272 急に相談したいことでもできたのかしら?


「照れてるハルシエルちゃんも可愛いわねぇ~。でも、急にどうしたの? オディールの演技で相談したいことでもできた?」


「は、はい……。そうなんです、けど……。すみません、お忙しいお二人にご迷惑をかけてしまって……」


 どうしてシャルディンさんにもアリーシャさんにも、こんなにバレバレなんだろうか……。そう考えると、なんだか情けない気持ちになってくる。


 しゅん、と肩を落としてうなだれると、


「やだ、そんな顔をしないでちょうだい。あたしはハルシエルちゃんに頼ってもらって嬉しいんだから」


 柔らかい声と同時に、そっと手を握られた。


「前に言ったでしょう? オディールの演技で悩んだら、何でもあたしに相談してね、って。相談してもらえないほうが哀しくなっちゃうわ」


「アリーシャさん……」


 優しく、真摯な声音に、目が潤みそうになる。


「ほら、わたしが言った通りだっただろう?」

 シャルディンさんが悪戯っぽく片目をつむる。


「なぁに? 二人であたしに内緒の話でもしてたの~?」


 通りかかった店員さんを呼び止めて、海老とあさりのペスカトーレを注文したアリーシャさんが、ねたように唇をとがらせる。


 俺よりずっと年上なのに、そんな子どもっぽい表情するとすごく可愛らしい印象になる。女優さんって、ほんとすごい……っ!


「ち、違うんです!」


 うっかりアリーシャさんに見とれていた俺は、我に返るとあわてて首を横に振る。


「そのっ、シャルディンさんが言っていたんです。悩んでいる私を放っておいたら、わたしが叱られてしまうよ、って……。シャルディンさんが言った通りだなぁって感心して……っ」


「その通りよ! さすがあたしの大事なだんな様、ちゃんとあたしのことをわかってくれているわね」


「当然だろう?」


 婉然えんぜんと隣に座る夫に微笑みかけたアリーシャさんに、シャルディンさんもまた、さも当然とばかりに微笑み返す。


 なんだか、見ているこっちまであてられそうになるやりとりに、ふたたび頬に熱がのぼる。


「そ、そういえば、アリーシャさんはインタビューを受けていたんですか?」


 ごまかすように尋ねると、アリーシャさんが頷いた。


「そうなの。演劇関係の雑誌の取材でね。もうすぐ、新作の公演が始まるから、その宣伝のために……」


 言葉を途切れさせたアリーシャさんが、ふぅ、と色っぽく吐息する。


「本当は、先方はインタビューをするなら、あたしとシャルディンの二人でぜひ、って言ってくれたんだけど、この人ったら、絶対に写真は嫌だ。ってごねちゃって、結局、あたしが主演男優と一緒に受けることになっちゃって……」


「ええっ!? シャルディンさん、どうして嫌なんですか!? 俳優並みに格好いいのに……っ! アリーシャさんと並んで雑誌に載るシャルディンさん、見てみたかったです……っ! そんな記事があったら、絶対に雑誌を買って読みますよ!」


 もったいなさに思わず声を上げると、「ほらぁ」とアリーシャさんが勝ち誇ったように胸を反らした。


「ハルシエルちゃんもこう言ってるじゃない。あたしも、シャルディンはもっと表に出ていいと思うわよ。うちの劇団がこんなに人気なのは、もちろん劇団員みんなの努力もあるけれど、何より、あなたの脚本と演出が素晴らしいからなんだから」


「ありがとう、アリーシャ。ハルシエルちゃんも」


 シャルディンさんが蒼い瞳を嬉しげに細める。


「だが……。わたしはもう、こうして好きなことを仕事にして、大切な人と一緒に暮らせているだけで、十分に幸せなんだよ。これ以上を望むのはわがままだ。わたしはひっそりと、裏方でいいんだよ」


 ゆっくりと、噛みしめるようにシャルディンさんが告げる。

 表情も口調も穏やかなのに、奥にはゆるぎない一本の芯が通っていた。


「もうっ、そんな風に言われたら、無理にと言えなくなるじゃない!」


 アリーシャさんが仕方がないと言いたげに吐息する。


「……知ってるわよ。あなたがどれだけのものを捨てて、あたしと一緒になってくれたのか……」


「ビーフシチューとオムライス、お待たせいたしました~」


 アリーシャさんの低い呟きに重なるように、店員さんの明るい声が割って入る。

 同時に料理のいい匂いが漂い、俺のおなかがくぅ~っと鳴った。


「す、すみません……っ」

 恥ずかしさにかぁっと頬が熱くなる。


「若くて健康な証拠だよ。料理は熱いうちがおいしいからね。先にいただこうか」


「そうよ~。あたしのもすぐに来ると思うから、遠慮しないで」


 シャルディンさんとアリーシャさんの二人に勧められ、「お先にいただきます」と断ってからスプーンを手に取る。


 とろりと黄金色の半熟卵の上に、たっぷりとかかっているのはほうれん草の緑があざやかなクリームソースだ。


 クリームソースと卵と中のケチャップライスと、三つを同時にスプーンに乗せ、そろそろと口へ運び……。


「ん~っ、おいしいです……っ!」


 三つの味わいが奏でるハーモニーに、思わず喜びの声がこぼれ出る。


「気に入ってくれたようで嬉しいよ」

「ハルシエルちゃんったら、食べてる顔も可愛いわねぇ~」


 目の前の美男美女に柔らかに微笑まれ、オムライスを喉に詰まらせそうになる。


「いえっ、そんな……」

 あわててふるふるとかぶりを振る。


「おいしいのはもちろんですけれど、たぶん、シャルディンさんとアリーシャさんも一緒だからだと思います……」


 仲睦まじい美男美女が目の前にいると思うと、それだけで料理だけでなくテーブル全体が輝くような気がする。


 しかも、イケメンどもと違って、フラグがどーのこーのなんて気にしなくていいし!


 待つほどもなくアリーシャさんのパスタも届いて、しばらくの間、他愛のない話をしながら三人とも食事に集中する。


 三人ともが食べ終わり、シャルディンさんにはコーヒーが、俺とアリーシャさんの前には紅茶が運ばれてきたところで。


「うん。おなかが満ちて、ハルシエルちゃんの表情もだいぶ明るくなったようだね。先に食事を済ませてよかったよ」


 シャルディンさんが満足そうに頷く。


「えっ? そんなにひどい顔をしてましたか!?」


 思わず右手で自分の頬にふれる。


 でも確かに……。昨日、今日とショックであまりご飯を食べていなかったかもしれない。


「おなかが空くと思考が悪い方向へばかり行ってしまうからね。悩み事を解決するには、ますよく寝てよく食べるのが一番だよ」


 穏やかに告げるシャルディンさんの言葉に、多少強引にごはんに誘われた本当の理由を知る。


 シャルディンさんが言う通り、おいしいオムライスを無心に食べておなかいっぱいになったら、沈んでいた気持ちもどこかに消えてしまったような気がする。


「あら、ハルシエルちゃん、そんなに悩んでいたの? もしかして、オディール役のことで?」


「そうなんです。その……。オディール役をどうにもうまく演じられなくて……」


 アリーシャさんの問いかけに俺はこくんと頷いた。


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