262 昨日は迷惑をかけてすまなかった


「ハルシエル嬢? こんなところで何を……。ああ、台本を読んでいたのか」


 ヴェリアスやクレイユと読み合わせをした翌日。


 一日も早く台本を覚えようと、お弁当を食べた後、人気のない木陰のベンチで台本を見ながらぶつぶつと台詞を呟いていた俺は、クレイユの声に顔を上げた。


 文化祭で生徒会役員が劇をするのは毎年のことだが、演目はまだ発表されていないため、教室で台本を開くわけにはいかないのだ。「今年はどんな劇をなさるのかしら……っ!」とわくわくしているクラスメイト達の楽しみを、俺が奪うわけにはいかない。


「クレイユ君こそ、こんなところに来るなんてどうかしたの?」


 あんまり人通りのない場所なら、イケメンどもと絡む機会だってないと思ってたのに……っ! なんで来るんだよっ!


 内心でそう思いながら尋ねると、クレイユが手に持っていた台本を示してみせた。


「台詞を覚えようと、適した場所を探していたら、きみのかすかな声が聞こえたものだから、どうにも確かめずにはいられなくなってね」


 どうやらクレイユも台詞の暗記のために教室を抜け出してきたらしい。


「それと……。きみにちゃんと謝りたいと思っていたんだ」


 隣に座ってもいいだろうか、と律儀に尋ねてきたクレイユに反射的に頷きながら、「謝る?」と問い返す。


 いや、俺としては、謝るよりもここから立ち去ってくれたほうが嬉しいんだけど……。


 っていうか、クレイユに謝られるようなことってあったっけ?


「昨日のことだよ」


 小首をかしげた俺にそう告げたクレイユが突然、がばりと深く頭を下げる。


「昨日は、ヴェリアス先輩とつい我を忘れてやりあってしまって……。そのせいで、きみに多大な迷惑をかけてしまって、すまなかった」


 つむじが見えそうなほど深く頭を下げたクレイユが、真摯な声で謝罪する。


 まさか、ここまできっちり謝罪されるとは予想してなかった俺は大いにあわてる。


「えっ!? だ、大丈夫だからっ! 確かに昨日は困ったし疲れ果てたけど、あれはクレイユ君ひとりのせいじゃなくて、ヴェリアス先輩にだって責任の半分があるんだし……っ! だからそんなに深刻そうに謝らないでっ!」


 ぶんぶんと手を振りながら、頭を下げ続けるクレイユ君に必死に告げる。


「それに、謝罪ならもう、昨日してくれたでしょう!?」


「だが……」


 わずかに頭を上げたものの、まだうつむいたまま、クレイユが納得していないと丸わかりな低い声を出す。


「あの程度では、わたしの気が済まないというか……。帰り道でも、エキューにひどく叱られたし……」


「ぷっ」


 ふだんは弟ポジションにいるエキューに「もうっ! クレイユったら女の子を困らせるなんてダメでしょっ!」と、こんこんと叱られてうなだれるクレイユが目に浮かび、思わず吹きだす。


 女の子みたいに可愛い顔だけど、エキューはあれで性格は男らしいもんな。昨日もディオスと一緒に、ヴェリアスに目を吊り上げて怒ってたし。


 しょぼん、としっぽを垂らした犬みたいにしょげている様子と、いつもの冷徹なクレイユとの落差に、くすくすと笑い続けていると、ねたように唇をとがらせたクレイユが、上目遣いに俺を見てきた。


「……そんなに、笑わなくてもいいだろう」


「だ、だって……。いつものクレイユ君とのギャップが面白くて……っ」


 そろそろ笑いをおさめなくてはと思うのに、一度ツボにはまったせいで、なかなか引っ込んでくれない。


「……いつものわたしと落差があるというのなら」


 低い声で呟いたクレイユが、不意に顔を上げたかと思うと、俺の片手を取って身を乗り出す。


「それは、いま目の前にいるのがきみだからだ。きみの前だと、いつものわたしではいられなくなる。昨日、柄にもなくヴェリアス先輩と張り合ってしまったのも――」


 銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳が、熱情を宿して俺を見つめる。


 まなざしにこもった熱が移ったかのように、一瞬で俺の頬まで熱くなる。


 ちょっ!? な、なんだよっ、この急変はっ!?

 クレイユお前っ! さっきまで雨に打たれた犬みたいにしょげてただろ――っ!?


「ほ、ほんとヴェリアス先輩とクレイユ君は相性が悪いのね……っ!」


 気まずい雰囲気をどうにかしたくて、クレイユの手から指先を引き抜きながら、あわてて声を張り上げる。


「た、確かに真面目なクレイユ君と、不真面目極まりないヴェリアス先輩だと、水と油って感じだけど……っ」


 でも、クレイユとヴェリアスって、中等部の頃も一緒に生徒会役員をしてたんだよな?


「クレイユ君とヴェリアス先輩って、昔から相性が悪かったの? それとも……。何か、仲違なかたがいするようなことがあった……とか?」


 とにかく話題を変えようと、おずおずと尋ねる。頭の片隅で深入りしすぎかも、という懸念がよぎったが、それよりも好奇心のほうが勝った。


 っていうか、昨日、あれだけ迷惑をかけられたんだから、ちょっとくらい事情を聞いてもいいよなっ!?


 俺の問いかけに、クレイユが突っ込まれたくない場所を無造作に手でふれられたように、整った面輪を強張らせた。


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