91 きみに謝りたいことがあるんだ


「どうしたんですか? 生徒会のことで何かありましたか?」


 どうか、そうであってくれ! と祈りながらリオンハルトに問いかける。


 だが、俺の願いもむなしく、リオンハルトは「違うんだ」とかぶりを振った。

 蜂蜜をとかしたような豪奢ごうしゃな金の髪が、夏の陽射しを受けてきらりときらめく。


 第二王子であり、生徒会長でもあるリオンハルトの登場に、通路を行き来していた生徒達の視線が、何事かと集中する。


 が、注目を浴びることなど日常茶飯事のリオンハルトは、ふだんと変わらぬ様子で口を開いた。


「きみに謝りたいことがあってね」


「謝りたいこと?」

 きょとんと尋ね返した俺に、リオンハルトは端正な面輪を引き締める。


「先週、きみを送っていた時に……約束を破ってしまっただろう? 本当に、すまなかった」


 へ? と思う間もなく、リオンハルトが直角に腰を曲げる。

 頭を下げる第二王子の姿に、周りの生徒達がどよめいた。


「ちょっ!? やめてくださいっ!」


 俺はあわててリオンハルトの肩に手をかけ、上半身を起こそうとする。


 第二王子が人前であっさり頭なんか下げんなっ! 視線がっ! 周りの視線が痛いくらい突き刺さるだろ――っ!


 むしろ、「コイツ、第二王子殿下に何しやがった!?」って、俺が犯罪者みたいな感じで見られてるよっ!


「お願いですから、謝らないでくださいっ!」

 何とかリオンハルトを起こそうとするが、まるで岩のように動かない。


「だが、女性との約束を破るなど、合わせる顔が……」


「あんな約束、気にしなくていいですからっ! 怒ってもいませんし、お願いですから頭を上げてくださいっ!」


 頼むから周りの状況を見てくれ――っ! もう俺、今すぐここから逃げ出したいよっ!


 俺の必死な声に、リオンハルトがゆるゆると顔を上げる。


「本当に、怒っていないかい?」


 不安に満ちた声。捨てられた子犬のような表情は、いつも気品と自信にあふれたリオンハルトと同一人物とは思えない。


 「車内にいる間、ふれない」という約束を破られたのは俺なのに、なんだかこっちのほうが悪いことをしたような気になって、罪悪感で胸が痛みだす。


 ああもうっ! 済んだことはいいから、その顔やめろっ!


「ほんとですっ、ほんとっ! ですから身体を起こしてくださいっ!」


 ぐいぐいとリオンハルトの腕を両手で持って引っ張ると、ようやくリオンハルトが身を起こした。


「ありがとう。やはり、きみは優しいね」


 いやっ、優しくないから! 人目が気になるせいで許しただけだからっ!


 いつの間にか、リオンハルトが、腕を掴んでいた俺の手を握りしめている。


「きみの心の清らかさに、わたしの心まで洗われるような気持ちだ。きみは、まるで天使だね」


 はあぁっ!? んなワケないだろっ! 天使はイゼリア嬢に決まってるだろっ!? お前の目は節穴かっ!


 リオンハルトがごく自然な動作で俺の指を握った手を持ち上げる。


 嫌な予感を覚えて、とっさに俺はリオンハルトとつないだままの手をぶんっと振った。引き抜けはしなかったが、リオンハルトの動きが止まる。


 あっぶね! 本気マジであっぶねっ!

 今、お前指にキスしようとしただろっ!?


 人目を! 頼むから人目を考えろ――っ!


 さっきまで捨てられた子犬みたいになってたしおらしさはどこ行ったっ!? 同情して許すんじゃなかったよっ!


 いつの間にか、いつもの余裕綽々よゆうしゃくしゃくな感じに戻りやがって……っ!


「何をするんですか!? 許すとは言いましたが、同じことをしてもいいとは言ってませんっ!」


 きっ、と睨みつけると、リオンハルトの眉がふたたびへにゃりと下がった。


「すまない。喜びのあまり、思わず……」

 リオンハルトが、情けないと言いたげに口元を歪める。


「何だか、きみには謝ってばかりだな」


「いいんじゃないですか?」

 自嘲するリオンハルトに、俺はあっさり言い放つ。


「人間なんですから、誰だって間違ったり失敗したりするでしょう? それは、第二王子様だろうと、生徒会長だろうと変わりません。むしろ、身分にとらわれず、悪いことをしたらちゃんと謝れるリオンハルト先輩の態度は素晴らしいと思います。けど――、ひゃっ!?」


 言い終わる前に、つないだままの手をぐいっと引かれる。

 よろめいた身体が、とすりと固い胸板にぶつかった。


 ぎゅっ、と抱きしめられた腕は、しかし、一瞬で緩められる。


 だが、俺の心臓を跳ねさせるには、その一瞬で十分だった。


「な、何するんですかっ!?」


 頬が熱くなったのがわかる。

 叫んだついでに、心臓が口から飛び出しそうだ。それくらい、どきどきと激しく波打っている。


 一瞬とはいえ、人前で抱きしめたりなんかすんな――っ!

 心臓が壊れるかと思っただろっ!?


「駄目だな、わたしは……。きみを前にすると、理性が働かなくなってしまう」


 苦い声でつぶやく表情は、思わずこちらの胸がきゅうっ、と痛くなりそうなほど切なげで。けど。


「ちゃんと自制していただかないと困りますっ! 私の心臓を壊す気ですかっ!?」


 人目のあるところで抱き寄せようとなんかすんなっ!

 目撃した生徒達に、いったい何と思われるか……っ!


 変な噂が立ったら、本気マジでお前のせいだからなっ!?


 ハルシエルの顔とは言え、できるだけ険しく目を吊り上げてリオンハルトを睨みつける。


 と、呆気あっけにとられた顔で俺を見ていたリオンハルトが、不意に、ふっ、と吹き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る