133 あれ? 姉様、お出かけするの?
夏休みに入ったからといって、オルレーヌ家では、朝寝坊は許されない。いや、別にしたければしてもいいんだけど……。
でも、家政婦のマーサさんが毎朝作ってくれるおいしい朝食を食いっぱぐれるのは、人生の損失だと俺は思う。
とうわけで、今朝も規則正しい時間に起きた俺は、朝ご飯をしっかり食べて、心身ともにエネルギーを補充した。
その後、マーサさんに手伝ってもらって、支度を済ませた俺は廊下に出たところでロイウェルと鉢合わせした。
「あれ? 姉様、お出かけするの?」
俺の格好を見たロイウェルが小首をかしげる。
「姉様がお出かけなんて珍しいね。今日も生徒会の方と?」
「え、ええ。まあ……」
ロイウェルの問いに、歯切れ悪く頷く。
今日の俺は、先週と同じ、白いレースのワンピース姿だ。髪も、マーサさんに頼んで、可愛らしく編み込みにしてもらっている。
なぜこんな格好をしているのかと問われたら……。
今日が、ディオスとエキューとのごほうびデートの日だからに他ならない。
姉想いのロイウェルに心配をかけてはいけないと頭ではわかっているのに、無意識のうちに声が低く、暗くなる。
「どうしたの? なんだか元気がないみたいだけど……。体調がよくないの?」
案の定、愛らしい面輪を心配そうにひそめたロイウェルが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
純粋な気遣いに満ちた瞳で見上げられ、俺はあわててかぶりを振った。
「ううん、違うの。体調はぜんぜん悪くないわ。ただ、ちょっと……」
言葉を濁した俺に、ロイウェルがはっと気づいた表情になる。
「大丈夫だよ、姉様! 今日もすっごく可愛いよっ!」
お世辞とは思えない素直な感嘆のまなざしに、思わず心が温かくなる。
「ありがとう、ロイウェル……。すごく嬉しいわ」
ロイウェルが可愛いと褒めてくれたのは、先週、イゼリア嬢とのデートの出かける前に、心配のあまり、変な格好じゃないかとさんざん尋ねたせいだ。
だって、ハルシエルとしてお洒落をして出かけるなんて初めてだったし、間違ってもイゼリア嬢に変な格好は見せられなかったし……。
なかなか不安が取れない俺に、ロイウェルは嫌な顔ひとつ見せずに、「姉様、すっごく可愛いよ!」と何度も言ってくれたのだ。
男の俺が「可愛い」と言われても、ふだんなら素直に喜べないんだが……。つぶらな瞳に純真な感嘆を宿して、心から褒めてくれるロイウェルの言葉には、自然と唇が緩んでくる。
「ありがとう、ロイウェル」
よしよしと頭を撫でると、ロイウェルがくすぐったそうに目を細めた。子犬が嬉しそうにしっぽを振っているかのような様子は、ささくれ立った心を優しく癒してくれる。
「今日もペンを作りに行くの? できた時には、僕にも見せてね!」
そうだったら、どんなにかいいか……っ!
明るい笑顔で尋ねるロイウェルに俺は無言で視線を揺らす。無意識のうちに、深い溜息が洩れた。
ロイウェルが愛らしい面輪を心配そうにしかめて、数センチだけ背の高い俺を見上げる。
「やっぱり、今日の姉様はどこかいつもと違うよ? 本当に大丈夫? 体調が悪いんなら、隠さずに言ってね?」
「ありがとう、ロイウェル……っ!」
純粋に心配してくれるロイウェルの気持ちが嬉しくて、思わずぎゅっと抱きしめると、「ね、姉様っ!?」とロイウェルがすっとんきょうな声を上げた。
「そう……。そうよね。こんな後ろ向きな気持ちで行っちゃ、せっかくいろいろ気を遣って準備をしてくれている二人に失礼よね……」
わけがわからずきょとんとしているロイウェルに微笑みかける。
この世界へ来て初めてできた可愛い弟に、これから男同士でデートをしなきゃいけないんだとは、口を避けても言えない。けど……。
考え方を変えろ、俺!
「デート」だって思うから
うんっ、なんかちょっと楽しみになってきた! 相手は癒し系のエキューと頼りになるディオスだもんな! 元の世界だったら、一緒に遊ぶのはおろか、気後れして話しかけることすら叶わないイケメン達だ。
エキューはおいしいお肉を、ディオスはイゼリア嬢お気に入りの『ムル・ア・プロシュエール』のガトーショコラを用意してくれるって話だし。
いつか、イゼリア嬢と二回目のデートをする時のために、ディオスとエキューのイケメンなふるまいを勉強する機会と思えば……っ! よーし! ちょっとやる気が出てきたぞっ!
「あ、あの、姉様。そろそろ放して……」
腕の中でもぞもぞとロイウェルが居心地悪そうに身動ぎする。
「ごめんね」
俺は慌ててロイウェルを解放した。
ロイウェルの体格なら、力ずくで逃げることもできるだろうに、恥ずかしそうに頼んでくるところがなんとも可愛い。
やっぱりいいなぁ、可愛い弟って! 腐った姉貴とは大違いだぜ!
「ロイウェルが可愛かったから、思わず……」
告げた途端、ロイウェルがぷぅ、と頬をふくらませた。
「もうっ、姉様ったら! 僕だって、来年には高校生になるんだから! 可愛いはないでしょう!?」
「うん、ごめんね」
可愛らしい顔立ちといい、それでも男の子としてのプライドがあるところといい、なんとなくエキューを彷彿とさせる。弟で年下な分、ロイウェルのほうが親しみやすくて可愛いけど。
ちょっと成長したロイウェルと一緒に楽しむんだと思えば、エキューとのごほうびデートも悪いものじゃない気がしてきた。
「よかった。姉様、ちょっと表情が明るくなってきたみたい」
俺から一歩離れたロイウェルが、安心したような笑みを浮かべる。
もしかして、話しかけてくれたのは、俺が浮かない顔をしていたのを気にしてくれたからなんだろうか……。
かっわいいな~っ、ロイウェル! 転生してよかったことのひとつは、こんな可愛い弟ができたことだと思う、本気で!
腐れ大魔王の姉貴との縁が切れなかったのは、泣くしかないけど……。
「あのね」
ロイウェルが小首をかしげてにっこり笑う。
「今日の姉様もとっても可愛くて素敵だよ! 姉様は僕の自慢の姉様なんだから……。いつも笑顔でいてくれたら嬉しいなっ」
ぎゃ――っ! なにこの可愛い弟! 俺に新たな扉を開けさせる気!? いや開けないけどっ! 俺の萌えのすべてはイゼリア嬢が独占中だけどっ!
ともあれ、沈んでいた気持ちが、ロイウェルのおかげでかなり上向きになったのは確かだ。
そうだよなっ! イゼリア嬢のために、イケメン達のエスコートテクニックを盗める貴重な機会だと思えばいいんだよなっ! フラグを立てないようにだけ気をつけて……。よしっ、頑張るぞ、俺!
いつか、イゼリア嬢と二回目のデートをする時のために!
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