274 対比の美


「舞台というのは、役者同士が演技という名の抜身の剣を持って戦う場なのよ。その戦いが真剣であるほど、そして実力が拮抗きっこうしているほど、見ている観客は心沸き立つものなの! スポーツの試合と一緒だと考えると、ハルシエルちゃんにもわかりやすいかしら?」


「腕前の差が大きくて、戦う前から勝敗がわかっている勝負より、どちらが勝つかわからない試合のほうが、見ているほうも手に汗握るものだろう?」


 シャルディンさんの補足に、アリーシャさんの言葉がすとんとに落ちる。


「確かに、試合だと考えるとそうですね……っ!」


「でしょう? 今のハルシエルちゃんは、イゼリア嬢に心酔するあまり、なまくらの剣を持って、遠慮しながら戦っているようなものよ。憧れる人に真剣を振るうのは、気が引けるかもしれないけれど……。でも考えてみて。試合だとしたら、相手に遠慮して自分の実力を出さないことは、失礼だと思わない?」


「はい、失礼ですよね……」


「それに……。ハルシエルちゃんが心酔するイゼリア嬢は、真剣に立ち向かってくるハルシエルちゃんをうとむような人なのかしら?」


「いいえっ!」


 考えるよりも早く声が飛び出す。


「イゼリア嬢はそんな方ではありませんっ! 意見交換会の時も、もっと真剣に演じるようにと私を叱咤激励してくださって……っ!」


「じゃあ、その期待に応えるためにも、変な遠慮なんかしないで、イゼリア嬢のオデット姫がかすんじゃうくらいの熱演をしないとね。黒鳥オディールが見事に悪役を演じてこそ、オデット姫が引き立つんだから!」


「っ!」


 アリーシャさんの言葉が、矢のようにとすりと胸に突き刺さる。


 脳裏に甦ったのは、王室御用達服飾店『プロープル・デュエス』のデザイナー・ジョエスさんに、オディールの衣装を作るための採寸をしてもらった時に告げられた言葉だ。


 ジョエスさんは言っていた。黒鳥オディールとして、ハルシエルがあでやかに演じれば、オデット姫であるイゼリア嬢もさらにいっそう輝きを増すとっ!


「対比の、美……」


「さすがハルシエルちゃん、的確な表現だね」


 俺の呟きにシャルディンさんが力強い頷きを返してくれる。


「オデット姫と黒鳥オディールは表と裏のようなもの。オディールが悪役として輝けば輝くほど、オデット姫が輝くんだよ」


「あっ、いえ。私が思いついた言葉じゃないんです。衣装担当のデザイナーさんに言われた言葉で……。その方も、シャルディンさんと同じことを言ってらしたんです」


 シャルディンさんの言葉にあわててふるふるとかぶりを振る。


 脚本を書いたシャルディンさんと同じことを言うなんて、ジョエスさんってすげ――っ! さすが、若くして王室御用達服飾店のデザイナーになっただけのことはある……っ!


「アリーシャさんやシャルディンさんがおっしゃることはわかるんです。でも……」


 力なく吐息し、視線を落とす。


「イゼリア嬢のオデット姫を前にすると、どうにも緊張してしまって、うまく演じられなくて……」


「目の前にいるのが憧れのイゼリア嬢だと思うからいけないんじゃないかしら?」


 俺の言葉に、アリーシャさんがあっさりと告げる。


「演じている時は、役柄がすべてだもの。誰が演じているかまで考えていたら、雑念が入ってしまうわ。そうね……」


 アリーシャさんが腕を組み、細い指先を顎に当てる。


「たとえば、こう考えてみるのはどう? 目の前でオデット姫を演じているのは、憧れのイゼリア嬢本人じゃなくて、イゼリア嬢のふりをした嫌いな誰かなの。そう考えたら、オデット姫に当たりのきつい演技をしても心が痛まないんじゃない?」


「……っ!? なるほど……っ!」


 アリーシャさんの言葉に、目から鱗が落ちた心地になる。


 そうか! 目の前にいるのがイゼリア嬢だと思うから、オデット姫をいじめる役どころのオディールをうまく演じれないんだ!


 たとえばヴェリアスあたりがイゼリア嬢の皮をかぶっているんだと思ったら……っ!


 うんっ! なんか心の底から怒りが湧いてきて、思いっきりきつい口調で台詞が言えそう!


 思えば、体育祭での応援合戦の劇の時も、イゼリア嬢のことを心に思い浮かべて、王子役のディオスへ台詞を言ってたっけ。それの逆をすればいいわけだなっ!


 俺の中でイゼリア嬢の存在が大きすぎて、アリーシャさんにアドバイスをもらうまで、そんなことすら思い出せなかったぜ……っ!


「何か掴んだみたいね、ハルシエルちゃん」


 俺の表情を見たアリーシャさんが唇に笑みを刻む。俺は大きく頷いた。


「はいっ! アリーシャさんのアドバイスのおかげで、黒鳥オディールを演じられる気がしてきました! 本当にありがとうございます! シャルディンさんも……。シャルディンさんが気にかけてくださったおかげで、こんな風に相談することができました。お二人には本当に感謝しかありませんっ!」


 テーブルに額がつきそうなほど深々と頭を下げ、二人にお礼を言うと、シャルディンさんのあわてた声が降ってきた。


「とんでもない! 脚本を書いたものとして、相談に乗るのは当然のことだよ。気にしないで、どうか顔をあげておくれ」


「そうよ、ハルシエルちゃん。あたし達が勝手にハルシエルちゃんに期待しているだけなんだから、気にしないで」


「シャルディンさん、アリーシャさん……っ!」


 思いやりにあふれた二人の言葉に、不覚にも泣きそうになる。


「本当にありがとうございます……っ! 私、素晴らしい黒鳥オディールを演じてみせますっ!」


「その意気と、ハルシエルちゃん! 頑張ってね!」


「また悩みがあったらいつでも相談しておくれ」


 シャルディンさんとアリーシャさんが笑顔で応援してくれる。


「あ、それとね。自分の演技を客観的に聞いてみたいと思ったら……」


「はいっ!」

 俺は身を乗り出してアリーシャさんのアドバイスに聞き入った。


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