第6話 菩薩、聖人、あるいは『』


「母さん、ちょっといい?」


 かなでが部屋に開梱かいこん作業に向かった後、俺は母さんにそう声をかけた。

 料理をしていた手を止めて、母さんがこちらを向く。それにしてもまだ三時だというのに晩飯の準備をしているのか……かなでがうちに来たお祝いとして、豪勢に作っているのだろうか。


「なに?」

「いや、かなでの事なんだけど……」


 そこまで言って、果たしてこれは聞いていい事なのか、と口を噤む。言葉を止めた俺を母さんは不思議そうにみていたが、俺が聞こうとしている事に心当たりがあったのか、ははーん、と言った具合に目を細める。言われる前に、おそらく勘違いしていることを察した。


「朱羅あんた、かなでちゃんが可愛すぎて動揺してるんでしょ」

「なわけねぇ……むしろ生意気すぎて困ってるんだが……」

「え、違うの? じゃあ、かなでちゃんの入学先が気になるとか? 朱羅と同じ緋扇高校よ」

「へーそうなのか……いや、気になってることは違うんだけど」


 このまま母さんの予想ゲームに付き合っていても、有用な情報は出てこなさそうだったので、俺は躊躇いながらも疑問を口にした。


「その……かなでって、本当に俺の妹……なの?」

「……まだそんなこと言ってるの?」

「いやだって、うちは全員黒髪なのに、かなではちょっと赤みがかってるし、身長だって母さんと比べても十センチ以上差があるだろ……あまりにも共通点が無さすぎると思って」

「なんだそんなこと」


 結構勇気を必要とした俺の疑問を、母さんはその一言で一蹴した。

 ガスコンロの火を切り、換気扇を止めると、母さんは廊下に出て行き寝室から一枚の写真を持ってきた。写真は昔の物のようで、あまり良く無い画質でセーラー服を着た少女が四人写っていた。母さんは右端でピースサインをする少女を指差し、


「これが母さん」

「……?」


 示された少女は四人の中でも一番背が小さく、そして赤髪の少女だった。

 これが、母さん……? そう言われると、どこか面影のようなものを感じる。


「母さんね、昔は百五十センチ無くてクラスで一番小さかったし、髪も赤かったのよ。それこそかなでよりもね。でも身長は大学に入ってから伸びていったし、髪は流石にこの色のまま就活はヤバイってことで染めたのよ、今もたまに染め直ししているしね」

「そ、そうだったんだ……」

「まあ、信じられないなら、DNA検査なんかもしたからそれの結果見せてもいいけど」

「いや、大丈夫。流石にそこまで疑ってないって」


 別に俺は、そこまでしてかなでが妹である事への否定材料を見つけたい訳では無い。ただ、確認がしたかっただけだ。


「ちなみにこれがけいちゃん……那由多ちゃんのお母さんね」


 そういって母さんは、写真の中で母さんの肩に腕を回している少女を指す。

 その少女は烏の濡羽のように黒いショートヘアーで、前髪を掻きあげて綺麗なデコを覗かせていた。顔立ちは那由多に瓜二つだ。しかし、那由多とはどこか雰囲気が違う。……幼馴染の親にこんなことを思うのもあれだが、どこか艶かしい大人の雰囲気を纏った人だった。元々大きいと思われる双眸は細められ、写真だというのにこちらを値踏みするような眼力がある。

 相当モテたんだろうな……それこそ那由多よりも。

 那由多のお母さんは今となっては、大きな……肥えた……豊かな体型になってしまって写真当時の美貌は見る影もないけど……おおらかな性格で気前もいい人だから好きだけどね。

 つっかえていた疑問も解消された俺は、自室に戻る事にした。引っ越し作業で身体が悲鳴をあげているし……仮眠をとりたい気分だった。


 ×××


 もう動けないと泣き喚く身体を駆使し、階段を登って二階に行くと、手前にある部屋からかなでの開梱作業の音が僅かに聞こえた。

 ……手伝った方がいいのだろうか。

 荷物の中には男二人掛かりでないと運べないような物もあった。手足が棒みたいに細いかなででは作業が難航している事が手に取るようにわかる。


「でも手伝うって言っても、あんたにあたしのもの触れられるとか耐えられないんだけど、とか言われそうだし……いや、ここで手伝って少しでも好感度を上げといた方が吉か……そもそも手伝わせてくれるか……言うだけ言ってみるか? 怪我とか心配だし……いや、自分の力で出来ないものがあったら助力を求めてくるか……でもかなで意地っ張りそうだしなぁ……」


 悶々と二の足を踏んでいると、不意に部屋のドアが開いて中からかなでが出てきた。俺の姿を視界に認めると、露骨に嫌悪を顔で表す……なんで俺はこんなに嫌われているのか。


「部屋の前で何やってんの……ウザ……邪魔なんだけど」

「……自分の部屋に戻るとこなんだよ」

「あっそ」


 そう言うとかなでは開いていたドアを閉めて中に戻った。多分、ドアが開いていたら廊下が通りづらいだろうと閉めてくれた訳では無く、俺が自分の近くを通るのが嫌だから閉めたんだろうなぁ……

 しかし、これはチャンスじゃないか? そう思った俺はかなでの部屋の前で、


「何か手伝える事ないか? 荷物、結構重か──」

 バンっ!


 ――ったし。そう言い終わる前にドアが衝撃音を上げて、拒絶の意を示した。

 なんだってんだよ、まったく……

 内心で愚痴って俺は自室に入った。

 数瞬してからかなでは部屋から出て、「お、お母さん、画鋲がびょうってある?」とリビングに降りていった。画鋲ってことは壁に何かを止めたり、コルクボードを使うのだろう。飾りを始めたと言うことは、作業も終盤か。

 結局、俺は必要なかったということだ。


「なんか、今日は色々とありすぎだ……」


 始業式、那由多の騒動、かなで。

 俺の人生で最も密度の高い一日だった。といってもまだ午後四時にもなっていないのだが。

 那由多の部屋を見てみるが、カーテンが引かれた状態で今だに不在のようだ。どこかに出かけたのだろう。かなでの事を相談したかったのだが、それは夜でいいか。

 放ったままになっていたリュックをベッドから下ろして、俺はベッドに倒れ込んだ。


 ああ、まだ制服着たまんまだ……引っ越しで汗もかいたし着替えなきゃ……

 そんな抵抗虚しく、俺の意識はすぐに暗闇の底に落ちていった。


 ×××


「ッヘブガッバァ!!」


 腹部を襲った強烈な衝撃に、肺にある空気がおかしな声とともに漏れて、俺の意識は強制的に覚醒させられた。胃から逆流してきたもので口内が気持ち悪い酸っぱさに支配される。


「ッ! うえ……、な、なにが……?」

「あ、あんた……最っっっ低!」

「いッ……て!」


 次は顔面に何か硬いものが投げつけられ、鼻の頭にクリーンヒットする。頭の後ろまで抜ける電撃のような痛みが走った。顔にあたり落下したものを拾うと、妹モノのライトノベル……『妹はお兄ちゃんと結婚する決まりなのです』という可愛らしいロゴと裸エプロンの千沙ちさちゃんが表紙のお気に入りの本。


「妹ができた途端にそんなの読むとか……死ね!」

「か、かなで!?」


 ベッドの側には仁王に立ったかなでがいた。

 え、なんで……?

 その顔は赤みを帯びて、歯ぎしりが聞こえそうなほど力がこもっていた。目には薄っすらと涙が浮かび、眉がつり上がっているのがよくわかる。

 寝起きで状況を理解できていない俺の耳を、かなでの怒号が再び震わせる。


「妹に欲情するなんて、変態!」

「ちょ、ちょっと待ってって! なんのことかわからないんだけど!?」

「うっさい! とぼけんな!」


 そう言ってかなでが俺の本棚を指差した。並ぶのは小説、ラノベ、マンガ、アニメのDVD、フィギュア、全て妹モノ。

 そこでようやく、危惧していたことが起こってしまったことを悟った。

 妹モノのコレクションが実の妹に見つかった……!


「ち、違う誤解だ! あれはかなでのことを知る前に買ってたもので、決して他意は……!」

「言い訳すんなッ!!」

「ふごぁあ!」


 横腹を蹴られ俺はベッドへ叩きつけられる。

 かなでは部屋を出て行くと、壊れるのではないかと思うほど勢いよくドアを閉めて行った。

 結局何の用で俺の部屋に来たんだ……もしかして重労働をした俺に礼をする為に寝込みを襲いに来たとか……!?

『お兄ちゃん、今日はありがと……いっぱいあたしの荷物運ばせちゃってごめんね? お兄ちゃんの前だと緊張して身構えちゃって……寝てるお兄ちゃんとしか話せないなんて、あたしダメだよね、ごめんね……』

 みたいな!?

 バンッ、と再び勢いよくドアが開く。


「ッ! すみません冗談です微塵もやらしいことは考えておりませんです……!」

「チッ……は? 意味わかんないんだけど……お母さんがご飯、できたって」


 そう言ったかなでは今度はドアを閉めずに階段を降りて行った。

 ああ、なるほど。さっきは母さんに頼まれて俺のことを呼びに来たのか。時計は七時を指し、窓の外には夜の帳が下りていた。

 少し仮眠を取るつもりが、随分と寝てしまっていたらしい。

 体を起こしベッドから降りると、腹の正面、横、そして鼻が痛んだ。恐らく、蹴りが二発に顔面へお気に入りの本を一度投擲されたのだろう……

 ここまでされて怒らないとか、昔から那由多で鍛えられているとはいえ、俺ってば菩薩すぎない……?

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