99 じゃあ、さっきオレが抱きしめたのもセーフだねっ♪


「下ろしてくださいっ!」


 足をばたつかせると、すかさずヴェリアスのからかうような声が返ってくる。


「そんなに暴れたらスカートが乱れちゃうよ? もしかして、誘ってる?」


「そんなわけありませんっ!」

 ばっ、と両手でスカートを押さえると、ヴェリアスがぷっと吹き出した。


「ホント、ハルちゃんって、打てば響くような反応が可愛いよねっ♪」

「か、可愛くなんかないです! いいから下ろしてくださいっ!」


 男が「可愛い」なんて言われて嬉しいワケがないだろーがっ!


「ほんっとハルちゃんはつれないよね~」


 嘆息しつつ、ヴェリアスがようやく俺を下ろしてくれる。


 床に足がついた途端、逃げだろうとしたが。

 ぐいっと腕を引かれる。とん、と背中が軽く本棚にぶつかった。


 思わずつむった目を開けた時には。


「リオンハルトには、衆人環視の中、抱き寄せられたっていうのに、オレは駄目なワケ?」


 吐息がかかるほどの至近距離に、ヴェリアスの整った面輪があった。紅い瞳が、射貫くように俺を見つめている。


「あ、あれは抱きしめられたわけじゃありません! そ、その、よろけたのを支えてもらっただけで……っ!」


 っていうか、なんでヴェリアスが昼休みのことを知ってるんだよ――っ!? 誰だっ、ヴェリアスの耳に入れたヤツは!? 本気マジで恨むぞっ!


「ふぅーん」

 俺の嘘を見抜いたのか、ブラフなのか、ヴェリアスが半眼になる。


「じゃ、さっきオレがハルちゃんを抱きしめたのもセーフってワケだねっ♪」

「あれはヴェリアス先輩が急に私の腕を引っ張ったからじゃないですかっ!」


「そりゃ、思いがけずハルちゃんがオレのトコに来てくれたんなら、捕まえちゃうでしょ?」


 思わず言い返すと、ヴェリアスが当然と言わんばかりの表情で返してきた。


「オレだって驚いたんだぜ? まさか、このタイミングでハルちゃんが来るなんてさ♪ これは運命だって思うだろ?」


 は? 運命ってなんだよっ!? んなもん勝手に感じんなっ!


 俺は心の中で叫ぶが、ヴェリアスと目が合った途端、なぜか心臓がどきりと跳ねてしまう。


 ってゆーか近い! 近いよっ!

 男に壁ドンなんてされても、嬉しくもなんともねぇ――っ!


 猛ダッシュでこの場から逃げ出したいが、本棚とヴェリアスの間にはさまれて、逃げ出せそうにない。


 何か打開策はないかと、左右に視線を巡らせた俺が見つけたものは。


「あ――っ!」


 突然の俺の叫びに、ヴェリアスがわずかにたじろぐ。

 が、俺はヴェリアスなんかに構うどころじゃなかった。


「あれっ! あの本!」


 俺を引きとめる時に、窓枠に伏せて置いたのだろう。ヴェリアスが先ほどまで読んでいた本の表紙が見える。


 そのタイトルは。


「探していた『ラ・ロマイエル恋愛詩集』……!」


 まさか、探していた詩集が、ヴェリアスが読んでいた本だなんて!


「へぇ~。ハルちゃん、恋愛詩集なんて読むんだ。ロマンティックなトコもあるんだね♪」


「えっ? いえ、イゼ――」

「しかも、それがオレが読んでた本だなんて、ますます運命を感じちゃうなぁ♪」


 俺の言葉を遮ったヴェリアスの手が、不意に髪へ伸びてくる。


「『恋しき人は金の乙女

 陽光の髪はわたしを照らす光

 歌う声は心を惑わす蜜

 たおやかな肢体をかき抱けば

 心は歓喜に舞い上がる――』」


 耳に心地よく響くヴェリアスの低い声。


 心を融かすような甘い響きに、相手がヴェリアスだということも忘れて、思わず聞き惚れてしまう。

 甘くて強い酒に酔ってしまったように、ぼうっとヴェリアスを見上げていると。


 ヴェリアスが手にした俺の髪のひと房を恭しく持ち上げ、ちゅ、と優しくくちづけた。


 途端、沸騰したように顔が熱くなる。


「ハルちゃんってば、熟れた林檎みたいに顔が真っ赤だよ♪」


 くすくすと笑ったヴェリアスが、髪を放した手で、そっと俺の頬にふれる。

 その手を振り払わなければと思うのに、紅い瞳に魅入られたように動けない。


「ハルちゃんってば、ガードが固いかと思えば、ときどきホント無防備で可愛いよね~♪ そんなに可愛いと食べちゃうよ?」


 甘い声で囁くヴェリアスの指先が、頬を辿りあごにふれる。

 宝物を扱うように、そっと上を向かされ――、


 キーンコーンカーンコーン。


 突然鳴ったチャイムの音に我に返った俺は、思いきりヴェリアスを突き飛ばす。


 不意を突かれてヴェリアスがよろめいた隙に、本棚とヴェリアスの間をすり抜け、床に落ちていた鞄を拾う。


 駆け寄った先は窓際。狙いはもちろん、置きっぱなしの詩集だ。

 俺は乱暴に詩集を引っ掴むと、脇目もふらず逃げ出した。


「ざ~んねん。下校時刻のチャイムに邪魔されちゃったか~」


 ヴェリアスの呟きが届いたが、無視だ、無視!


 俺はばくばくと心臓が飛び出しそうな胸に鞄と本を抱え、ヴェリアスに追いつかれてたまるもんかと、ひたすら本棚の間を駆け抜けた。

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