432 ふざけんなっ! 何だよっ、ヒロイン特性って!


 これまで深く考えたことはなかったけど、確かに、俺の中にはハルシエルの記憶や知識、経験が融合している。


 でなかったら、ランウェルさんやマルティナさん、ロイウェルといった家族にごく自然に受け入れられなかっただろうし、急に女の子の身体になった俺の精神がもたなかっただろう。


 マリエンヌ祭でも、淑女のたしなみの試験をクリアできなかっただろうし、最後のダンスだって、絶対に踊れなかったに違いない。


 ハルシエルの知識のおかげでイゼリア嬢と一緒に生徒会役員になれたんだから、それについては感謝している。


 けど…………っ!


「晴には晴の精神を保ったまま、ハルシエルのヒロイン力をこれからも発揮してほしいねっ! 晴がヒロインとしてリオンハルト達を受け入れる気になったら、ハーレムルートの達成も夢じゃない――」


「ふざけんな――っ! んなことするわけないだろ――っ!」


 ぶちんっ! と自分の中で何かが切れる音がする。


 突然、ばぁんっ! と理事長室の扉を蹴り開けた俺に、姉貴とシノさんが目を丸くした。


「誰がイケメンどもとハーレムルートなんてするかっ! 俺は、俺は……っ!」


 それ以上は言葉にならない。


 自分の中で処理しきれない感情が、涙となってあふれてくる。


 けど、これだけは言っておかないと!


「俺がイゼリア嬢の恋路を邪魔するなんて、ありえねぇだろ――っ!」


 吠えるように叫び、すぐさま身を翻す。


 姉貴に泣き顔を見られるなんて、絶対御免だ。


 放課後の誰もいない階段を駆け下り、外へ飛び出す。


 どこへなんてない。ただ、胸のなかったで渦巻く感情にじっとしていることができなくて、ここではないどこかへ行きたくて――。


 何だよ、ヒロインの特性って! 俺は藤川晴であって、ハルシエルじゃないっての!


 俺の推しはイゼリア嬢ただおひとりであって、イケメンどもにどきどきするなんて、絶対に御免だっての!


 ましてやハーレムルートなんてとんでもないもの――、


「ハルちゃん!? ちょっ、どうしたのさっ!?」


 涙をぬぐうことも忘れて駆け続け校舎を飛び出したところで、俺はいくばくも行かないうちに不意に誰かに手を強く掴まれた。


 すっとんきょうな声と同時にぐいっと腕を引かれ、あまりの強さに思わずよろめく。


 とすり、と抱きしめられた拍子に、スパイシーなコロンの香りが鼻をくすぐった。


「ハ、ハルちゃん? 泣いてるなんていったい何が……っ!?」


 ふだんからの飄々ひょうひょうとした言動からは想像もつかないほど、うろたえた声を上げたのはヴェリアスだ。


「放っておいてくださいっ!」


 くそっ! なんでこんな時にヴェリアスと出くわすんだよっ!?


 これもアレかっ⁉ ハルシエルのヒロイン力ってヤツか!? ふざけんな――っ!


「放っておけるワケないだろ!? ハルちゃんが泣いてるっていうのに……っ!」


 覗き込もうとするヴェリアスから思いっきり顔を逸らす。


「私が泣こうが何をしようが、ヴェリアス先輩には関係ないじゃないですかっ!」


 反射的にとげとげしい言葉が飛び出す。


 これはヴェリアスが悪いわけじゃない。運悪く出くわしたのがヴェリアスだったっていう単なる八つ当たりだ。


 わかっていても、きつい言葉が飛び出すのを抑えられない。


「どうして私にかまうんですか! そんなこと、まったく頼んでもないのに……っ! とにかく放っておいてくださいっ!」


「嫌だね」


 低い声と同時に、身を屈めたヴェリアスに不意に横抱きに抱き上げられる。


「っ!? 下ろしてくださいっ!」


 身をよじり、足をばたつかせて下りようとしても、ヴェリアスの腕はまったくゆるまない。


「な、何するんですかっ!?」


「え〜? ハルちゃんが勝手にするんなら、オレだって勝手にしていいってコトだろ〜?」


 睨み上げた俺に、ヴェリアスが憎らしいほど余裕な様子で言い返してくる。


 挑発するような物言いが腹立たしいことこの上ない。


「ちょっと! 大声を上げますよ!」


「別に上げてくれてもいーけど。っていうか、もう上げてると思うケド?」


 くそーっ! ハルシエルが非力じゃなかったら、ヴェリアスの腕なんかいますぐ振りほどいてやるのに――っ!


 俺がじたばたと暴れる間にもヴェリアスは淀みなく歩を進め、通路から逸れていく。


 おいっ! どこに連れていく気だよっ、本気マジで!


 おののく俺をよそに、人目につかない茂みの向こうに進んだヴェリアスが、木陰に置かれていたベンチのひとつに俺を下ろす。


 下ろされた瞬間、立ち上がって逃げようとするも、それより早くヴェリアスが行く手を防ぐようにベンチの背もたれに両手をついた。


 おかげで、危うくヴェリアスと顔から衝突しそうになる。


「ちょっとぉ〜。ハルちゃん元気過ぎない? そんなに必死逃げなくてもいーじゃん♪」


「急に人気のないところに連れてこられたら逃げますよっ!」


 どうにか逃げられないかと逃げ道を探すが、ベンチとヴェリアスの両腕に挟まれていてかなわない。


 ベンチの背もたれに両手をついているせいでヴェリアスが前かがみになっているので、ヴェリアスと至近距離で向き合いたくない俺は、必然的にベンチに座る形になる。


 さっきは危うく顔面からぶつかりそうになったし……っ!


「さっさとどいてくれませんか!?」


 鋭く睨み上げる俺に、だがヴェリアスから返ってきたのは、嬉しそうな笑みだった。


「うんうん。ハルちゃんはそうやってぽんぽん言い返してくれないとね〜♪ 泣き顔を見た時は、本気でどうしようかと焦ったよ♪」


「え……?」


 ヴェリアスの言葉に、無意識に自分の頬にふれてみる。


 頬は涙で濡れている。けど、驚きのせいかヴェリアスへの怒りのせいか、涙自体はいつの間にか止まっていた。


「もしかして、泣き止ませるために……?」


「さ~? どーだろーね♪」


 俺の問いかけをヴェリアスが笑みを深くしてはぐらかす。だが、俺を見下ろす紅の瞳には、柔らかな光が宿っていた。


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