴は黙々と作業をする少女の姿に、ふと小さな疑問を抱いた。

 店員が、彼女一人だということに。

 もし仮に少女がバイトだとしたら、それはおかしいことだ。余程のブラック企業ではない限り、お店の管理を一人のバイトに任せるのは有り得ないことだからだ。それがこんなひっそりと建っているお店でも、もう一人ぐらいは店員が居てもおかしくはない。かと言って、年齢から考えるに正社員でもなさそうに見える。

 そんなことを考えていると「カランカラン」と、ドアベルの音が店内に響いた。

 このお店に自分以外の誰かが訪れるとは思わず、美琴は扉の方を振り向く。



(一体、どんな人が……?)



 少しの興味で振り向いたはいいが、美琴は扉の前に立っているお客に思わず驚き目を見開いた。

 美琴は唖然となり口はポカンと開いている。それぐらい驚いていたのだ。

 お店に入って来た客は二十代ぐらいの背の高いスーツ姿の男性だった。と言っても、スーツはかなり着崩していた。

 美琴はそれよりも男の顔に驚く。男の顔自体は悪くない。端正な顔立ちで整っておりイケメンの部類に入るが、今の男の顔は物凄い形相をしていたのだ。

 色男も台無し、幼い子供が見ればきっと泣き出してしまうだろう。正に、鬼や悪鬼のような形相だったのだ。そして、なぜだか男は鉄パイプを持っていた。

 男は鉄パイプを杖にし、ヨロヨロとこちらを見ながらカウンター席へと向かっている。すると、カウンターの奥から小さな溜め息が聞こえてきた。



「はぁ……また、ですか?」

「ぐっ、ぐぬぅぅっ……」



 男はなんとか席まで辿り着くと、倒れこむように椅子に腰を下ろす。顔は疲れきっており、テーブルに全てを預けていた。



「た、頼む……。それと……こ、これ…も……」



 男はスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出し少女に手渡すと、力尽きたようにバタリと再びテーブルにもたれ込む。

 少女は写真を受け取ると何事も無かったかのようにニコリと微笑み、淹れたてのカプチーノを美琴の前に置いた。



「お待たせしました。カプチーノです」

「あ。ど、どうも……」



 フワリと揺れる白い泡。ミルクと珈琲の匂いが鼻腔を擽り心をホッとさせる。

 美琴はカップを持ち、コクリと喉を鳴らしながらカプチーノを一口飲む。



「美味しい!」



 その言葉に少女はニコリと微笑んだ。



「ふふっ、ありがとうございます」



 そう言うと、少女の先程の笑みはどこに行ったのやら。少女は、今度はジト目で美琴の隣に座っているスーツの男を見た。

 そして、また溜め息を吐くと何かを払うように、ポンポンと男の頭と肩を叩いた。

 その瞬間、鬼のような形相だった男の顔がコロリと表情を変えた。まるで物憑きでも落ちたかのようにスッキリした顔になり、男は首と腕をグルグル回し始める。



「ふぅ〜。楽になったぁ」



 美琴は、その様子を呆然としながら見ていた。少女の方は何やら天井を見上げ誰かに向かって話しかけている。



「いえいえ、どういたしまして。あ、お帰りになる前に少し訪ねたいことが。こちらの方を誰かご存知ありませんか?」

「ん? お、珍しいなぁ〜、この店に客か」



 今もまだ誰かに向かって話している少女を美琴が不思議そうな目で見ていると、隣の男が美琴に気づきそう言った。

 男は美琴の唖然呆然とした様子にクスリと笑う。



「何だ、お前始めてなのか? こういうの」

「……え?」



 そこでようやく美琴は男を見た。どうやらこの男には、少女が誰に向かって話しているのかがわかるらしい。

 美琴は失礼とわかりながらも少女を指さす。お店の名前や駿から聞いた情報から薄々感づいてはいるが、それでも確認したかったのだ。

 少女を指す指は驚きのあまりか微かに震えている。



「あ、あの……あの子、だ、誰と話して――」

「霊と話している」

「れっ、霊?!」



 美琴が男の言葉にギョッと驚くと、男は話を続けた。



「俺は霊を無意識に引き寄せる体質らしくてな。体が重くなったら、よくここで祓ってもらってるんだよ」

「…………」

「信じられないだろ?」



 男がニヤリと笑いカウンターの隅に置いている水をコップに汲むと一気に飲み干した。

 ゴクゴクと男の喉が鳴る。余程、喉が乾いていたらしい。喉が潤うと、男は再び含み笑い浮かべた。



「因みにアイツはな、あぁ見えて二十四歳だ」

「二十四歳!?」

「ここに来る初めての客は、あいつの見た目によく間違えるんだが、やっぱお前も間違えてたか。あはははっ!」

「か、彼女が……二十四歳……」


 美琴さ少女の方を向き、これまた失礼とわかりながらもガン見する。

 やはり、どこからどう見ても何回見ても二十四歳には到底思えない。普通に自分と同じ十代にしか見えなかったのだ。

 あまりの衝撃の事実に、又もや口があんぐりと開く。すると、少女――いや、正確にはが男の方を見た。



「神崎さん、残念ですね。この方を見た人はいません」



 スーツ姿の男は神崎かんざきという名前らしい。妙にしっくりくる苗字に美琴は内心頷く。

 女性は写真を神崎に返す。すると、たまたまその写真が美琴にも見えてしまった。

 美琴は見えた写真に目を見開き立ち上がる。



「ゆっ、祐希ゆうき?!」

「え?」

「え?」



 女性と神崎の言葉が重なる。そして、お互いの顔を見合わせると二人同時に美琴の方を見たのだった。

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