第2話 俺の名前は……

 彩斗と雑談を交えながら二十分ほど住宅街を歩くと、グリーンネットと背の高い白い建物が見え始める。我らの通う緋扇ひせん高校だ。

 登校生徒の数が丁度ピークだったようで校門前には生徒で人だかりができていた。学校が始めることに嘆く生徒や、久しぶりの再会に自撮りを始める女子生徒、じゃれ合う男子生徒。

 純粋な疑問なのだが、何故スクールカースト上位陣の人間は入口にたむろしたがるのか。こっから先は我らが縄張りじゃ、って主張したいんですかね? 誰に見せつけてるのか知らんけど。でも、そういうことなら、後がつっかえて交通が悪くなるので大変やめて欲しい。

 いや別に羨ましくてこんな嫉み方してるわけじゃないよ? 会話の輪の中に入りたいとか考えてないからね? 本当だよ?

 そんなどうでもいいことを考えながら、人混みを掻き分けて昇降口に到着する。リュックから上履きを取り出し、履いていたスニーカーはビニール袋に包んでリュックに詰めた。

 緋扇高校には学年ごとに七クラスあり、数字が前半のクラスは昇降口から左の階段、数字が後半のクラスは右側の階段を使う。決まりがあるわけではないが、自分のクラスに近い方の階段をみんな使うため、必然的にそうなっている。

 春休み中に届いていた成績表には来年度のクラスが書かれており、俺は五組だった。右側の階段から登ろうと足を踏み出して、ふと、彩斗のクラスを聞いていなかったことを思い出す。


「そういえば彩斗、お前何組……」


 後ろを振り向き彩斗に声を掛けたのだが、そこに彩斗の姿はなかった。一瞬、緋扇駅開催の人混みを分けて進む選手権、優勝者の実力を発揮してしまったか、と思ったが人混みの中に彩斗が見えた。

 どうやら俺が内心で嫉みを吐いている時に女子に捕まったらしい。さすが彼氏にしたい緋扇高校男子四位は人気者だ。

 俺は黙って自分の新しいクラスに向かうことにした。


 ×××


 始業ベルの十分前だったが五組にはまだ十人ほどしかおらず、一クラス三十人ほどなのでまだ三分の一しか来ていないようだった

 黒板に張り出された座席表に従って最前列の右端、入口の隣の席に座る。ついでに、座席表には石澤 彩斗の名前もあり出席番号は二番で俺の後ろの席だった。

 知り合いが同じクラスにいることに一安心だ。

 それから何をするということもなく過ごしていると、始業ベル直前で彩斗が教室に入ってきた。そしてすぐに俺のことを見つけて、満面の笑みを咲かせる。男にそんなもん向けられても嬉しくないんだが……


「おお、なんだ、同じクラスだったのか」

「まあな。席は去年と一緒だぞ」


 座席表を確認しようとした彩斗にそう言ってやると、素直に俺の後ろの席にカバンを下ろした。

 始業ベルがなると、続いて校内放送が始りスピーカーから女性の声が響く。


『始業式が始まりますので、新二年生、新三年生は廊下に並んで待機してください。男女二列に並び順は構いませんので素早くお願いします』


 校内放送が終わると生徒は銘々に立ち上がり廊下に並ぶ。男子はだいたい出席番号順に、女子は仲のいい人で集まって並んでいるようだった。

 当然他クラスも並び始めるため、廊下の人口密度が息苦しいほどに上がる。

 猥雑とした廊下に再びスピーカーからの声が響く。


『それでは二年一組から第二体育館に向かってください。それから二組、三組と続いてください──』


 ×××


 退屈な始業式が終わり教室に戻ってきた生徒たちはどこか浮き足立っている様子だった。新学期への期待や、高校二年生という最も青春の二文字が似合う学年になれたことへの歓喜が彼らの気持ちを高ぶらせているのだろう。


「担任、神戸ごうどだっけ? マジないワー」

「それアグリー! あのコワモテとかカタブツってカンジ」

「ウェーイ! とりま今はみんなが同じクラスになれたことに感謝ッショ!」

「ウェーイ!」

「ウェウェウェーイ!」


 始業ベル十分前のあの静けさはなんだったのか。幻か?

 廊下の近くに座る俺にはわかったが、騒いでいるのは五組くらいのものだ。廊下は愛おしいほど森閑としていて、聴こえるのは時折、反響する五組女子の甲高い笑い声くらい。

 恐らく、校門でたむろしていた連中が集中的に五組に集まってしまったのだろう。

 日本語を話しているはずなのに、彼らの会話の内容が全く理解できない。いや、もしかしたら彼らは俺よりもはるかに高度なレベルで侃侃諤諤かんかんがくがくとした議論を交わしているのか……?


「……完全に別の人種だよな」


 教卓の上で男子が腕相撲大会を始めたのを見ながら、静かに声を零した。クラス替えは見事に爆死、一年間のボッチと青春を近くで眺められるといういたたまれない立ち位置が確定。

 せめて彩斗が近くにいてくれたらこのいたたまれない気持ちも少しは救われたのかもしれなかったが、肝心の彩斗は教卓で腕相撲八連勝の功績を誇っていた。

 時にすることなく、少しでも現実から逃げるために持参した俺妹を読もうとリュックに手を伸ばした時、教室のドアが勢いよく開かれた。


「おい、お前ら。うるさいぞ」


 ピシャンというドアの開く音、地響きのような低い声が饗宴を停止させた。

 神戸 たけし。始業式だというのにジャージを着た生徒指導の先生だ。歳は三十半ばだが、自慢の筋肉はジャージの上からでも如実に伺えるほど盛り上がっている。名前や見た目に反して物腰穏やかな先生なのだが、起こるとめっぽう怖いと有名な先生でもある。

 平時から低い声がさらに低くなった時が説教の知らせ、つまり今。

 騒いでいた者は青ざめ、そうでない者は机の隅を見つめて私は関係ありませんのポーズをとる。


「とにかく、全員席につけ」


 その一言に先ほどまでどんちゃん騒ぎしていた連中が俊敏に席につく。その中でも特に早かったのが彩斗だった。……そういえば神戸先生はバスケ部の顧問だったか。

 全員が席についたのを確認すると神戸先生がゆっくりと入口から教卓に向かう。

 何も悪いことをしていないのに、俺まで緊張してしまう。警察官に声をかけられた時ってこんな心境なんだろうか。うっ……吐きそう……しっかり食べてきた朝食がこんなところで仇になるとは……

 教卓についた神戸先生は教室を見回すと口を開いた。


「お前らな、そうやってしおらしくなるなら最初から騒ぐなよ。悪いことをしていたって自覚があるようだし、今日は許してやる。次は無いがな」


 その言葉と平時の声音に教室の雰囲気が弛緩した。

 よかった……あと少しで俺に不名誉なあだ名がつくとこだったぜ。ゲロとか吐瀉物とか。


「石澤、お前は罰として今日の練習倍こなせ」

「……はい」


 そんなやり取りに笑いが起きたところで、神戸先生は連絡事項を口にしながらプリントを配り始めた。

 内容は、今日はあと学活を一限終わらせれば帰れるということ、明日は一、二限で入学式を行うが二、三年生も参加するということ。他校では入学式を一年生だけで行うこともあるようだが、緋扇高校は在校生で新入生を迎え入れるのが伝統らしい。

 新一年生か……部活にも所属していないし特に関わりがないんだよな。後輩女子に先輩♡と呼ばれるために、今からでも部活に入るか……?

 そんなことを真剣に考えながらプリントを後ろに回していると、ずっしりとした重量感のある手が肩に置かれた。顔を上げると、そこには神戸先生の強面。


「プリントは各自家で呼んでくれ。それでは、今から自己紹介をしてもらう」

「……あ、あの。この手は」

「トップバッター、やってくれるよな?」

「……はい」


 断れるわけがなかった。

 俺は渋々と腰を上げて教壇に立つ。出席番号一番の宿命みたいなものだ。

 だがしかし、自己紹介のトップバッターには慣れている。伊達に小学一年生の時から出席番号一番をやっていない。それ故にこの後の反応も予想できてしまう。当たり障りのないことを言おうと考えながら、俺は自分の名前を口にした。


「元三組の朱石 朱羅あかいし しゅらです。部活はやってなくて、趣味は読書です。一年間よろしく」


 教室がどよめく。当然、俺の名前について。


「しゅら……?」

「朱って漢字が二個入ってるとかwww」

「ネーミングが厨二www」


 エトセトラエトセトラ。

 そこらへんの感想は聞き飽きて、もう何も感じないレベルだ。昔は傷ついて親に名前の由来を問い詰めたこともあったが「かっこいいから」と親が厨二センスを認めてしまってはどうにも批判しにくい。

 今では変わった名前も就活とかで覚えられやすくてむしろ長所だと思い始めるくらいだ。命名された時点で同年代よりも面接で有利になってるとか、俺マジ将来を見据えてる。

 なので、俺の名前に対する反応をそよ風のように受け流していたのだが、突如、

──ダンッ!


「お前ら! 人の名前を笑うんじゃねぇよ!」


 机を叩いた彩斗が、そう言って立ち上がった。

 尊き友情に思わず涙が出そうになる。これで去年、彩斗が散々俺の名前をバカにしてきたことを水に流せそうだ。あの時はかなり傷ついたからな……あんなに貶されたのは人生で一度きりだ。


「俺の名前は石澤 彩斗。親友をバカにする奴は絶対に許さないからな!」


 自分の席にいるまま自己紹介を始める彩斗。

 すごく嬉しいことを言ってくれたのだが……こいつ、そんなにいい奴だったか? あ、そうか、神戸先生がいるから良いところを見せて倍になった練習を取り消してもらおうとしているのか。

 俺の親友は考えることが随分と汚いな。

 類友ってやつか。

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